Roaring In The Dark.1
BIG-Cに落とされた榴弾で様々な物が燃やされ、そこから生まれた炎がただの小さな灯りにしか見えないほど遠くまで来た頃、男はバイクを停めた。
端末で位置情報をチェックすると、幸運にも逃げてきた方角はコロニーceasterの方であった。
男の後ろに乗っていたローラがバイクから降りた。押し付けられたアンチマテリアルライフルを荒地の砂に落とし、俯いたまま男の前に来て男の頬を叩いた。
「……何故教えてくださらなかったのですか?」
「教えただろ? ローラ嬢ちゃんが呆気に取られて反応が遅れた事に関しては、流石に責任は取れないよ」
男は悪びれもせずに言う。
もう仕事はここまでだと、付き合ってやるのはここまでだと言うかのように。
「ですが! あんな事になるというのなら――」
「油断するな、と忠告もしたつもりだよ」
「なら逃げる前に何故教えて下さらな――」
「あの説明をローラ嬢ちゃんが理解するのにあれだけ時間が掛かったんだ。どっちが先でも結果は同じだったよ。何より、ローラ嬢ちゃんや防衛部隊の連中には悪いけど、今回の俺には依頼者以外どうでも良かった」
最後の言葉にローラは青い双眸を見開いて再度、男の頬を叩く。
ローラの心中はグチャグチャになっていた。
理性的な部分では「お兄さん」にだって限界はありその中で自分を助けてくれた、決して全員を見殺しにしたかった訳ではない事くらい分かっていた。
しかし、感情的な部分が男の言葉尻を捕まえて負の感情からローラを離さない。
見放した、切り捨てた、見殺しにした。
指先が冷え、胃が重くなり、足元が覚束なくなってくるような感覚に襲われる。
紛れもなく「お兄さん」は自分を救ってくれた。それなのに自分が男に向けている感情はなんだろう?
戦闘訓練など受けた事のないローラのビンタを抵抗もせずに受け、何かを仕返す様子はない。
自らの行動が更に負の思考の坩堝にローラを落とし込み、意味が分からなくなってくる。
無理矢理依頼を押し付けて、勝手に期待を押し付けて、失敗すればそれを責めて。
かつての大人達と何が違うのだろう?
あれだけ泣きじゃくったあの時、自分は何を考えていたのだろう。
鼻の奥がツンと痛くなり、ローラはもう涙を我慢していることはできなかった。
ルーサム卿や幼馴染達は無事だろうか?
あの爆撃をバイクのフルスロットルの運転によってなんとか逃げ出せた事実がそれを否定しようとする。
もしかしたら自分が戦おう、なんて言ったのが悪かったのか?
恥も外聞も捨て逃げてくれと縋り付けばよかったのか?
「ああ……! クソ……参ったな……」
声に釣られローラが顔を上げれば滲んだ視界に苛立ち、そして困り果てたような傭兵の男の姿があった。
「俺の言い方が悪かった。全部俺のせいだ。ローラ嬢ちゃんは何も悪くない。頼むから――」
――泣かないでくれよ
男が悲痛な面持ちでそう言った瞬間、ローラの脳裏に過去のヴィジョンがフラッシュバックする。
私兵集団の最初の襲撃、BIG-C防衛戦。
シェルターに向かう途中知っている人間達の死体が転がっていた。
見た事のない人間の中身とそれを出している見知った顔の組み合わせが現実感を生まず、気持ち悪くなってずっと幼いローラはずっと泣いていた。
シェルターに無事に着き、早熟で尚且つ両親から「人々の模範となれ」と言われて育ってきたローラは 自分が怖がり泣き続ければ我慢している、あるいは状況に戸惑っている周りの友人達を不安がらせてしまうと気づいてはいたが涙がとまらなかった。
今と同じだ、訳の分からない不安と感情に飲み込まれ押し潰されてしまいそうだった。
そんな時、「お兄さん」はローラの頭を撫で「頼むから泣かないでくれよ」と言ってくれた。
