私たちが、 1
「優奈」
ギシ、とベッドが軋む音。
「うぅ……?」
「優奈、起きて」
「ん……」
「キス、するよ」
「レイシャぁ?」
「誅戮!」
「生意気なハエがドロップキックしてきた」
「随分上等な目をお持ちのようね。太陽をルーペで覗くと視力が上がるらしいわよ」
「痴漢撃退スプレーの殺虫効果について実験したい」
「強姦魔が痴漢撃退スプレー装備とは戯画的ね。ほら、噴射口の向きが逆よ」
「うぅ……うるさいなぁ……」
「優奈」
「智子……?」
「うん」
「レイシャ……?」
「そういえば、いない」
はっと飛び起きた。レイシャ。いない。夢、だった? 部屋を見回す。智子が人形のように整った顔を、無表情のままで目をぱちくりさせていた。あとは、いない。誰も、おかしいな。いない。
そうだったね。
空白が空洞が不在が、喪失が、降り掛かってきた。
「あ、あ……うわああああああ」
「ゆ、優奈?」
智子にしがみついていた。
「レイシャが! やだ、やだぁ……」
泣き続けた。自分でも信じられないぐらい泣いた。泣きすぎると目が熱くなって鼻が痛くなることを知った。
智子はなにも言わずにずっと背中をさすってくれた。すごく嬉しかったけど、いつまでもこうしてもらうのはよくない。体を離すと、私の腕を見た智子が卒倒しそうになっていた。
そういえば昨日……今朝だったかもしれない。ずっと探して、歩き通しでいつ家に帰ってきたのか覚えていない。ベッドに入った記憶もないし、当然腕は擦りむいたままで処置なんかしていなかった。
真っ青な顔で部屋を飛び出した智子は、すぐに救急箱を抱えて戻って来た。消毒され包帯を巻かれていくのを眺める。血のついたシーツを替えるからと、ベッドから下りるよう促される。
私は、立ち上がるのに失敗した。倒れる寸前、智子に抱き止められる。そういえば足首もひねっていた気がする。察した智子は、声にならない悲鳴のようなもの音を喉から漏らした。私をベッドに押し戻して、腫れ上がった足首に湿布を貼ってくれた。
智子は、シーツ交換を終えても部屋から動こうとしない。それでもなんとか説得して学校に行ってもらった。遅刻は確定だ。とても申し訳ない。
私は学校を休んだ。もう少し眠る。夢は見たくなかった。どうせレイシャが出てくるに決まっている。賑やかな夢のあとで、ぽつんと、やけに広い部屋で目を覚ます、そんなのは耐えられない……。
幸いにも夢は見なかった。寝て起きてを繰り返している間に夕方になっていた。
「優奈、起きてる?」
「ん……」
智子と、キャスも一緒に部屋に来ていた。私はもぞもぞ動いてベッドに腰掛ける。智子が怪我の具合を確かめているのを、ぼんやり眺める。
「学校もう終わった? 早くない?」
「飛んで帰ってきた」
「文字通りっすよ。優奈の姉御が伏せってると聞いてあたしも微力ながらお手伝いさせていただいたっす」
通学のルート上、家から学校まではやや遠回りになる。妖精の飛行魔法で直線ルートを取れば時間短縮になるけど、人ひとり抱えて飛び続けるのは結構しんどいらしい。キャスには無理をさせてしまった。
「ありがとね、キャス」
「今のところはこれぐらいしかお役に立ちませんので」
キャスが智子に目を配せた。智子はうなずいて話を継いだ。
「なにがあったら教えて」
「……えっと……レイシャが、レイシャが……!」
また泣き崩れてしまった私を智子が抱き止めてくれた。
レイシャの様子がおかしかったのは智子も気がついていたらしい。それからさっき、じゃない。昨日、藤野先輩と対戦して手ひどい敗北をしたこと。
そしてレイシャと……あの出来事は私の中でどう処理すればいいのか見当がつかなかった。別れた。去った。見捨てられた……解散? 読み込みテーブルエラーを起こしたようにいくつもの言葉が脳裏をよぎり、そのどれもが恐ろしく、それらの言葉であの出来事を語るなんてしたくなかった。だから、レイシャは「いなくなった」と智子に説明した。しどろもどろで嗚咽混じりの話を、二人は根気よく聞いてくれた。
「把握した。優奈を泣かせた奴は誰であっても許さない。レイシャは草の根分けても探し出す。そして八つ裂きにして雑草の肥料にする」
「それはちょっと……」
「優奈が嫌ならしない。どうする?」
「……どう、する? どう……しよう?」
レイシャがいなくなったあとのことなんか考えてもみなかった。「あと」じゃないのか。それは「今」なんだ。今、考えるの? えっ?
