光の波、人の渦
「俺らさぁ、やっぱり合わないと思うんだよね」
深夜のドライブの最中、タカシがそう切り出した。
「そう? どうしてそう思うの?」
奈津は聞き返した。
「だってお前、俺といてもあまり笑わないしさ、そういうの、一緒にいて面白くないし」
「自分がつまらないことしか言ってない、とは考えないんだね」
奈津はタカシから視線を逸らして、そう返した。
「ほら、そういう所が合わないって言ってんの。可愛げないって言うかさぁ」
『可愛げがない』
それを言われるのは、これで何人目だろう。奈津は内心うんざりしたため息をつく。
どの男も、向こうから声をかけてきて、同じ言葉を残して去って行く。声をかけられるために自分の方から可愛いふりをしたことなど、一度も無いのだが。
「そうやってそっぽむいて、言いたいこと言ってさ」タカシはそう続けた。確かに、可愛げのある女の態度ではないだろう。
十人並みの顔に、結構なスタイルの良さ。性格は特別に良くも悪くもない、と自分では思う。少しばかり、人嫌いの節はあるが。
空っぽな男が、スタイルの良さだけを見て、つきあわないかと声をかけてくる。それに応じる自分も、空っぽで自信がないのだろうと、奈津は思った。そう思うほかに、この苛立ちを抑える方法は無かった。
「別れ話をするときは、ドライブは止めた方がいい」と奈津は言いかけて、黙った。
密閉空間でこれ以上お互いに感情的になるのはいいことではないと思ったのだ。その結果、真夜中に見知らぬ場所で降ろされたくはないし、ましてや走行中の車から放り出されたくはなかった。口にすればその考えを最後まで言ってしまうだろうし、言ったことを実行されてはたまらない。
それにしても、今日がなんの日か分かっていてこの話を切り出したのだろうか、と奈津はタカシの発言を訝しむ。
「すぐ黙る。思ってること、ちゃんと言えば?」
言えば機嫌が悪くなるのはそちらでしょう、と奈津は心の中で独りごちて、そのままだんまりを決め込んでいた。
『別れたくない』『捨てないで』おそらくはそんな言葉をタカシは期待しているのだろう、捨てる気満々のくせに勝手なものだと、そう奈津は思う。
カーラジオからは気の利かないDJのおしゃべりと、この場にそぐわない甘ったるいラブソングが延々と流れてくる。それが奈津の癪に障った。奈津はラジオを切るか、局を変えようか、そんなことを考えていた。
ラジオを操作しようとして、奈津は手を伸ばした。その手がスイッチの手前で止まる。ラジオから、もうこの世にいない男の、しゃがれた、それでいて艶っぽい声が流れ始めた。
ラジオから流れる、ラジオを歌った歌。奈津はその歌が好きだった。彼女自身は授業をサボって屋上で煙草を吸ったことはなかったが、その情景を想像すると、不思議と頬の筋肉がやわらかくなった。
「いいなぁ、この歌」
「あぁ?」
「思ったっこと言えって、タカシ、言ったでしょ」
「おまえ、日本語わかってる?」タカシが不機嫌そうに答えた。
「俺が言った『思ってること』っていうのは、俺の言ったことについてどう思うかってことであって、おまえの音楽の趣味を訊いてるわけじゃないんだがな」
「別れたいんでしょ、いいよ」
奈津はそう答えると、その後は口を閉ざしてラジオに耳を傾けていた。
本当は、この歌の主人公みたいに、人の群れからそっと離れて、ただ自分の好きな物に耽溺する時間を過ごしたかった、と奈津は思う。
何が自分を人の渦に押し戻すのか、奈津自身にも分からなかった。
そこが居心地いいと感じたことなど、一度もなかったというのに。
曲を聴き終わってから、奈津は気づいた。その曲がかかっている間、タカシはずっと黙っていた。
「どうして黙ってたの?」
別れ話の続きを、勝手に話していればよかったのだ。それとも、話す価値もないと思ったのか。
「おまえが真剣に曲聞いてたから」
タカシから返ってきた答は、奈津にとって意外なものだった。
『おまえの音楽の趣味を訊いてるわけじゃない』
そう、タカシは言った。
そのタカシが、自分の音楽の趣味に合わせてくれた訳だ。別れ話を切り出してきたというのに。そんな優しさを持った人だと、今まで気付かずにいた。
「……ありがとう」
奈津は、戸惑いながらも素直に言った。相手の優しさに気づかない、心の空っぽさではどうやら自分の方が上のようだと奈津は思う。
「意外だった」
「え?」
自分の心を読まれたようで、奈津はどきりとした。
「そういう歌、聴くんだ」
「ああ、うん」
「俺ら、付き合ってどのくらい経つ?」
「半年くらいかな」
「それで、そんなことも知らなかった」
「うん、言ったことない」
「なんで言わなかったの?」
「別に。一緒に聴く理由も無いでしょう」