ローラはもう抑えが利かなかった。
「ごめんなさい……! ごめんなさい……!」
ローラは男に抱きつき男の胸に顔を押し付け、謝りながら泣きじゃくった。
そして男はローラが泣き疲れるまで抱きしめ返して頭を撫でてやった。
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何を八つ当たりしてるんだ。
男はそう胸中で毒づき、久しくなかった自己嫌悪に苛まれていた。
元々最悪な状況は見越していたはずだった。それを今までにないレベルの大幅さで上回られただけであそこまで取り乱し、かつて自分のために泣いてくれた少女に八つ当たりをした。
最悪だ。
男は深い溜息をつき、泣き疲れて眠ったローラに視線をやる。
荒地とローラの間にはスラムのベッドで使っていた掛け布団を敷き、デザイン違いのジャケットを掛け布団のように掛けてローラは眠っている。
男の記憶の中のローラは泣いてばかりだった。
最初のBIG-C防衛戦ではコロニーの惨状に泣き、俺がコロニーから出て行く際に泣き、そして今回も自らが泣かせた。
そしてローラには言わなかったが、普通車両で逃がした非戦闘員に被害が出ている可能性が高い。
BIG-Cを燃やし尽くした以上、あそこに残った者の記憶など元から手に入れるつもりはなかったのだろう。そして私兵達の矛先が誰に向けられるのか男は理解していた。
男はもう一段階、自己嫌悪を進ませる。
下手をすればまた泣かせる事になるだろう。
5年前、ローラはまだ11くらいの頃に最初の戦争を目の当たりにした。
この世界がどんなに非情で冷たいものなのか知らない愛されて育った少女には辛い光景だったろう。
もしかしたら心的外傷後ストレス障害を負っているかもしれない。
そんな少女を追い詰めたという自己嫌悪は、傭兵の男を放そうとはしない。
男はもう一度溜息をついて、右手の手の平に左手の拳を強くぶつける。
何故かジャケットのパワーアシストが少し働いてしまい、右手が尋常ではない痺れと訴えているが無視する。
思考の深く深呼吸した男は思考を切り替える。
ローラには今、自分しか居ないのだから自分がしっかりしなければローラを見殺しにする事になってしまう。
それだけは許されないし、男自身が許さない。
救えなかった子供達も居たはずだ。
男は自分が何でも出来る人間だとは思っておらず、理性的な部分では理解していたが感情は別だった。
だからこそ、尚更ローラを死なせるわけにはいかない。
男はジャケットのフロントジッパーを閉め、パワーアシストを条件反射にリンクさせる。
そして右手にサブマシンガンと左手にハンドガンを握ったまま意識を警戒状態のままにし眠りについた。
男の任務はまだ終わってはいない。
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空が明るい灰色に染まった頃、傭兵の男とローラは荒野をバイクで走っていた。
昨日は使命感と「お兄さん」が近くに居てくれる充足感に溢れていたが、今感じているあまりにも違う感情にローラは戸惑っていた。
遡る事数時間前。ローラが目を覚まし、慌てて辺りを確認し現状を再認識する。
男の部屋で見た掛け布団を敷いてそれに横たわり、体に掛けられていたのはパワーアシストの機構が付いたライダースジャケット。
どうやら昨晩は泣き疲れてあのまま眠ってしまったらしい。
ローラは自らが理不尽な怒りをぶつけてしまった傭兵の男の方を見やる。
両手に銃を持ちながらバイクにもたれ掛かって座っているように見えたが、微動だにしない表情と眉間の皺に眠っているのだと気づいた。