「泣かないで」
「……ごめん」
智子がハンカチで頬を押さえてくれてるから、そのまま溢れるに任せてしばらく涙を流した。
「ホントごめん。レイシャが……いなくなっただけで、こんなに参ると思わなかった」
「優奈が、誰かを失ったのは初めてだから」
「うしなっ……!」
「このままでいいの?」
「やだ!」
「だったら、取り戻そう」
「取り戻す……」
「レイシャを探して」
「探す」
「説得して」
「説得する」
「連れて帰って」
「連れて帰る」
「八つ裂きにする」
「八つ裂きに……ん?」
「そして傷心の優奈を慰めて点数を稼いだ私とめでたく結ばれる」
「打算ダダ漏れだー!」
「それは冗談としても」
「どこまでが冗談か判別不能という高度な冗談だね……」
「ちょっと、元気出た?」
「……うん。ありがと」
基本的に無表情な智子がわずかに目を細めた。これは微笑みだ。またちょっと元気出たかも。
「レイシャを取り戻すよ」
「その意気。まずは見つけるところから。心当たりは?」
「……ない」
レイシャの内面を知らなかった証明のようで、お腹の底が重くなった。一人になりたい時、レイシャはどこへ行ってなにを感じて、どんなことを考えていたのか。レイシャは教えてくれなかったし、私も強くは踏み込まなかった。そんな日々の積み重ねが現状を招いたのだろうか。私が、間違っていた? どうすればよかったの?
「なんでもいいから言ってみて」
レイシャはRFが大好きだ。常に高みを目指すレイシャが傍にいたから私はやってこれた。そんなことにいなくなってから気づいた。だからこれだけは間違っていて欲しくなかった。
「……これは私の希望だけど、レイシャはどこかでトレーニングをしてると思う」
「キャス、どう?」
智子が話を振ると赤毛の妖精は、そうっすねぇ、とつぶやいて顎に手を当てた。
「この辺りは、エリア全体を見渡してもこっそり篭もって修行する場所には事欠かない地域なんすよ。郊外には森もあるし街を貫く川をさかのぼって行けば山に着くっす」
「絞りにくい」
「ま、捜索は任せてくださいっす。街中よりも山川好みの連中にいくらかアテもあるっすから」
「そんな! 私が行かなくちゃ」
「あの辺りの自然は厳しいっすよ。ここは妖精連中に任せてくださいっす」
「じゃあ見つけたらすぐ呼んでよ! すぐ!」
「もちろん。でも逃げようとするかもしれないっすね」
「捕まえてて」
「難しいことを。出会ったばかりの頃ならともかく、今のレイシャを足止めしておくのは自信ないっすね」
「褒めてくれてる?」
「正当な評価っすよ。多少手荒になってもいいなら、やるっすけど」
「八つ裂きに」
「智子はそれこだわりすぎだから。まぁでも一つ裂きくらいなら」
「それでも充分死ぬと思うっすけど……とにかくお任せっす」
「お願いするね。あとは……あ」
さっき智子とキャスにした説明で、はしょった事柄があった。気が進まないけど協力してくれるからには話しておかないと。
「この捜索、時間制限つきになってるというかしてしまったというか……」
藤野先輩との賭けについてだ。来週末の大会で藤野先輩に勝たなければ、レイシャとパートナーを解消する約束だ。
「優奈がまた挑発に乗ってた」
「あの時はこんなことになるなんて思ってなかったんだもん」
「千鶴さんらしいやり方だと思う。あの人はとても正直な人だから」
「正直というか、あれは天然だよね」
「あの人なりに真っ直ぐ進んでるだけ」
「……タチの悪い獣だよ」
「怒らないであげて」
「あっちの肩持つの?」
「そうじゃないけど、私は千鶴さんを嫌いになれない。ずっと背中を追いかけてきた、憧れの人だから。あの強さと力をいつか私も、と思う」
「嫌いとかそういうのじゃないの。恨み辛みや悪意や敵意とかもないし、向こうからも感じなかった。でもムカつくのは本当だし、ぶっ飛ばしたい。RFでね」
「うん。ありがとう」