アーティストが現役ならあるいは、ライブを一緒に見に行くという理由を作って口にしたかも知れないけれど。
「やっぱり可愛げ無いな」タカシは苦笑する。「そういうの、お前らしいけどな」
タカシは車を走らせる。この先には、小さな展望台がある。街の夜景が良く見えるその場所は、今日みたいな天気のいい夜は人気があった。案の定、狭い駐車場はほとんど埋まっている。それでも何とか空いたコマを見つけて、タカシは車を止めた。
「降りるぞ」
「ベンチ、混んでるよ」
「いいから。こういう時は世間に合わせて行動するもんだろ」
「こういう時って?」奈津は聞き返した。別れ話は人気の無いところでするものだと思っていたのだが。
「いいから、ほら」
結局タカシに言われるまま、奈津は車を降りた。二人で展望台へ上がる。見下ろすと、眼下に街の灯りが広がっていた。散らばった色とりどりの光は美しい光景だった。夜の街は、海に似ていると奈津は思う。ところどころでうごめき点滅する光は、わずかな光を反射して揺れる夜の波のようにも見えた。あの光の波は、奈津が嫌いなはずの人の渦が作り出しているのだ。そしてその渦の中で、人は皆、それぞれの暮らしを精一杯営んでいる。
ああそうか、と奈津は思う。自分もまた大きな人の渦の一滴なのだ。望むと望まないとに関わらず、そこが自分の帰る場所なのだ。あの歌の主人公も、煙草を吸い、ラジオを聞き終わったら、同じ渦の中に帰って行くのだろう。望む訳ではない、そこが唯一の生きる場所だからだ。
「これ」
街の灯りを見つめる奈津に、タカシが何かを差し出す。見ると、それはリボンのかかった細長い箱だった。
「まだ、ぎりぎりセーフだよな?」
「え? なにが?」
「誕生日」
奈津は、タカシと差し出された箱を交互に見つめた。
「さっきの話、別れ話だと思ってたんだけど」
「勝手に決めるな。だから可愛げ無いっていうんだよ。要らないのか?」
タカシは小さな箱を奈津の胸元に押しつけた。奈津はその箱を手に取る。外灯の下で見る箱の包みとリボンには、世間でよく知られたブランドのロゴが綴られていた。
「これ、返品しない?」
「なに、別れたいのはそっちな訳?」
「そうじゃなくて」奈津は自分の顔にはにかむような笑みが浮かぶのを感じながら言った。「このブランド、あまり好きじゃない。すごく高いでしょ、これ」
「だから?」
「これ返品して、今度会うとき一緒に選んでよ。私が気に入る物は、きっとこれの何分の一かの金額だから」
「気に入らない物は欲しくない、か。わざわざ選んで無理して買ったのに、思いやりのない返事だと思わねぇ?」
「うん。だから、次は間違えないよう、タカシには私の好きなものをこれから知って欲しい。私もタカシの好きなもの、ちゃんと知りたい。それがバースデープレゼントじゃだめ?」
タカシは不機嫌そうに奈津を見つめていたが、不意に手を伸ばすと不機嫌な顔のまま奈津の髪をぐしゃぐしゃとかき乱すように撫でた。
「……その撫で方、好き」
照れて緩んだ頬を見られたくなくて、奈津は少しうつむいて呟くように言った。
「帰るぞ」
奈津の言葉には答えず、タカシは奈津に手を差し出す。奈津はためらいがちにその手を取った。手を引かれたまま、駐車場へと戻る。
「やっぱり、俺ら合わないよな」
「え?」
奈津は聞き返した。『やっぱりこれで終わりか』と思いながらも、気分は不思議と厭世的でも絶望的でもなかった。
「だからさ、これから時間かけて合わせていこうぜ」
少しの間を置いて、タカシがそうぽつりと言った。
「……うん」
二人は車に乗り込む。これから自分たちは、あの光の波の一つになるのだと奈津は思った。帰りのドライブでも、二人はきっと噛み合わない会話を続けるのだろう。そして大嫌いな人の渦へと帰って行くのだ。
今日よりほんの少しましな明日を迎えるために。
正直、苦手すぎるジャンルです。
『スローバラード』をお読みになった方はお気づきかも知れませんが、とあるフレーズがほとんど同じです。そのフレーズは、故・忌野清志郎氏の声について私が感じていることです。
角川Twitterコンテストにラジオ局が参入して、「ラジオ」という単語が出て来る小説を番組で朗読するということになり挑戦しようと思ったのですが、日頃ラジオを聴かない私には、RCサクセション以外思い浮かびませんでした。候補曲は『スローバラード』、『雨上がりの夜空に』、『トランジスタ・ラジオ』の3曲。この話は、『トランジスタ・ラジオ』をモチーフにしています。
結局、投稿作は『スローバラード』になり、この話は途中で投げ出したままでした。
今回、ちょっとした気の迷いで、仕上げて投稿いたしました。
お楽しみいただければ、幸いです。