眼帯で隠れていない右目の下は隈で暗くなり、頬はローズが叩いた事を現実だと知らせるように腫れていた。
その表情は疲れきっていた。思えば任務から帰ってきた直後の男にローラは依頼をした。
ろくな休みは取れず、男はそのまま戦争に向かったのだ。
ローラがまた負の感情の坩堝に落ち込みそうになったその時、男の瞼が動いた。
「……ああ、もう起きてたのか。待たせて悪いね」
ローラが起きてる事を確認して、男は両手の銃を置き伸びをする。
「もう少し、寝てらしてもいいんですのよ?」
「いや、気持ちは嬉しいけど一箇所に留まるのも良くはない」
男は自分が背もたれにしていたバイクの右側に付けていたボストンから液体と固形物が入った真空パックをいくつか取り出す。
「飲み物はスラムから出て来る時に買った水だけしかないけど、好きな方選んでいいよ」
男が取り出した食べ物は茶色い固形物と黄緑色の固形物と青い固形物の固形食物だった。
この時代の携帯食物のほとんどはこういった物で、申し訳程度についている味は色毎に違う。
茶色と黄緑はまだいいとしても何故青を買ったのか。
ローラは過去に興味本位で青を買った事があったが、当時それが放つ強烈な匂いに勇気が出ず「お兄さん」に一緒に食べてもらったのだがあまりの苦酸っぱさに「お兄さん」が急いで水を買い与えてくれたのを鮮明に覚えている。そしてその強烈な匂いに「お兄さん」はその日ずっと気分悪そうにしていた事も。
「えっと……これにさせていただきますわ」
「そうかい」
ローラは黄緑と迷ったが茶色を選び、男は躊躇う事無く青を選んだ。
そして匂いに躊躇う事無く青を口に放り込む男にローラは驚愕した。
「だ、大丈夫なんですの?」
「何がだい?」
過去の反応とあまりに違う。
もう味覚の好みは共通しないのだと何故かローラは少し寂しくなった。
「こんな時代だ。何を食べたって代わりはしないさ」
男は自嘲するように笑い、もう一つ口に放り込む。
ローラはふと昔聞いた事があった話を思い出した。
ピアスという体に穴を空けて着ける装飾品がある。
空気自体が汚染されている今では着けるだけで自殺行為になりかねない代物で、着けている人間は居ない。
しかし過去には舌に空ける物があったらしく、それは味覚を変えるほど影響があるらしく、もしかしたら目に何かが起きて味覚や嗅覚の好みが変わったのかもしれない。
ローラは改めて味覚の好みのが同じでない事を寂しく思った。
「さて…これからの話をさせてもらおうかな」
真空パックをまとめてボストンに入れてから男が口を開いた。
「ハッキリ言って、このままローラ嬢ちゃんを1人きりにすれば死んでしまう」
ローラは言葉を発することも出来ず、息を呑む。
確かにこんな荒野の真ん中で1人放り出されれば、どうにもならないだろう。
しかし先の事があって死ぬという言葉に敏感になっていたローラには過剰反応してしまった。
「ああ……悪い。また言い方が悪かったな」
「いえ……事実ですので……」
話を止めて良い事はないので、ローラはそう言い男に先を促した。
「とりあえず、ローラ嬢ちゃんをコロニーceasterまで送っていくつもりだ」
「そんな……ご迷惑じゃ……」
「端末で位置を確認してくれれば分ると思うけど、そこまで遠い訳じゃないんだよ。それに――」
疲れたような笑みを浮かべて男は付け足した。
「――依頼の遂行も出来なかったし、これくらいはさせておくれ」
そして、男とローラは荒野をバイクで走っていた。
右のボストンバッグと一緒に括り付けられたアンチマテリアルライフルを見る度に、父のことを思い出し心が無茶苦茶になりそうになりローラは目をそらす。
考えてみれば傭兵の男は今のローラの歳には既に戦場に出ていた。
辛くは無かったのだろうか?