智子が安心したように目元を緩めた。
「でも意外だったな、智子の憧れの人が藤野先輩だったなんて。そんな素振りなかったと思うけど」
「恥ずかしい。忘れて」
頬を赤く染めて智子がうつむく。極めて整った容姿の智子がそんな仕草をするとなんというか……可愛い。
「まあまあ話をまとめるっすよ。あたしは捜索。智子の姉御はそのバックアップ」
智子は私にちらりと視線を送った。なんだろう。
「優奈には、優奈にしかできない、やるべきことがある」
「智子の姉御、それはまだ厳しいのでは」
二人には共通見解があるらしい。気遣わしげなキャスに、智子は断固と首を横に振った。
「愛ゆえに」
「炎のような苛烈さ……ジャックオーランタンのあたしも心の熱では敵わないっすねぇ」
キャスが納得した調子でひとりごちる。
「優奈は、どうしてレイシャが去ったのか考えないといけない」
「それはっ……私が力不足だからで」
「レイシャがそう言っただけ。あの天の邪鬼を十回ひねったようなのが本心を口にするはずがない」
「そうかもだけど。そんなの言ってくれないとわかんないって」
「考えるしかない。そうでないと再会してもきっと上手くいかない。どうしてもわからないなら、捕まえて八つ裂きにして、腹の底の本音を引きずり出すという手もある」
「姉御、それは内蔵です。胃や腸に精神は宿りませんし普通に死ぬっす」
「だから優奈は……」
レイシャがなにを考えていたか考える? なにを? そんなのは訊けば答えてくれる。答えてくれなくても顔を見ればわかってた、はずだった。違う。わかってなかったから、こうなった。声も聞けないのに、顔も見れないのに、レイシャのことを思うの?
痛い。胸が痛い。心臓が潰れそう。
「泣かないで」
智子が頬に当ててくれたハンカチは私の涙でひんやりと湿っていた。
「うん……」
「私がいるから。大丈夫」
「もちろんあたしもっすよ」
「うん、うん……」
そのあとも全くまとまりのない話を根気よく聞いてくれて夕飯まで作ってもらった。ひどく泣きはらしてしまっていて、結局次の日も学校を休んだ。一日中ベッドにいて悟ったのは、ベッドにいてもなにも解決しないということだった。
鍵を開けて玄関に入る。リビングからひょいっと顔を出したレイシャが罵詈雑言をマシンガンのように吐き出しながら迎えてくれる……なんてことはない。レイシャがいなくなってから毎日、家に帰るたびに打ち砕かれてきた幻想だ。
玄関を抜けて階段を上がって、部屋へ。一歩進むごとに思い出がよみがえり、わずかの移動がとても長く思える。階段にかけた脚の力が抜けて崩れ落ちそうになる。泣き喚きたくなる。
この家のどこにも、レイシャとの思い出が刻まれていないところなんてなかった。それは、今の私にとっては家中にいばらが張り巡らされているに等しい。どこにいても、なにをしていても、心から血が流れ続ける。智子の家にしばらく泊めてもらうことも考えた。智子もおじさんもおばさんも歓迎してくれるだろう。
でも私は、この家に巣くう思い出と対話しなければならない。それがどんなに痛みの伴うものでも、あるいはだからこそ、レイシャを理解する効率が一番いい。そしてなにより、ある日ひょっこりと帰ってくるのではないか、そんな希望を捨て切れなかった。
部屋にたどり着いた。バッグを置いて服を着替える。PCを起動させると、ホロキーボードとホロモニターがデスク上に展開される。
「さて、と」
状況を整理して、私は問題を三段階にわけた。
まずレイシャを見つけること。これはキャスに任せる。人間と妖精では移動効率や知覚能力に雲泥の差がある。
次にレイシャを説得すること。これが最も難しい。難題に対処するため、これをさらに三段階にわける。まず、レイシャの本心を理解する。それから、あのひねくれ屋を納得させる論理を用意する。そして、本人の前で正しく論理展開する。色々考えたけど、合理的に詰めていくのが私らしく成功率が高いと踏んだ。
