間章 甲坂ゆとの追憶
おれは普通の人間だったと思う。
幸せな家族の中で育ったし、多くの友達もいた。よく遊び、よく食べ、普通に生きてきた。何かに窮屈さを感じるわけでもなく、幸せだったと思う。
それでも、何かが足りない気がしていた。周りの人たちはみんな良い人ばかりだ。話すのも遊ぶのも楽しい。けれど何か物足りなかったのだ。
それをうまく言葉に表せず日々を過ごしていたある日、一人の少女と出会った。あれは確か、小学二年生の夏だったと思う。
公園で友達と遊んだ後、おれ一人が公園に残っていた。どうせ帰っても親は仕事に行っていて、家には誰もいないからだ。適当に一人で遊んでいると、同じくらいの歳の少女が公園の入り口に立っているのを見つけた。
一人で遊んでいておれも暇だったのだろう。その少女にすぐ声をかけた。
「君一人なの?一緒に遊ぼうよ」
おれたちはすぐに打ち解けた。一緒にブランコに乗ったり、すべり台で滑ったりした。そして遊ぶのに飽きて、お互いのことを話し始めた。おれ自身の話は誰が聞いてもつまらない話だったと思う。平凡な人間だったからだ。ところが彼女はそんなおれ自身の話にとても興味を持って聞いてくれた。
彼女は自分のことをあまり深くは言わなかった。そのかわり、彼女はおれにとってとても興味深いことを話してくれた。
それは「妖怪」という生き物たちのこと。
おれの心の隙間が埋まるような気分だった。この話こそ、おれが一番知りたかったことなのだと実感した。もっと、もっと知りたいと思った。その日からおれたちはちょくちょく会うようになった。
その少女は「ユズネ」と名乗った。愛称として「ユズ」とも呼んでいた。そのユズネを友達に何度も紹介しようとしたが。彼女はなぜか断った。おれは照れているのだろうと簡単にそれを受け止めた。まあ嫌だと言ってるのだから、無理に会わせる必要もない。彼女とはいつも二人きりだった。
ある時、おれと彼女が二人きりで公園にいるところを友達の一人に見られ、無理やりユズネをみんなに紹介する羽目になってしまった。別に悪いことはしていない。バレたから
には堂々とみんなの前で紹介した。きっとみんなともすぐに打ち解けられるだろう。
しかしその考えは甘かった。
ユズネはおれ以外の子とはほとんど話せなかった。話そうと努力しているようには見えるが、いつも俯き、目を合わせるのも難しいようだった。そんな態度のため、みんなユズネとはあまり打ち解けられなかった。
そんな中、ユズネがどの学校にも行っていないという噂がおれ達の中で流れ始める。
「僕、見たんだよ。火曜日のお昼ににあいつがウロウロしているの。その日僕は風邪をひいて二階の部屋で寝てたんだけどさ、窓からあいつの姿が見えたんだ。あいつ学校サボってるんだよ絶対」
確かにユズネが学校の話をしたことは一度もない。あれは学校に行ってなかったからなのか。その噂を聞いた奴らは、みんなユズネを避けるようになった。自分たちは学校に行かなきゃ行けないのに、どうしてあいつだけは違うんだ。そういう気持ちがあったのだろう。もちろんおれは必死に彼女を庇った。だがみんなは聞き入れようとはしなかった。
次第におれからも離れるようになった。結果、おれとユズネは二人ぼっちになってしまった。
最初は悲しい気持ちがあった。けれど時間が経つにつれその気持ちも薄れていった。みんながいなくても、ユズネはいる。彼女がいれば、また妖怪の話を聞ける。それで十分だった。おれたちはいつもの公園を抜け、一キロほど離れた空き地を新たな遊び場にした。
それからしばらく経った頃、ユズネが珍しくユズネの友達を連れてきた。そいつは背が高い男の子で、おれたちよりもいくつか歳をとっているように見える。話してみると気が合い、それからそいつとも遊ぶようになった。
それを境に、ユズネの友達が友達を呼ぶ連鎖を繰り返し、気がつけば結構な数になって
いた。中には明らかに大人の姿もあったが、おれはもちろん嬉しかった。
中学に入ると、昔のことを忘れたのかあの時の友達の何人かとはまた話すようになった。
けれど以前のように親しくはなれない。おれは学校の奴らとは当たり障りのない会話をするだけの関係を作り上げ、決してそいつらを「友達」というカテゴリには入れなかった。
友達ならあの場所にいる。だから平気だ。その頃のおれは、放課後にあの場所で、妖怪のことを教えてもらったり、それを自分で本にして書き留めたりするのが日課となってい
た。
だが、小学校の高学年になった頃から、おれはさすがにおかしいと感じ始めた。
まず、あの場所に集まってくる人たちの中に大人がいることだ。普通、午後四時ごろは大人だったら仕事をしているはずではないか?