ローラはBIG-Cが他のコロニーよりも多少裕福で、自分が人よりも愛情を受けて育ってきたことを理解している。
だから幼い頃の事を知らない男と自分が同じ考えを持つなんて思いはしないが、幼い頃から男を戦場に出すような家族の元に戻った所で男は幸せになれるのだろうか。
あまりにもそれが気になってしまい、ローラは男に問い掛けることにした。
「1つお尋ねしてもよろしくて?」
「なんだい、薮から棒に」
「お兄さんは……幼い頃から戦場に出て、辛かったりはしなかったのんですの?」
男は暫し黙り込み、そして困ったように言った。
「幼い頃って言っても……いくつからだったかは思い出せないけど俺にとっては当然だったからね」
それが当然。それはこの世の中での当然なのだろうか。それとも男を取り巻く環境での当然なのか。
ローラの思考を切り裂くように男の声が響く。
「それに、将来を約束した女が居てね。そいつが覚えてるか分らないけどそいつと暮らす為にも金がたくさん必要だったのさ。自分と女、そして生まれてくるであろう子供を養うための金がさ」
男の言葉にローラは気分が悪くなった。
昨晩や父のライフルを見た時のような物ではなく、男が青の固形食物を平気で食べて見せた時のような変な胸の苦しさであった。
ローラにはその感情が生まれた原因が分らず、荒野の向こうを見据えながら男の腰にまわしたその細い腕の力を少し強めた。
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2人がコロニーceasterに着いた頃にはもうすっかり空が暗くなっていた
コロニー内をしばらく散策していると見覚えのある車両を見つけて、ローラはそれに駆け寄り男はバイクを押しながらそれを追いかける羽目となった。
「お母様!」
感極まったようなローラの声を聞く限りアロースミス婦人は無事だったのだろう。
男はこのまま帰りたくなるような気持ちを押さえつけてバイクを止め、歩みを進める。
「ローラ! よくご無事で!」
そこには娘を抱きしめる美しい金髪を1つに束ねた婦人、ローズ・アロースミスが居た。
抱き締めあう親子は再開できた喜びに涙していた。
「貴方もご苦労でした」
「……いえ、俺は」
何も出来ませんでした。
男が言葉を飲み込むと同時に後頭部に衝撃が走り、思わず崩れ落ちる。
「クッ……ハッ……!」
あまりの痛さに言葉が出ない。
覚悟してなかった分、銃弾を食らった時よりも辛いかもしれない。
男は益体の無い事を思いながら、思わず舌打ちをしてしまう。
「あんたが……! あんたなんかがローラお嬢様を戦争に焚き付けなければこんな事になったりなんかしなかったんだ!」
鉄パイプを振り下ろした女が息を切らしながら男に怒鳴りつける。
男はその女に見覚えがあった。コロニーの防衛戦力として雇われていた時分、男のように血統が確かでない者を貶す者は多く、それは有力者であっても侍女達や労働者においても代わりはなかった。そしてその女は確かに男を疎んじていた。依頼者の関係者であり防衛対象であった以上男は何も出来ないままいろいろな事をされたが、ここまでの行為は初めてだった。
確かに戦争というものを見せてしまったのは俺の責任かもしれない、頭に流れるドロリとした物を感じながら男は思う。
もし俺がついて来る子供達をしっかりとした態度で突き放していれば? 確かに結果は変わったのかも知れない。
しかしだ。
「お前の……言いたいことが……分らないわけじゃないけど――」
ここで死ぬわけにいかない。
女を待たせているのだ。もう何年経ってしまったのかも分らない。男に見切りをつけて他の人間と幸せに暮らしているのならばそれでいいのかもしれないが、男にはまだ未練がある。
その為に、その為だけに男は戦ってきたのだ。
重い頭を抱えながら、男は立ち上がった。
女の心情を考えるともう一発来るであろう衝撃に耐える為に、男はジャケットのパワーアシストを条件反射にリンクさせる。