最後に、藤野先輩とリーゼを倒す。そのために私は突貫スケジュールで新たな切り札の開発に取りかかっていた。
レイシャの本心なのかはまだ測りかねるけど、私を力不足だと言ったのは確かなのだ。だったら、と。そんな口きけないようなものを作り上げてやろうという気持ちもある。説得の材料に使えるだろうという打算もある。これが完成しなければあの最強の女王に勝てないという後ろ向きな確信もあった。
「よし」
私はキーボードを叩き始める。でも……なにより、これはレイシャを想って作るアプリだった。どうかこれを受け取って欲しい。
作業に没頭してる内に日が暮れていた。そろそろキャスが来る時間だ。
キャスが探索を開始してからは毎日、詳細な報告を上げてくれていた。誰と協力して、どこへ行ってそこはどんな様子だったか……思わしくない結果に焦りはあったけど、少しでも前に進んでいる実感があった。協力してくれた妖精の中には知ったRFプレイヤーもいたりしてとてもありがたい気持ちになれた。
けど、三日前からキャスは挙動不審だった。報告は曖昧で、気になったことを尋ねても目を思いっ切り泳がせて要領を得ない返事。なにもないと思わないほうがおかしい。キャスのいないところで智子に探りを入れてみたけど、特に不審なところはないという。
智子には普通に接して私に対してはよそよそしい。十中八九レイシャ絡みだ。
昨日、ちょっと思いついて、あるアテに一本電話を入れていた。アプリの作業状況を保存したところでキャスが来た。
「優奈の姉御、どーもぉっす……」
「お疲れさま。今日も捜索行ってきてくれたんだ?」
ドアを開けてそーっと入って来たキャスに私には微笑みかける。
「は、はい! もちろんっすよ!」
「捜索ってのは、人、今回の場合は妖精を探すことなんだけど……キャス、本当に『捜索』してたの?」
「はぁ……」
突如牙をむいた私の指摘にキャスは呆然としている。
「キャスはすでにレイシャを見つけている」
「いや! そんなことは!」
「レイシャからは口止めされて、板挟み状態で苦しんでいる」
「あ~、その~……」
「それでも毎日、捜索に行くフリをしてたのは義理堅いよね」
「ぐぐぐ………」
キャスは、チーズを噛んだようなものすごく嫌な顔をしている。ちなみにキャスはチーズが大嫌いだ。以前うっかり口にしてしまった時と同じ顔をしているので、極めて的確な比喩だ。
かなり大胆なカマかけだったけど、これは当たりだ。
「ごめん、意地悪だったかな。よく考えたらさ、シーズンツーのエリアチャンピオンシップも近いんだしずっとキャスを拘束するのは悪いなって」
「や~それはあまり問題ないというか……」
「自信あるんだ。じゃあ最後に一つ、レイシャにメッセージ伝えてくれないかな」
「レイシャには会ってないっす。会ってないっすよ? でももしかしたらなにかの間違いで伝わるかもしれないっす」
「間違いが起こるよう祈っておくよ。来週末の大会に来て欲しいって伝えて、あ、私が死ぬほど困ってるからどうしてもレイシャの助けが必要って付け加えておいて」
「お安い御用! じゃなかった。そうなるといいっすね」
「うん。じゃあキャス本当に嬉しかったし、感謝してる。明日からは練習がんばってね」
「遠慮無くそうさせてもらうっすよー!」
スッキリした顔のキャスを見送る。実直なキャスは少しでも嘘をつくのが辛かったのだろう。それでも私とレイシャのためを思ってよく動いてくれた。とてもいい子だ。
「これで明日のキャスの動きは確定、と……」
ケータイを取り出し、確認の電話を入れた。
翌日の夜、私は新たな客を部屋に迎えていた。
「いやあなかなかに胸躍る冒険だったよ」
そう爽やかに笑ったのはサクラだ。
