第一章 そのサークルの名は『妖怪探究会』 02話
N県米山市。ここは地方都市に分類され、N県の中では一番栄えている。ただ市内を一歩でると田んぼや畑が立ち並び、まさに一昔前の田舎を思い浮かべさせるが。
最近は都市化が進み、最先端の設備が整ったビル、マンションが建築され、少しだけ未来都市を思わせるような場所になった。そんな世の中で、最先端の設備が整った米山大学が建つのはそれほど時間はかからなかった。築5年ほどの学校で、学生証はカードキーとして日常様々な用途として使い、すべての教室には学生机一つ一つにパソコンが用意されている。どうでもいいが、自動販売機などタッチパネル式だ。
そんな大学におれ、甲坂ゆとが入学することになったのは、全く成り行きといって良いだろう。高校三年生の夏だったろうか、担任の先生から志望校を聞かれ、まだ決まってないと言うと、先生はこの大学を進めてくれた。学力の面では問題はなく、かつ設備もいい。ただし、家から通えるところではないが。そんなことを言う先生に対して、それほど考えず「そこにします」と言ってしまい、見事に受験合格し、晴れて入学することになったのだ。
もちろん、過保護な母から最初は反対された。別にその大学にこだわるつもりはなかったのだが、なぜか反発してしまい、説得させてしまった。今思うと、なぜそこまで必死になったのか分からない。たぶん、一人暮らしをしてみたいという気持ちがあったのかもしれない。
大学に入学し、半月経って大学内の構造にも慣れてきた。たった今履修届を学生課に提出し、まずは一安心。さっそくこれから授業を受けに行こう。
「よう、甲坂じゃないか」
後ろから声をかけられた。
……誰だっけ?
「なんだその顔?大学のガイダンスで一緒に話して食事もした仲じゃないか」
ああ、あの時の。
「あ、そうだった。ごめん」
「履修届出したんだな。おれなんか、まだ時間割決めてないからさ、早く決めなきゃならんのに」
「早くした方がいいんじゃない?今日の五時までだっけ?提出期限。出さないと今年一年無駄になるしね」
「全くだよ。しかし、どうにも決めづらくてな」
キーンコーン、という鐘の音が鳴る。最新設備の学校でも、こういうところは変わらないんだな。
「もう授業の時間だ。悪いけど、先行くよ」
にこやかに手を振り、去る。背中越しに「またな」という声が聞こえたが、それには答えずに早歩きで教室に向かった。
名前なんだっけ?あいつ。
確かに学校のガイダンス、まあ説明会のようなもので一緒になったのは覚えている。あっちから話しかけてきて、その日限りは仲良くなった。けれど、相手の顔を一瞬思い出せなかったし、名前に至ってはいまだに思い出せない。あいつ以外に数人、誰かと話した覚えがあるけど、そいつらの名前も顔もよく思い出せない。
おれは人の名前や顔を思い出すのが苦手なのである。
いつからだったろうか、昔はそれほどでもなかった。一発で名前や顔を思い出せた。今はそんな力を発揮できない。もしかしたら、おれにとっての大人になるツケというものかもしれない。けど、実際は何が原因かわかっていた。
何かに興味を持ったり、関心を持つことができないから。つまり無関心主義なのだ。
勘違いしないでほしいが、人嫌いではない。むしろコミュニケーションを持つこと、友人関係を持ったり、時には恋愛をすることだって好きなことだ。けれど、どうにもその時が来ないのだ。
幸い、人に対して明るく振る舞う癖はついてるようなので毛嫌いされることもない。自分で言うことではないが、顔は母親ゆずりのせいか女の子のような顔立ち、いや平均的な顔立ちのおかげで、会った瞬間に嫌な顔もされるわけでもない。身長はもう少し伸びてほしいと思うが、それはそれ。願望にすぎない。とにかく、外見からは嫌われはしない、というのが自分自身の見解だ。その見解は概ね当たっているはず。
本当の性格を知られたら、冷たいって言われるかもしれないけど。
さっきの奴の名前は携帯電話の電話帳から調べよう。確か、ガイダンスの日に知り合った奴らとはお互いのアドレスを交換したはずだ。それでも解らなかったら、今度会ったときに何気なく聞こう。
今度会えれば、の話だけど。
*****
今日一日の授業が終わる。
な、なんだ?この人の混みようは。
今は午後四時半。帰宅しようとする学生たちで学校のエントランスはごった返していた。二週間ほど通って、この時間帯がかなり混むことは学んでいたが、それにしても今日の混み具合は異常だった。
「米山大学所属の吹奏楽団に入りませんか~!初心者も大歓迎です!」
「我こそはと思う者、バスケ部へ!」
そんな声が聞こえてきて、なるほどと思う。
今日は、エントランスでのサークル紹介が許可されていたのだ。度々サークルの勧誘を
している人たちを見たことがあるが、今日は広い場所での合同的な勧誘が許可されていた
たため、多くの勧誘する人たち、それを受ける一年生の学生たちでごったがえしていたの
だ。
もとより、何かのサークルに入るつもりはなかった。勧誘を受け、無理やりにでも何かのサークルに入らされたら、それはそれでもいい経験になるとは思っていたが、こんなにごったがえしている人の海に入って、勧誘されるのはいささか抵抗がある。
ここを通って帰る道は塞がれている。別の道から帰ろう。
しかし、四つある出口のうち三つはすでにサークル勧誘の人たちによって塞がれていた。行く場所行く場所、その人たちと目が合ったら様々なサークルに勧誘され、なんとか振り切る。
「ねえ、一緒に野球やんない?」
運動神経が悪いのでお断りします。
「演劇部に入ってみない?楽しいよ」
演技するの得意じゃないんで。
「そこのボーイッシュな彼女!女子サッカーしようよ!」
おれは男だ!
