ガール ミーツ フェアリー 1
陽光が葉桜を透かしている。下校途中の私は、気持ちいい陽の中、自転車をこいでいた。
「うん、今日もいい感じ」
ハンドル中央部に投影されたホロモニター上の消費カロリーを見て小さく満足する。
信号に引っかかった。静音対策を施された自動車が、独特の低い電子音を鳴らしながら行き交う。
ちょうどいい。横のビルのガラス壁を見て前髪を直す。ショートの髪と大きな目は自分でも気に入っているけど、その下の、どことは言わないが心臓の上辺りの大きな二つの脂肪のかたまりが気に入らない。体重とプロポーション管理の難易度は鬼ゲー並だし、変に目立つのは嫌なので、ブラウスとブレザーのボタンはきっちり止めているせいで窮屈感はあるし、大事なのはバランスだと自分の体に言いたかった。
信号が青に変わる。仕方ないものは仕方ない。とにかく運動しよう、前に進もうと自転車を漕ぎ出す。
「前じゃなくて左に曲がるんだけどね」
信号を渡ってすぐの角を曲がる。通い慣れた地元の道だ。目をつぶっても家に帰れる、というのは言い過ぎだけどそれぐらい慣れてる。角を曲がってすぐコンビニ、マンション、ドラッグストア……
「あれ?」
前にはさっき通りすぎたはずのガラス壁のビルがあった。周りを見渡すと、信号に光は点いておらず車も通っていない。通行人のざわめきや車の音、その他一切の気配がない。
「これはやられちゃったかな」
昔の人の感覚で言えば、いきなり野良猫にタックル食らったぐらいだろうか。少し考えて、今度は信号を渡って直進してみる。やっぱりほどなくして、さっきのガラス壁のビルが見えてくる。
「ループ仕込まれてるのか。結界ならMAGIC JAAV辺りが多いのかな」
「ますます気に入ったわ」
声は上からだった。声の主はゆったりと降りてきて、私の額ぐらいの高さで止まった。
私の前で浮遊しているのは、可愛らしい少女だ。髪はピンクで瞳はエメラルドグリーン、やや布地の少ないワンピースドレスをまとって、活発そうな印象を受ける。その身長は一五センチほど、背中に半透明の羽。妖精だ。
妖精は一度、私の体をスキャンするように見て、ふふんと勝ち気そうに笑った。
「私はレイシャ。あなたは?」
「ん。鏡島優奈だけど」
「名前もいいわね」
妖精の多くは、あけすけ。あるいはテキトー。いきなり呼び捨てにしたり、されたりしても気にすることはない。
「突然の事態に動じない度胸、分析する冷静さ。プログラミングの心得もあるみたいね。上出来よ」
「はぁ。どうも」
「それになにより見た目がいい。一部、無駄に大きいパーツがあるのがどうかと思うけど」
「ほっといてよ!」
思わず腕で体を抱く。
私が生まれる少し前、妖精がこの世界に出現した時、それはそれは大騒ぎになったそうだ。だけど今では、楽しい隣人のようなポジションで落ち着いている。私も、妖精に絡まれるのは初めてではなかった。
「それで、レイシャがこの結界の犯人ってわけ」
「人聞きの悪い言い方しないでちょうだい。私に招待されたのだから光栄に思うべきだわ」
「それはどうかなぁ」
こういう経験は初めてじゃないけど、こんなに偉そうなのとは初遭遇だ。思わずジト目になる。
レイシャは気にした風もなく、得意げに続ける。
「ゲームをしましょう。あなたが勝ったら私がひとつ、何でも命令を聞いてあげるわ」
「負けたら?」
「当然、その逆よ」
「いやいやいや。リスク高すぎるでしょ」
「見合うリターンがあるでしょう。それともなに? 私に恐れをなして、一刻も早く逃げ帰りたいとそういうわけ?」
ピキっときた。
「そんなこと言ってない。さ、なにするの? なんにしたって徹底的に潰すけど」
「愉快な冗談ね。笑えないところが特に笑えるわ」
レイシャは数メートルほど離れて、手を一振りした。すると、歩道いっぱいの大きなチェスセットが現れた。さらに私とレイシャの頭の上にはゲージのような物が浮かんでいる。
妖精出現当初こそ混乱したらしいけど、今では妖精の特性もある程度解明されている。情報生命体と定義された妖精たちは、まずなによりも魔法を使うのが特徴だ。
魔法言語で記述されたアプリケーションに妖精が魔力を込め、世界を上書きする、これが魔法だ。迷路じみた空間を作ったり、チェスセットを構成するプログラムなら私にも作れると思う。ただ人間は魔力を扱えないため発動には至らない。
「……駒が可愛い」
つい頬が緩んでしまった。ポーンは花で、クイーンはエプロンドレスの少女。他の駒もデフォルメされたウサギやライオンやユニコーンになっている。
「なるほど。『鏡の国の』ってわけね。でもいいの? 私、チェスは結構得意だけど」
「心配ご無用」
配置されたチェスの駒が消え失せ、ポーン以外の駒がめちゃくちゃに並べ替えられた状態で再び現れる。
「ランダムチェス!」
「それだけじゃないわ。一手の持ち時間は三秒。それを過ぎると相手に手番が回る上に、その頭の上のゲージが減っていくの。チェックメイトはもちろんだけど、このゲージがゼロになった場合も負けよ」
私はゲージを見てみる。緑色のゲージが満タンになっている。ようは自分の体力だ。
「ランダムにブリッツに、体力ゲージか。いいね、楽しそう」
「私が考案したのだから当然ね。じゃあ始めましょうか。駒の移動は音声認識で。初手はあなたからでいいわ」
初手は格下が指すものだと知ってて言っているに違いない。これは「わからせて」やる必要がある。