ここからは俺は俺を守る。あいつとの将来を守る。
しかし、男に頭にもう一度衝撃が走ることは無かった。
皮膚を叩く、甲高い音が響く。
目を開いてみれば、頬を押さえ唖然としている女とその女を叩いたと思われるローズ・アロースミスが居た。
「貴方は何をしたのかお分かりですの?」
過去に男が幾度しか聞いた事のない声色。
言葉遣いを注意されて拒否した時、あらゆる教育を拒否しようとした時、BIG-C防衛戦後負傷していた男を発見した夫妻がコロニーの中央まで連れて行こうとしたした時「勝手になんとかするから放っておいてくれ」と頼んだ時。
「奥様! この薄汚い傭兵がお嬢様に戦争なんかを――」
ローズは再度、女の頬を叩く。
ローラの程ではないが、アロースミス家のビンタが強いのは家系なんだろうか。
ローズの2発目のビンタが女に炸裂するのを見て、男はそんなことを考える。
「彼は過去も今回も我々を守ってくれたのですよ?」
「ですが、BIG-Cはもう全て燃やされて! 私達の夫が生きているかもわからないんですよ!?」
「BIG-Cの男達だけでは確実に全滅でしたわ」
傭兵の男でさえゾクリとするほど平坦な声でローズは言い張った。
ローラが聡明なのはローズの遺伝なのかもしれない。
ローズ・アロースミスはBIG-Cの惰弱さを理解していた。
BIG-Cの人間達は私兵部隊を殲滅した後もそこに住み続けるつもりだったのだろうが、ローズはシェルターに入り一晩過ごした頃にはもう見切りをつけていた。
彼女の夫は過去の防衛戦で英雄となった傭兵に救援を求めると言っていたが、流石の彼でも1人で自分達が求める勝利など不可能だろうと気づいていた。
ローズは誰も知らない傭兵の男――かつての少年の姿を知っていた。
1人で戦場の真ん中に飛び込み、傷を負ったまま路地裏で座り込み、夫妻の助けすら拒否した。
夫妻は彼が生きてきた環境を知りはしないが、自分達の家庭とのあまりの違いに驚いた。
子供が子供である事を許されない状況を異常と思うのは平穏に酔っていたからなのだろうか?
その答えを出せぬまま、アロースミス家は恨み言1つ言わなかった少年を送り出すことになってしまった。
「大体、話は聞いてましたわ。彼のアドバイスがあったにしろ総指揮を取ったのは私の夫と娘です。責任を追及されるのであれば我が家の人間達でしょうに」
「ですが!?」
「貴方のはただの八つ当たりです。今の我々には貴方を裁く権利がない以上、今は不問とします。なので今後の彼の処遇に対しても不問とします」
ローズがそう言い終わる頃に男の体が大きく揺れ、倒れそうになった男の体をローラは慌てて受け止めた。
バイクに乗っていた時、男の腰にローラが手を回してきた時から薄々気づいていたが、傭兵にしては余りにも細く軽い体にローラは驚愕する。
この体で一身に銃弾を、非難を受け、皆を守っていたのだ。
「ローラ、泣いている場合ではありません。彼の治療をしなければ」
視界が滲み出した頃、母の言葉にローラは涙を払い応急処置が出来るセットを持ってきたアロースミス家の侍女からそれを受け取り男の治療に取り掛かった。
今度は私が救う番なのだ、と。
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コロニーの外れ。車両を纏めて駐車しているだけの雑然とした場所での親子の会話は楽しい物とはいかなかった。
「お父様とはまだ合流できていないのですか?」
「ええ、それが――」
ローズを含む第1班 脱出部隊は無事にceasterに着けたが、ルートを変えた第2班脱出部隊は敵が待ち受けるルートと重なってしまった為、逃げ回りながらceasterを目指すことになり離れ離れになってしまったそうな。
ルーサムの1人娘のサビナは今までのない経験に疲れ、眠り込んでしまったらしくローラは年上の幼馴染と再会を果たせずに居た。