私が昨日、連絡したのはサクラだった。事情を説明し、キャスの追跡を依頼したのだ。音を操るセイレーンタイプは適役だし、こういう裏工作じみたことが好きそうなサクラは予想通り快諾してくれた。アイリスちゃんが蚊帳の外状態なのは可哀想だったけど、事情を話せば確実に心配されてしまう。それは私もサクラも望むところではなかった。
私はベッドに腰掛けて、サクラにはローテーブルを勧める。妖精の語る追跡劇にしばらく耳を傾けた。
「……というわけで、レイシャは市南部の山にいる。キャスとは連日、練習をしているようだ」
「そう……いるんだ」
ゆっくりと息を吐き、体の力が抜けるのを味わう。脱力しきった体の真ん中で心臓が動いているのが感じられた。
レイシャは、ちゃんと、いる。
見つからないんじゃないか、妖精の世界へ帰ってしまったのかもしれない、もっと残酷なことも想像した。心から血を流し続け、怯えと決意の間で揺らぐ……そんな日々はもう終わりだ。レイシャが見つかったのだから! 早くレイシャに会いたい!
「ありがとうサクラ。本当にありがとう。じゃあ、明日にでも案内してくれる?」
サクラはじっと息を詰め、私を見つめてきた。その瞳は私の焦りを射抜くかのように鋭い。
「カサンドラに、大会に来るよう言伝したんだろう?」
「あれは伏線。ああ言っておけば、私のほうから来るとは思わないから」
「レイシャに会ってどうするつもりだい?」
「連れ戻すに決まってるじゃない。交渉は先制攻撃が大事だからね。ふふ。私がいきなり現れたらビックリするだろうな」
「だがそれだけでは足りないだろう。君は、彼女に語る言葉を持ち合わせているのか?」
「そ、れは……ずっと……考えてた。けど、わからなかった。どこを探しても、レイシャの本心のようなものはなかった! あったのは、私の中のレイシャだけ。でもそういうものでしょ? 自分以外の存在の心なんて究極的にはブラックボックスなんだから」
「それでもレイシャには心がある」
「哲学的ゾンビがどうとかってつもりはないよ。ただ確かなのは……私がレイシャを取り戻したいと思っていることぐらい。他はすべて不確かだから、直接対話するしかない」
セイレーンは沈黙をまとって考え込む。なにか不都合なことでもあったのだろうか。だとしたら、ここまでの会話はやや悪手だ。聞き出す策を用意しないと。
「ねえ、サクラ……」
「君とレイシャを引き合わせない」
「はぁ!? なんでよ! クライアントは私でしょう?」
「報酬をもらって動いたわけではない。もしそうだとしても私は断っていただろう。なぜなら私たちは友人だからな」
サクラが爽やかに微笑む。キザだけど嫌みじゃない、サクラスマイルだ。
「あ~、うん。なんかごめん。怒鳴ったりして」
「やれやれ。私も悩んだのだ。采配を振るうのは好きだが、友人らの今後に関わるとなるとさすがに胃が痛む」
「ご、ごめんね。巻き込んじゃって」
「頼られていると思うようにしておくよ。……実は、君に明かしていない事実がある」
重苦しくサクラが告げると、噴き出した嫌な予感がぞわぁっと背中を駆け上っていった。
「カサンドラが去ったあと、レイシャの元に藤野千鶴が現れた」
「なっ……! あいつ、なにを!」
「落ち着くんだ。会談は穏やかな雰囲気で行われたよ。友好的とすら言える」
「でもっ」
「例の賭けのことも話題に出たよ。藤野嬢は、レイシャにはっきり弱いと言っていた」
私は立ち上がっていた。すでに拳は握られている。
「落ち着け。レイシャは特に怒っていなかったよ。強弱に興味はないらしい。勝敗という結果がすべてだと」
「そう……なんだ。レイシャがいいならいいけど……微妙に納得いかないけど……うぅ」
「レイシャが強弱自体に執心しないのは知っていたかい?」
「……知らなかった」
私はすとんとベッドに腰を下ろす。サクラは、それを見届けて人差し指をぴっと立てる。そこなんだ、と言って人差し指をゆらゆら揺らし始めた。
「レイシャと藤野嬢の本心……と思えるようなものを私は聞いてしまった」
すぅっと気が遠くなった。なんで? どうして?