最後の一つの出口。そこはごく平凡だった。おそらく、ここだけは学校側が許可しなかったに違いない。おれのようにサークルの勧誘をうざったく思う人のためだろう。
やっと帰れる。そう思った。
「君、ちょっと待って」
呼びかけられ、振り向く。
目の前には、知らない女子がいた。最初に思ったのは、オセロのような奴だということ。なにせ上半分は白、下半分は黒と、はっきり分かれていたからだ。
次に思ったのは、セミロングの髪の毛にかわいい顔立ちの子……なのにまるでおれのことを匂いを嗅ぐように鼻をピクピクと動かして、怪しい奴だということだ。
「あの……」
何か言おうとしたが、彼女が人差し指を自分の口につけ、「だまれ」と暗示させられ、言葉を発することができなかった。
「……君、私と同じ匂いがするね」
同じ匂い?まさか使ってるシャンプーが同じとかか?
いや、違う。本能的に感じた。
この人はおれが使う「庶民的な」シャンプーは使わない。
この人のオーラは、そう、例えるなら貴族だ。金持ちだ。
別に貴族や金持ちに会ったことはないけど。とにかくそう感じる。
じゃあ何の匂いが同じなんだ?
それ以前に、なぜ匂いを嗅いでたのか?
そんな思考がおれの頭の中で渦巻く。
「ねえ、君……」
次に発せられるだろう言葉に、重みを感じた。
こんなお嬢様然とした、貴族の雰囲気を持った人がおれに何を言うのか。
「君、私のサークルに入らない?」
「はい?」
拍子抜けした。
一瞬言葉の意味を理解しなかったが、彼女はお構いなしに言い続ける。
「だから、私が今年から始めるサークルに入らない?君ならその資格がありそう!ここを通る学生一人一人の匂いを嗅いで、ようやく私と同じ匂いの子を見つけたの!君と私は、きっと似ているんだよ!ね、一緒にサークルをしよう!」
資格ってなんだよ?匂いで分かるのか?
それに一人ひとりって、地道な作業だな。
最初は断ろうとした。しかし彼女の純真な眼差しが痛い。
サークルね。入るつもりもなかったけど、ここまで熱心に必要とされたら断りにくい。そうだな。このままサークルに入らない生活をしてもいいと思っていたが、4年間、そ
れでは退屈に過ごし、空虚な年を重ねてしまうかもしれない。実際、それはとても虚しい
のではないだろうか。
それはそうと、いくら貴族のオーラを纏ったお嬢様でも、匂いを嗅いで部員を探そうと
するのは、怪しいことこの上ない。
とにかく、活動内容を聞いて、それからまた考えよう。
「あの、どんな活動をするんですか?」
その答えを、彼女は笑って答える。
「この世に生きる妖怪を、探求しまくるんだよ!」
その答えで、おれは冷めた。
「ごめん。そのサークルには入れない」
そう言い捨て、学校を後にしようとする。
おれ以外の人でも、妖怪なんて言葉を聞いたら冷めるだろうが、おれにはもっと別の理
由があった。匂いが同じ?そんなの知ったこっちゃあない。もうおれはそういうものとは関わらないと決めたんだ。
「待って!」
彼女の叫びは聞こえたが、振り向かない。
「私は二年の、鈴美音怜奈って言うの!また君を誘いに行くからね!」
どうせ、明日になれば彼女もおれのことを諦めるだろう。そしてそのまま忘れてほしい。
昨日、母さんから妖怪の本が届き、今日は妖怪探求のサークルに入らないかと誘われる。
もうそのことを遠ざけたいのに、また近寄ってくる。
そういうことには、もううんざりだった。