「どんな行動を起こすにしろ、運転手の誰かが起きるのを待ってどちらへ逃げたか確認してからにしましょう」
「はい、とりあえずお兄さんが目を覚ますまでは動く気はありません」
ローラは自分1人で荒野に出る事の危険性を今朝の男の言葉でハッキリと理解した。
その為、男が起きるまでは体を休めることにした。
男が起きて、代2班の足取りが分ったとしても、男が改めて請けてくれるか、そもそもすぐに動けるかなどは分らない事だが。
傭兵の男に暴行を加えたコロニーの女にはローズが隔離と謹慎を言い渡した。
一度感情的になって事を起こしてしまえば、もう信用などないも同然だ。
それはBIG-Cのようにモラルを重んじるコロニーなら尚更の話であった。
有力者の客人に暴行を働いた時点でコロニーによっては追放か私刑になりかねない、女がしたのはそういう事である。
「無理を…させてしまいましたわ…」
この時代において高級な嗜好品、ローズがローラに渡した暖かい紅茶が入った金属製のカップを見詰めながらローラは言う。
幾つのかの海は姿を消し、汚染された空気の中では植物はほぼ枯れ果て、万が一ソレが育ったとしても毒にしからない。自然環境は衰退の一途を辿っている。
BIG-Cが栄えたのはそういった茶葉や野菜など植物を清浄機と有機ライトを使用した密閉された環境で栽培し、他のコロニーに降ろしていた所が大きい。
数少ないコロニーで栽培されている物以外の食物は基本的に有機的な物を含んだ合成物であり、男がスラムの部屋に買っておいていたアルコールも所謂合成アルコールと呼ばれる物であった。
合成ではない、有機的な物を使い作られたアルコールなどが資産を持つ者達以外の口に入ることはほとんどないだろう。
それ程に貴重なものになっているのだ。
そして、茶葉のシェアのトップを占めていたBIG-Cが空爆され跡形も残らなくなったと知れば市場も世も動くことになるだろう。
市場に知られている名前を持つ地域は私兵集団の殲滅の対象になる。
浅はかで愚かな考えではあるが、それ程に混迷した世の中である。そう考えてもおかしくはない。
「ですが、それは我々が選んだ事ですのよ?」
甘えも、責任から逃げることは許さない。
ローズの毅然とした態度にローラは顔を上げる。
家族の責任だ、と限りなく責任のない自らもその中に落とし込んだのは彼女の優しさだろうか。
しかし最悪、男が依頼を拒否したのなら1人で荒野に出なければならない。
その事の恐ろしさにローラの体が震える。
BIG-Cからバイクに乗って飛び出した時は自らが故郷を救うのだという使命感と「お兄さん」に会える興奮とで気にしては居なかったが、女1人で荒野に出て荒くれ者ばかりの野盗にでも出会ったらどうなってしまうのだろう。
しかし、そう思うからこそ普通の傭兵は雇えなかった。
策謀に疎く、愚直に相手を信用してしまうBIG-Cの人々には普通の傭兵は裏切られてしまうリスクが高すぎた。
だからこそあの時も報酬さえ出せば紛争地帯から逃げてきた移民の子供達の子守がてら、それを狙う人身売買のビジネスの営む組織の殲滅までした、裏切りさえしなければ決して裏切らない男を雇ったのだ。
そのせいで傭兵の男をBIG-Cの人々は英雄視し期待を押し付け、今回のような事になってしまったのだろう。
自分達が手も足も出なかった相手に勝利した。
自己犠牲を厭わず戦場に1人で駆け出した。
見方を変えればBIG-Cの人々が愚直なだけで、その上で戦力にならないと男に思われただけ。
なんて勝手なのだろう。ローラは自らとBIG-Cに苛立ちを覚える。
男が倒れた際、その体を受け止めて理解してしまった。
男は無敵の英雄なんかではなく、ただの人間で、幼い頃からろくな物を食べず、ろくな生活を送れず、ただ戦ってきた。
男のこれまでの人生は限りなくそうだったのであろう。
BIG-Cのように豊かではなく、幼い頃から戦場に送り出すような環境。