なぜレイシャは藤野先輩に本心を話しているの? 私じゃなくて藤野先輩に! 私はいつでも話を聞くと伝えていたのに決してレイシャは口を開かなかった。それがどうしてあいつに!
「ショックのようだね。レイシャの行動の理由、察しがつくかい?」
私は答えられない。
「君が探し求めた解答を私は持っている。だがそれを教えてしまっては意味が無いだろう。いくつかヒントを出す。いやもう出している。一緒に考えよう」
「……ヒント? う~ん? サクラの人差し指を立てるクセは関係ある?」
「はっはっは。あからさまに的外れな発言で気を緩ませるつもりかい? 私以外になら通用したかもしれないけどね」
「お見通しか」
私はぺろっと舌を出してごまかす。サクラは気を悪くした風もなく笑っている。
「私と君は少し似ているな。心理を読むのが好きで推察は得意だろう。今回のように裏から手を回すのも好むし、いざとなれば手段は選ばない」
「そんなつもりは……そうなのかな?」
「そうとも。そして私が言うのもなんだが、いや違うか。『私たちは』共感能力に欠けている」
「……共感」
「レイシャの思想や思考をパズルのピースのように集めていっても真実には届かない。彼女の内側から物事を見る視点が必要だ」
「それが出来れば苦労してないって」
思わずジト目になってしまう。
「そのためのヒントだよ。そうだな……レイシャはRFに関してある劣等感を抱えている、というのはどうだろう」
レイシャはいつも過剰なほど自信たっぷりだった。元からの性格もあるけど、誇るに足る努力をしていたのは私が一番よく知ってる。負けて傷ついたり、揺らいだりもあったけど、劣等感とはちょっと違うと思う。理解しかねる。
「……私から見てどうのこうの、じゃないのか。レイシャの自己評価が極端に低いってことね」
「そうだ。だからこそ努力であり躍進だろうが、それでも己を許すには足りなかったようだ」
「勝って当然、負ければ調子が悪かっただけ。それがレイシャの言い分で、私もそのノリに合わせてきた。もっと褒めて、認めてるって口に出せばよかったの……?」
「そこは君自身で考えてくれ。私はなんの準備もなしに会おうとするのを止めただけだ」
「うん……ごめん。話戻そ。レイシャがそうだとして、こうなったのは私がその要求レベルに達してなかったからって言われたんだよね。じゃあレイシャの私に対する評価は、下の下ってことかぁ。……結構、傷付くなぁ」
私が悪いのは分かってたつもりだけど、やっぱり辛い。
「待て。これだけはハッキリ言っておこう。レイシャは、君をとても高く評価している。藤野嬢を前に、優奈は恐ろしく強いと言い切っていたよ」
「は……い? 聞き間違いとかじゃなくて?」
「私の耳の性能を疑うなんて馬鹿げてるだろ?」
「そうだけど……意味がわからない」
前提、根底が覆る新事実だった。
「どうして、どうしてレイシャは私から離れたの? レイシャの目標は世界最強。アヴァロンマスター。私を強いと思うなら離れるのはおかしくない? 組んだほうが得じゃない」
「それは……」
言いあぐねる様子のサクラ。私の戸惑いは治まらない。
