第一章 そのサークルの名は『妖怪探究会』 06話
鈴美音さんは「待ってました」とはやしたて、守屋は「ふん」と鼻を鳴らしこちらを鋭く見つめ、早乙女は文庫本をいったん閉じた。
「早乙女さんについてなんだけど」
「私?」
「そう。早乙女さんは、おそらく両利きだ」
どうだ、と思い、彼女の方を見る。
早乙女は静かに頷く。
「そう。私は両利き。どうしてわかったの?」
別段驚いているわけではない。
まあ、注意深く見ればわかる問題だしな。
頭の中で整理し、語り始める。
「さっき書いた発足届にある早乙女さんの名前、右側に多少擦れていた。あれは左利きの人がインクのペンで書く時によく起きることだ。左手で書くと、インクが乾かないうちに手を動かしまい、あんな跡が残るんだ」
そう言うと、鈴美音さんはさっきの発足届の紙をもう一度取りだし、まじまじと見た。
「ホントだ」
「それなのに、早乙女さんの腕時計。左利きなのに左腕につけている。普通左利きは右腕につけるのに、おかしい。そして文庫本は右の手で読んでいた。
これらを総合的に考えると、早乙女さんが両利きであることがわかったんだ」
言い終えると、早乙女……ではなく鈴美音さんが声を挙げて驚いた。
「すごい!さすが私が見込んだ男!」
次いで早乙女も冷静に反応する。
「ふ~ん、少しは論理的に考えるのね」
大したことを言ったつもりはないが、そう言われると照れる。
「なるほどな」
短く守屋は呟いた。心なしか悔しそうだ。
「だが、それは時間をかければ誰だってわかるし、ただ単に観察した点がよかったといえる。つまり運が良かったんだ。もしかしたらあらかじめ知っていたという可能性もあるんじゃないか」
そんな批判にムッときたが、反面その通りだと思った。
あらかじめ知っているわけないのでそこは否定したいが、運がよかったというのは事実だ。
しかし、おれにはもう一つ隠し玉がある。
こっちは自信がなかったのであまり言いたくなかったが、仕方ない。
「じゃあもうひとつの方を言う。守屋自身のことだけど、いいか?」
「なにっ」
思った通り、守屋は驚いた。
しかし、こいつはリアクションがなんだかおもしろい。
「守屋、二時限目は実技、つまり体育の授業してたんじゃないか?それもサッカー。頭のケガも、その時のものじゃないか」
「バカな!見てたのか?」
予想通りの反応をしてくれる。そうなると、こっちも説明しやすくなる。
「もちろん違うよ。まずおまえから何かを推理しようと思った時、その包帯のケガの理由を当てようと思ったんだ。次に目をつけたのは、その泥だらけの靴。泥がついたのは真新しそうだから、ここに来る前に泥の多い場所、例えばグラウンドにいたからだと言える」
この学校の敷地内の地面はほとんどコンクリートだ。大量の泥がついているとすれば、雨でぬかるんだ地面があるグラウンドしかない。
「この大学の、グラウンドで行う体育の授業は、サッカー、テニス、陸上の三つだ。あいにく今日行う体育の授業なんて把握してないが、考え方によっては絞り込める。とりあえず、テニスは外れる。テニスコートは泥がないからな。あと二つうちどれかが問題だった。
話は変わるが、今日の雨はひどいが、一時的に止んだ。止んだのは二時限目が始まって、二時限目が終わるまでだった。大抵、雨が降ったら外で行う授業は休講になるが、守屋を見ると確かに授業は行われたんだ。つまり二時限目にあった体育の授業が、守屋が受けた授業だ。まあ授業開始直前まで雨が降っていたなら普通は休講になると思うが、そこは講師の熱血さによって違うんだろう」
ここで一息つく。疲れた。
けど守屋は簡単に休ませてくれなかった。
「待て。確かに二時限目の授業だった。そこまでは合っている。だが、そこからどうやって陸上とサッカーの、どちらかがわかったんだ?」
しまった。いったん区切ったせいでうまい言葉が出なくなった。
適当にあーとか、えーとか言って時間を稼ぎ、なんとか文章を導き出す。
「その頭のケガ。サッカーコートにヘディングしてできたんじじゃないのか?」
守屋はうっと呻く。
図星か。
「陸上の競技は、100メートル走とか高跳びとかだろ。頭を怪我する確率がほとんどないといっていい。唯一あるのは砲丸投げくらいだが、入学したばかりの一年生にいきなり砲丸投げを教えるのはないと思う。推測だけど。サッカーの場合、ボールは頭にぶつかっても包帯を巻くようなケガは滅多にしない。サッカーの中で堅いものにぶつかるとしたら、あのサッカーコートぐらいだろうな」
なんとか話し終えた。
「すごい!二つも推理するなんて、予想以上の推理力だよ」
鈴美音さんはまたもやはしゃぐ。
早乙女は何も言ってこないが、一言「ふ~ん」とだけ声を漏らした。
さて、当の本人である守屋は。
「ちくしょう。そこそこは役立つ頭持ってるじゃないか」
悔しそうにおれを見る。
それはどうも。
認められたようで何よりです。
ホッとしたのも束の間、鈴美音さんは立ちあがった。
今度は何する気だ?
