第三章 三匹の子ウサギ 01話
なんでこんなことになってしまったんだろう。
いま、おれの平穏を邪魔する奴が二人いる。
一人目は鈴美音怜奈。この人は、おれを無理やり妖怪探求会に入らせた挙句、好き勝手に活動内容を決めている。数日前は、ただの人助けに巻き込まれて大変な思いもしたことがある。一ヶ月を過ぎれば彼女のことも少しはわかってきたが、だからといって自由奔放な性格は止めることができない。
そして、さらなる問題はもう一人の方だ。
そいつは今、おれの後ろをついてきている。
はずだった。
いない。慌てて一つ前の道に戻る。
苦もなくすぐに見つかった。道の端にわずかに咲いていた小さな花を、座り込んでニヤニヤと眺めてる。
「何やってるんだよ」
「見てください。こんなところにお花が一輪だけ咲いています。とっても神秘的な雰囲気が出ていませんか?」
おれはため息を吐く。
「頼むから見失わないでくれ。おまえが迷子になったらおれの責任になるんだから」
小さな女の子は「はい」と頷く。けれど、目の中は好奇心で満たされているかのようにキラキラしている。
本当にわかっているのだろうか。
こんなことになってしまったのはやはり自業自得というべきなのか。
いや、おれのせいだけではない。鈴美音さんがあんなことを言わなければおれがこうしてこの子と一緒にいることはなかったはずだ。
*****
時はこの子と出会った数日前に遡る。
見た瞬間、この子は明らかに妖怪なのだと悟った。悟った瞬間、おれは目の前に倒れているその子を無視して通り過ぎようとしたのだ。
だが、なぜか体はそうしようとしなかった。二人の間に気まずい雰囲気が流れる中、その子は今にも死にそうな顔で助けを求めた。その時、おれの良心と言うべき心が動かされてしまったのだ。
かたくなに妖怪という存在から離れようとしていたのに、おれはどうしてその子を助けてしまったのか。良心だけでそんな行動を起こしてしまったとは到底思えない。が、現に助けてしまったことには変わりないのだ。
とりあえず彼女を抱え、目の前まで見えていた自分の家まで運んだ。もちろん変な噂が流れることを恐れて、入る際は誰にも見られていないことを確認したが。激しく衰弱しているので、ひとまず水を飲ませ、家にあった食パンを一切れ分食べさせた。すると瞬く間に眠ってしまった。
そして次の日の朝、彼女は元気を取りもどした。水と食パンだけで元気を取り戻すとは、なるほど人間ではない。
「助けてくださり、本当にありがとうございます」
正座し、お手本のように完璧なお辞儀を見せ礼を述べる。その姿を見せられると、なんだかこちらもそうしなきゃいけないような気がして、結局お辞儀を真似て「こちらこそ元気になって安心しました」と答えた。
とりあえず朝食ぐらいはもてなす。
朝食もパン一切れだけだったが、少女は満足そうに食べた。
モグモグ。
パクパク。
会話がない。別に気にしないけど。
少女の方はそうでもないようだ。隣に座って食べているのだが、おれが少女の方を向くと、明らかにさっきまでおれを見ていたのに慌てて目を逸らす。オドオドという表現がピッタリの仕草だ。何か言いたそうだと思い至る。
そんなやり取りが数回続いた後、ようやく口を開いた。
「あの……」
言いかけてまた口を閉じる。どうも言いにくい言葉のようだ。
「どうした」
先を促してみた。
「あの、お名前は何とおっしゃるんですか?」
名前?そんなことを聞くためにさっきまでオドオドしていたのか?
違う。この子を見るに、本当はこんなことを聞きたかったのではないと直感した。
まあ、聞かれたことは答える。
「甲坂ゆと。呼び方は自由でいいよ」
「ゆと様ですか。良いお名前ですね!」
ありがとう、と一言感謝し、朝食に戻る。
再び沈黙。
「あの、ゆと様……」
自由に呼べとは言ったが、「様」というのはどうにかならないものだろうか。違和感がある。
「どうした?」
「あの……なんでもないです」
なんでもないのかよ。
聞きたいことがあればいっそ聞いてくれた方がいい。
「なにか言いたいことがあるんじゃないか?」
こう言えば、相手も話を切り出しやすいだろう。
どうやら効果は抜群だった。少女は話を切り出す。
相変わらず言いにくそうではあったが。
「あのですね。実は……ここでしばらくお世話にならせていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
聞きたいことがあるならいっそ聞いてくれた方がいい、と思った数秒前の気持ちが見事に消し飛んだ。 今は聞かなきゃよかったとと心から思う。
「はい?」
「私、今隠れなきゃいけないんです。一度悪い人間に捕まえられてなんとか逃げてきましたが、今も必死で逃げているんです。なので、助けてください!」
意を決したのか、さっきまでとは違いはっきりとした口調で言い切った。
おれは狼狽する。
「いや、駄目だって!ここは一人暮らし専用の広さだし、とても二人分は……。それにおまえ、妖怪だろ!」
この一言は少女の顔に大きな変化をもたらした。一瞬驚いた顔を見せ、途端すさまじい輝きの笑顔になったのだ。
「妖怪のこと、知ってるんですか!人間の方は知らない人がほとんどだって聞きましたけど、ゆと様は知っているのですね!」
止まらない。妖怪と口走ったのが間違いだった。
何か言い返そうとしたが、少女は興奮のせいか息もつかずにしゃべり続ける。
「これは奇跡です!一人過ごして約一ヶ月。隠れながら過ごす日々、もう諦めようかと思ったその時に妖怪を知った御方に出会えるなんて!ゆと様!どうか私たちを助けてください!」
私たち?なぜ複数形?
