Raedy To Flame/Heady To Blame 8
「そういうのに厳しい一家が居たのさ」
「きっと素敵なご一家なのでしょうね。きっとそこのご令嬢は聡明な絶世の美女ですわ」
そう言って車両の奥へと消えて行く背を見送りながら、ウィリアムは返す言葉もない事実に肩を竦める。
無邪気で清廉であると同時に、心を犯していくような蠱惑的な魅力。
あの夜、透き通るような碧眼はウィリアムの目を捕えて離させず、語る言葉は鈴のような音を解して心を掴んでいた。
もしもあの夜の全てが計算であれば、ローレライはどの観点から見ても優秀だろう。
しかしやがて聞こえてきた衣擦れの音がそれを否定し、信頼か考え足らずなのか理解しかねるローレライの行動にウィリアムは嘆息する。
少なくともこの事がローズに知られる事となれば、ウィリアムは無傷無事では帰れないだろう。
アロースミスの女傑に逆らってはいけない。ウィリアム・ロスチャイルドの記憶がそう強く訴えているのだ。
疑う事を知らなかったチャールズを支え続けてきたのは、紛れもなくアロースミスの女達なのだから。
「それはそうと、1つお願いがありますの」
「お願い、ねえ。俺が叶えられる事なら構わないけど」
どこか悲しげに目を伏せるローレライ。こういった交渉術はアロースミスの教育なのか参謀としての教育で培ったものなのか。
将来はローズ以上の女傑になるのではないかとウィリアムは戦々恐々とした。そうなってしまえばウィリアムのような浅学な傭兵など口先三寸で致命傷だ。
「そんなに難しい事をいうつもりはありませんので大丈夫ですわ。それにウィリアムさんしか出来ない事ですの」
弾丸帯を体に巻いて走る弾丸帯運びマラソン、地雷原でただ棒を倒すだけの地雷原棒倒し、空薬莢を吊り上げられた籠に投げ入れ続ける弾入れ。
ローレライの言葉でフラッシュバックしたのは防衛隊時代の常軌を逸した訓練。世間の常識を知らない以上やらなければどうにもならない為ウィリアムは文字通り必死になってこなしたが、後日そんな危険な事をするのは第7小隊だけだと教えられプライベートな時間全てをアドルフの無視する事に費やした事があった。その結果まさか保護者兼上司に土下座される事になるとは思わなかったが。
「加えて生死に関わらないもので頼むよ」
「そんな事言いませんわ」
変なウィリアムさん、とクスクスと笑うローレライにウィリアムは内心で胸をなでおろす。
ローレライは知らないのだ。ボディアーマーの上で炸裂する弾丸帯を、倒された棒により破裂する地雷を、狙いが外れ落ちてくる薬莢という金属片を。ウィリアムの保護者となった男は悪気も無くそういう事を平気で部下と一緒にやる男だったのだ。
「ローラと呼んでいただけませんか?」
予想だにしないお願いにウィリアムは呆気に取られる。勝手に生命の危機を感じていたのはウィリアムで、ローレライのお願いを見当違いな方へ邪推していたのもウィリアムだった。
しかし、とウィリアムはローレライの聡明さに舌を巻く。
意識の混濁からウィリアムは名前を呼ばないようにしていたが、ローレライは言葉の1つ1つを聞き逃さないようにしていたのだろう。
仮初めであっても誰かの特別になる事になる事に忌避感を感じているウィリアムはそれを拒否しようとするが、不安げに覗き込んでくるローレライになす術もなく折れる事となった。
アロースミスはチャールズが特別優秀だっただけで実際は女系の一家なのではないか、そう思うほどにウィリアムはアロースミスの女に勝てる気がしなかった。
「……ウィルだ」
「え?」
観念したウィリアムの呟いた言葉にローレライは疑問符を返す。
「ウィルだ、ローラ」
「……はい、ウィル」
目も合わせずに素っ気なく言葉を言い捨てるウィリアムにローレライは満面の笑みを浮かべて返した。
ローレライを変えてしまったのは自分である以上、せめて戦いが終わるまで、自分がこの少女の傍らから消えるまでこの子の願いを叶えてあげよう。
そんな事を思いながら、彼女の事を思えばこその帰れという言葉すら言えないまま、ウィリアムは胸中に湧いた寂寥感を押し殺した。