「私たちは、レイシャにスカウトされて始まったの。一緒に世界最強になりなさいってね。レイシャが私を嫌いになったり、弱いって判断したならまだわかる。けど、どうして?」
「たとえばだが。君とレイシャの立場が逆だとしたらどう思う? 自己評価の低い君が、恐ろしいほど強いパートナーを持ったら?」
「……追いつけるようにがんばる」
「私のたとえが間違っていたよ。実に君らしい解答だ。とても前向きな、強者の精神だ」
「なにそれ」
皮肉の匂いを感じて、つい鋭く返してしまう。
「責めてはいないさ。私のたとえが悪かったんだよ。じゃあ、現在の世界ランキング首位、アヴァロンマスターの妖精は知っているね?」
「ニミュエね。よく広告で見るもの」
王冠のように輝く黄金の髪が印象的に残っている。ざっくり言えば華があるタイプ。それも格違いに。トップオブトップの貫禄はモニター越しでも伝わるものだ。
「彼女と君が組むとしたら?」
「いやいやいや! それはダメでしょ!」
「具体的にどうダメなんだい」
「がんばるし、追いつくけど、さすがにちょっと次元が違うというか。相手に悪いし……あ。そうなの? レイシャが気を遣ったってこと?」
「やや温い表現だね。身を引いた、のほうが的確だろう」
「なんだそりゃ……」
仰向けにばったりと倒れ込んだ。ぐんにょりした体を受け止めてベッドが沈む。私がこんな状態になった時は、レイシャが胸の谷間に飛び乗ってきて「根性なしね!」と叫んだものだけど、根性なしはそっちじゃないか。
「あーあーあーもう。なーんでそうなるのかなー。私はレイシャががんばってるから、がんばれてたのに。どっちが上とか下とか考えてなかったし、私の方が強いって思いこんだ挙げ句、言い方変えても逃げたってことに変わりないじゃない。あーもう! なんかすごいムカついてきたし!」
がばっと起きた私を、サクラの哀れむような悼むような視線が迎えた。
「君は真実、強者だな。右手と左手に別の物を持ったまま前に進めると信じているタイプだ」
「なによ。そのために手が二本あるんでしょ」
サクラはゆるゆると首を振った。
「もう少し本を読んだりしたほうがいいかもな。プログラムの教本ではなく、物語があるものだ。共感力に加えて想像力がなさすぎる」
「うぅ、マジ説教キツイ……」
「人や妖精関係にも恵まれているようだし必要なかったのかもな。RFの時はそのあたり、レイシャがサポートしていたんじゃないか?」
「うん……そう」
私たちがどう戦っていたのか、指摘されて気づいた。レイシャが相手の思考や戦術を分析して、私がその先の手を打つ。そうやって勝ってきたんだった。
「ほら。やっぱりレイシャ弱くなんかないよ。勝利に貢献してる」
「彼女に言ってやるといい。きっと自信になるだろう」
「自信がない。自己評価が低い……左右の手で別の物を持てないと思っている。私はこれをレイシャらしくないと感じるけど、これが本心なの?」
「そう推察するのが妥当だ」
「じゃあこのギャップはなに? あ、待って考える。想像する」
レイシャは世界最強を目指す妖精。関連ありそうな要素を思い出し集める。気合い、根性、負けず嫌い。自分評価が低い。RFに詳しい……ということは、どれだけ強大な相手に挑まなければならないか熟知している。弱いものがそれでも勝ちたい時どうするか?