そんなことを一瞬思ったが、今はどうでもいい。とにかく、なんとか断らなければ。
「だからおれは……」
言いかけたその時、タイミング良く聞き慣れたケータイの着信音が鳴る。
テーブルの上に置いてあったケータイが鳴りだしたのを見た瞬間、少女は「わあ!」と声を上げ、物珍しそうにケータイを手に取った。
「ゆと様も持っていらっしゃるのですね!ケータイというものを!私、見たことはありましたけど触ったのはこれが初めてです!」
「いいから返せ!」
取り上げる。ケータイの画面を見ると、「鈴美音怜奈」の文字がある。電話はあの人からだ。
きっとろくでもないことだ。そう思いつつも電話を受ける。
『おはよう甲坂君』
「おはよう。鈴美音さん。まさか今日も活動するとか言わないでしょうね?」
電話の向こう側で相手の笑う声が聞こえる。
『今日は日曜だもの。さすがにみんなを呼びつけはしないよ。でも、ちょっと今度の活動で君に聞きたいことがあって……どうしたの?』
鈴美音さんがそう聞いてきた理由はわかった。この正体不明の少女がおれが電話する様子を見てはしゃいでおり、それをやめさせようとするおれの焦った声が聞こえたからだろう。
「ゆと様はデンワというものをしていらっしゃるのですか!私にもデンワというものをさせてください!」
当然、この幼い声も鈴美音さんには聞こえていた。
『……甲坂君?今の声は何?』
「い、今のはその」
『女の子の声がしたみたいだけど、君、まさか……』
どう説明する?
そうだ、テレビの中の声ということにしよう。今テレビで女の子が出ていてその声が聞こえたんですよ、と言おう。うん。どこにも無理はない。
「実は今……」
言いかけた時、油断してしまったのか少女の口を抑えていた手を押しのけられた。
そしておれが持っている電話に向かってめいっぱい声を張り上げた。
「おはようございます!デンワの向こう側の人、聞こえますか!」
「……」
『……どういうことなの?甲坂君』
ああ、この微笑みを含ませたような優しい言い方。おれは知っている。鈴美音さんがこうした雰囲気を電話越しでも出してくる時、本当のことを話さなければならないと。経験がそう物語っていた。
もはや隠しようがない。鈴美音さんには本当のことを言うしかない。
幸いにも、鈴美音さんは妖怪のことを知っている。どの程度なのかはわからないが、この状況で頼れるのは鈴美音さんしかいない。
鈴美音さんを今は信じ、ここまでの経緯を簡潔に話す。
『ふ~ん』
すべてを話し終わっての彼女の第一声がそれだった。
いや、もう少し驚くことはしないのだろうか。
『わかった。で、その女の子の名前はなんて言うの?』
「名前?」
そういえば聞いてない。
電話口に手を当て、好奇心の目でおれの電話を見つめている少女に問う。
「おまえ、名前は?」
少女はたちまち「あっ」と声を上げ、照れるように笑う。
どうやら名乗るのを忘れていたようだ。
「申し遅れました。私、楓と言います」
楓。見かけは子供のくせに大人びた名前だ。
「名前は楓っていうらしい。けどなんで名前なんて?」
『ちょっとね。じゃあとりあえず、今度大学に連れてきて』
大学にこの子を連れてけ?
それは無理があるんじゃないか。
「大学に小さな子供を連れてったら目立つんじゃ」
『なんとかなる。人目は気にせず連れてきなさい。その日はまた今度連絡するから』
こんな小さな着物姿の女の子を大学に連れて来たら目立ちすぎる。
最悪、悪趣味なロリコンと勘違いされるかもしれないのに。
ん、待て?ちょっとした疑問が……。
「今度連絡って、その連絡来るまでこの子どうするんですか?」
『もちろん、君がその子を養ってあげなさい』
「冗談きついよ!?」
『本気よ。まあ、いつか持つ子供を育てる予行演習だと思えばいいよ。大丈夫、ほんの二三日だけだから』
いや、おれのプライベートを崩されることが我慢できないのだが。
『よろしくね。じゃあまた今度』
切れた。一方的に。
こんな、こんな面倒くさいことに巻き込まれるなんて。
おれのほのぼのとした学園生活が遠ざかっている。
「あの女……」
腹立たしげにつぶやいた瞬間、またケータイが鳴りだした。
また鈴美音さんだ。おれの怨念が伝わってしまったのか!
そんなわけないのだが、思い込みというやつなのか焦ってしまう。
「もしもし!いや、決して悪口言ってたわけじゃ」
あきれたような声が返ってくる。
『何言ってるの?それより最初に電話で聞こうとしたこと忘れてた。甲坂君は知ってるかな』
「なんですか?」
『「三匹の子うさぎ」っていう妖怪伝説。考えてみれば、その子にとっても関係あることなんだ。甲坂君なら知ってるはずだよね』