「じゃあ、昼休みももうすぐ終わるので、今日は解散とします。本当はこれからの活動方針を決めたかったけど、しょうがないよね。そのかわり面白いものも見えたし」
面白いものっておれのことか。
なんだか曲芸師みたいな気分だ。
とりあえず一息つく。
「やべえ!次の講義の課題まだやってねえ!すいません、先に失礼します!」
守屋はそう叫ぶと、疾風の如く部屋から出ていった。
と思ったら、また戻ってきた。
「おい甲坂ゆと!おまえのことはまだ完全に認めたわけじゃないが、仲間としては歓迎してやる!またな!」
言い残し、また去ってゆく。
あいつ、意外に良い奴かもしれない。
「じゃあ私も先に失礼する」
早乙女はゆっくりと立ち上がり、部屋から出ていこうとする。
去り際、おれの目を見ずにぽつりと言った。
「二回目の推理はそれほど関心できなかった」
「え?」
「動かぬ証拠というものがなかったから。けど話の順序を構築することはうまいと思う」
長い髪をゆらし、静かに去っていく。
批判されたような、褒められたような。
いずれにしてもなんて上からの目線だ。
「甲坂君、けっこうみんなに好かれたみたいね」
鈴美音さんはクスクス笑っている。
「はいこれ」
彼女が取りだしたのは、おれの財布だった。
おお、おれの命!相棒!
「中身は取ってないから安心して。信じられないなら見てみてもいいけど」
「いや、そこは信じるよ」
財布を今度こそ失くさないように、鞄に入れておく。
「悪いけど、この発足届を教務課に出すの付き合ってくれる?」
それくらいなら別に付き合ってもいいが。
「一人で行かないんですか?」
「ちょっと君と話したいこともあるし」
相変わらずの笑顔で言う。
*****
外に出ると、いまだに雨は降り続けていた。
最初は雨は嫌だと感じたが、この雨のおかげで一つ推理できるものが増えた結果になったこので、この雨に少しは感謝した。
「ねえ、私傘持ってきてないから相々傘してくれない」
「へっ?ああ、うん、いいですよ」
そう言えば、彼女だけ傘を持っていなかった。てっきり折り畳み傘でもあるのかと思っていたが。
差した傘の中に彼女は無理やり飛び込む。
やはり、もう少し異性として見てもらいたい。こういうのは、その……恥ずかしい。
「なんで傘を持っていないんですか?朝からずっと雨だったのに。どうやって学校に来たんですか?」
気持ちを紛らわせようと、疑問を持ちかける。
「私、行きは送ってもらったの」
そういうことか。
それなら納得できる。
「あの二人、どう?仲良くなれそう?」
「これからの成り行き次第ですね。悪い人たちじゃないのはわかるけど」
「守屋君は昔から私に対してあんな態度でね。まあ幼馴染みたいなもの。葵ちゃんは、高校からの私の友達。二人のサークルに入る経緯も教えようか?」
「いや、いいです」
それを聞いても得にならないしな。
少しの間沈黙が続く。
「ねえ、甲坂君。少しお話しようか」
鈴美音さんは笑顔のまま切り出した。
「なんですか。改まって」
「君、妖怪ってどんなものだと思う?」
唐突だった。しかし答える言葉はすぐに見つかる。
「河童とか、鬼とか、ぬりかべとかじゃないですか」
「本当にそう思ってる?」
足が止まる。何かを見透かされた気がした。
「どういう意味ですか?」
「君は知ってるんじゃないかな。本当はそういうものじゃないって。幽霊みたいに霊感がある人にしか見えないっていう話もよく聞くけど、違うんでしょ。君は妖怪の正体を知っている」
雨の音が大きく聞こえる。
「なんでそう思うんですか」
「言ったでしょ。君と私は同じ匂いがするって」
「だから、なんで匂いが関係してくるんですか」
「君と私の共通の匂いはね、妖怪に実際に会ったことがある匂いなんだよ」
言葉を失う。
秘密を知られていたという動揺と。
彼女が何者かという少しの恐怖心で。
「妖怪に会ったことを自覚している人間なんて滅多にいない。そう思うでしょ」
この人はなんなんだ。
平然を保ち、言葉を返す。
「気のせいじゃないですか。それに、妖怪探求会なんてサークルを立ち上げたばかりで言うのもなんですけど、本当に妖怪が実在するとは限りませんし」
「うそはいけないよ。甲坂君」
鈴美音さんは笑顔なのに、威圧感をおれに与える。
「この世に生きる妖怪っていうのは」
雨は降り続けているのに、雨音が止まった感覚に陥る。
「私たち人間と同じ姿をして、社会に溶け込んでるってこと。甲坂君なら知ってるでしょ」
呆然と彼女を見つめる。
「鈴美音さんは一体・・・」
彼女は変わらず笑顔で答える。
「私は妖怪探求会の部長で、君の友達。それだけだよ!」