本人が気にしていない以上、この同情はお節介でしかないがアロースミス家の人間はこういったものを止められない。
アロースミス家の人々も所詮はBIG-Cの人間だということだ。
しかしローラは同時に気づいてもいた。
「お兄さん」を幸せにするのは自分達ではなく、故郷に待たせていると彼が言った女性だ。
胸に生まれた不快感ごと飲み干すように、ローラは紅茶をのどに通す。
あの頃のように後を付回し、同じ食卓を囲み、一緒に過ごすなどもう有り得ないのだ。
男は傭兵で、ローラはコロニーの有力者の娘。
今でこそコロニーがなくなってしまったが、無事だったならばコロニー存続の為に身をささげていただろう。
身分が違うとは言わない。ただ住む世界が違いすぎた。
ローラはあの時のようにただ「お兄さん」と一緒に居たいのか、それとも伴侶として添い遂げたいのか分らなくなっていた。
「奥様、お嬢様。ライアンが目を覚ましました」
最近癖になりつつある、思考に沈むそうになった所に侍女が2人を呼ぶ。
立ち上がるローズに続くようにローラも立ち上がり、母について行く。
端に駐車されたシートを倒して眠っていたことが分かるその車両にはつかれきった顔をした男が体を起こして座っていた。
「ライアン、よくご無事で」
「お嬢様こそ、ご壮健そうで何よりでございます」
ローラの言葉にライアンという男が破顔して言葉を返す。ライアンは先のBIG-C防衛線でチャールズの下で戦い、街道の防衛に尽力したチャールズの直属の部下だった。そしてライアンは防衛戦後は除隊しアロースミスの私兵兼運転手として働いていた。
「わたくしは、お兄さんに守られていましたので……」
「そうだったのですか。彼には感謝をしなくてはなりませんな」
ローラは微笑を作ったつもりだったが、どうにも上手くいかなかったらしい。
「お嬢様、貴方は確かに彼に守られていました。しかし守られていなかった他の者達が確実に死んでしまったという訳ではありません。今は皆を信じ、彼に感謝をしましょう」
ローラはそのライアンの言葉にようやくそれを気付かされ、意識を切り替えることとした。
傭兵の男がローラをここまで連れて来たように、ローラの仕事もまた終わっていないのだから。
「……申し訳ありません。手間を掛けさせましたわね」
「いえ、過ぎたお言葉でございます」
そしてライアンは表情変え、話の転換を促す。
「もう1つ手間を掛けさせることになりますが、1つお尋ねしてもよろしくて?」
「自分にお答え出来ることでしたら何なりと」
目新しい情報は無かったが、情報を整理するとBIG-Cから脱出後、第2班から襲撃されたという連絡があったが、最低限の武装しか持たない第1班は救援に行く事も出来ず、最後に「北上して企業の影響力のないコロニーを経由してceasterに向かう」という連絡を最後に更新が途絶えたそうだ。
第1班の動きが敵に補足されてないと言い切れない以上、同じ目的地を目指すよりもほとぼりが冷めるまで他のコロニーへ逃げ出すのが最善だろう。
ただ問題は第2班は負傷を多く脱出させて班であるということだ。
最悪、治療の器具や人手が足りずに死んでしまう者がいるかもしれない。
そうでなくても、このコロニーでも手に入る救急用のナノマシンを使えば負傷者達の生存確率は確実に上がるだろう。
新陳代謝を促進する以上寿命に関わるらしいが、すぐに死んでしまうよりはマシだ。
そう考えると行動は迅速でなくてはならない。
しかし現状主戦力である傭兵の男は負傷、ライアンも既に消耗しきっている。
何より途中で戦闘になる事を考えると、運転手であって防衛部隊の人間でないライアンには荷が重過ぎる。
結局BIG-Cの人々の命を掛け金にして、男に選ばせなければならない。
脅迫と同意義ではあるが、もうそれしか残されていない。
その後、ローズと同じ社内のシートに身を横たえたローラは暗い感情を胸に眠れない夜を過ごすこととなった。