そして多くの人が、ユズネと同じく学校に行っていないようだった。
ほかにもいろいろ不可解なことはあったが、気づいてからも深くは追求しなかった。
そしてある時、おれは思った。
ユズネは、成長していない。
出会ってから四年ほど経ったのに、おれに比べてユズネは背が小さい。考えてみると、出会った頃とそれほど変わっていない。
全く成長していないと言えば嘘になるが、この成長速度は明らかに異常だ。
これをきっかけに、おれはユズネを問い詰めた。
おれがそのことを話し終えると、ユズネは俯いたままポロポロと涙を流した。泣かせるつもりなど全くなかったため、おれは焦った。
「ごめんなさい……騙してて……」
なぜ謝られるのか。わけがわからない。何を騙したんだ?そう思っていると、次の瞬間に彼女は驚愕の事実を言った。
「私、妖怪なの……」
目玉が飛び出るほど驚くとは、まさにこのことだ。妖怪のことをあれだけユズネから聞いていたが、そのユズネが妖怪本人だったとは。周りを見渡し、その瞬間ここにいるみんな全員が妖怪なんだと理解した。
驚いた。けれど徐々に喜びの感情が湧きあがってきた。今まで妖怪たちと会って話していたなんて!
その喜びを真っ先にユズネに伝え、みんなにもおれの気持ちを話した。
みんなはおれの反応が予想外だったのだろうか、唖然としていた。唯一、ユズネだけはその状態を脱して、微笑んでくれた。それを見ておれはとても嬉しかった。
「ゆとが友達になってくれて、本当に良かった……」
そう言われておれは恥ずかしくなる。
それを機に、この日は解散ということになった。帰り道、おれは興奮していた。
その日から数日間、いろんな妖怪と触れあった。時には人間の姿を解き、本当の姿を見せてくれる人もいた。人間の姿を解くことを頑なに拒否していた妖怪もいたが、それでも妖怪の知識をおれに教えてくれた。おかげでおれの作る「妖怪図鑑」は日に日に厚みを帯びていった。
だが、そんな日々は唐突に終わりを告げる。
ユズネたちが妖怪であることを告げた日から数ヶ月経ったときだ。おれはいつものようにあの場所へと向かった。着いた時、いつもは数人いるはずが今日は誰もいない。こんな日もあるのだろうとおれはずっとそこで待ち続けた。
夜遅くになっても、誰も来なかった。その時から嫌な予感はした。
それでも次の日は来るだろうとまたあの場所で待った。結果、誰も来ない。その次の日のその次の日も、誰も来ることはなかった。
誰も来ない空き地に通うようになったある日のこと、意気消沈していたおれに一通の手紙が届いた。差出人不明で家のポストに入っていたのだ。
開けてみると、それはユズネからだった。
手紙にはかなり短い文章しか書いてなかった。
『さようなら』
おれは絶句した。
数年も一緒にいて、「さようなら」の言葉だけ?そしていなくなった理由も書いていない。ユズネとみんな、どうして急にいなくなったんだ!
おれの心の隙間が広がった。以前よりもさらに大きく。心から信じていた友達を失くしてしまったからか。あんなにユズネと、そして他の妖怪たちと通じ合っていたのに。
もしかしたら、おれはユズネに友達以上の感情を抱いていたのかもしれない。だからこんなにポッカリと心に穴が開いた気分になってしまったのだ。
そんな絶望を感じていたある日、おれは開き直った。
もう誰にも心を許さない。
人間に対しては今まで通り薄い関係を築いていく。妖怪たちには、もう二度と関わらない。その方がおれの心は壊れない。
あんな絶望を味わうくらいなら誰とも深く関わらない。
それが甲坂ゆとの、現在の人格を形成する原因となった。