私はまぁ色々と考えてしまうけど、レイシャは……「私は世界最強」「絶対に勝つ」「勝つ」……強い言葉を選んで弱音は絶対に吐かなかった。レイシャがそうしてくれたから、私の気分も上がって緊張がほぐれてきた。
……少し、飛躍する。いやこれが想像力を働かせるということか。つまり、レイシャも、自分の言葉によって自分自身を鼓舞していたのではないか、と想像する。自分を大きく強い存在だと思いこむ。つまり強がっている。でも、レイシャの自信ある態度は対戦前だけじゃない。いつもあんな調子だった……
「え。待って。じゃあレイシャは常に強がってたってこと?」
サクラは重々しくうなずく。
「一度気を抜くと終わりだそうだ。走り続けて、足を止めてしまうともう走り出せないのに似ているらしい」
「そんな……」
私がレイシャのおかげで、どれだけ楽になったか、救われてきたか! それなのにレイシャは一時も心休まることがなかったなんて。私はなにをしてたの。なんのためにいたの?
「君に責はないよ。レイシャの決断が故だ」
「でも。そんなの辛すぎる」
「それも君の決め付けに過ぎない。他者の心はブラックボックスだと言ったばかりじゃないか」
「ずっと走り続けて息が切れないはずない。辛くないわけないじゃない」
「繰り返しの答えになる。少なくともあの場で、レイシャは辛いとも辛くないとも表明しなかったし、態度からも読み取れなかった」
「そうだとしても! 私はっ……!」
サクラがフフッと笑う。ちょっとピキッとくる笑い方だ。
「君は優しいな。レイシャを大事に思っている」
「……別に。大事とかじゃないけど」
「素直になれとは言わないさ。お互い様だろうしな。なにが最善か、よく考えることだね。これに関してはここまでだ。少し話を戻そう」
「レイシャのところに案内してくれる気になった?」
「君は手がかりを見つけたに過ぎない。レイシャに臨む準備が済んだわけではない。それに、レイシャは必ず大会に来る」
「そこまで言う……そこまでしか言わないってことは、信じる以外なさそうだね」
「この件については私が責任を持とう。君は頭と心の整理、それとアプリの完成を急ぐことだね。少しそれたが、私が話を戻したかった地点は、レイシャはなぜ、藤野嬢に本心……のようなものを打ち明けたか、だ」
「そう! それだよ。どうしてなの?」
「藤野嬢にも関わることだからあまり多く語るのはよそう。言えるのは、レイシャと藤野嬢は似ているということだ。だから親近感を持った」
「それは今までの推察を踏まえてだよね。つまり藤野先輩もずっと強がってきたってこと?」
サクラは肩をすくめただけ。これ以上答える気はないということだ。
レイシャが抱いた親近感は、きっと私とは共有出来ないものだ。レイシャは可愛いし、パートナーとして、その……大事とかじゃないけど、まぁそこそこにアレなわけだ。でも、近しい存在と思ったことはない。
レイシャが、私といることで気を張り続けなければいけないとしたら……?
「さっき、私とサクラは似てるって言ってたよね。じゃあレイシャは藤野先輩みたいな人と組んで、私はサクラみたいな妖精と組むのがいいのかな……」
「仮に、私と君が組んでみたと想像してみようか」
「え~? あれ? ……なんか、違う、かも?」
首をひねる私。サクラも同じように思ったのか苦笑していた。
「似ているからといって、上手くいくものでもないようだ。私はアイリスがパートナーで満足しているが、このような謀りごとを共に楽しめはしないだろう。そういう意味でも、君が友人でよかったよ」
サクラが同意を誘うように目を細める。私はちょっと笑って、
「そうだね。……うん。全部じゃなくてもいいよね。私もレイシャのすべてを受け止めきれないし、レイシャもきっと私を理解し切ることはないと思う」
「私に出来るのはこの辺りまでだな。……やれやれ正直疲れたよ。君がこんなに鈍いと思わなかった」
「やってるけどさーやるけどさー。本人いないところで心を読み解くとか鬼ゲーだって」
「こう言ってはなんだがレイシャの核の部分は、そう特異なものではないだろう。彼女はピクシーなのだから」
「ピクシーだからなんなの?」
私の素の疑問にサクラは胡乱げに眉をひそめた。
「……あり得ないと思うが。一応、な。一応」
そしてサクラは驚愕の事実を語った。
「はぁぁぁ!? なにそれーー!」




