Bullet Ride 2
結果として、少女にはソレが理解できなかった。
少女は呆然として現場をただ見ていただけだ。
こんな至近距離で聞いた事のない大音量の銃声、自らが探していた傭兵が持つハンドガンの銃口からは硝煙が上り、そして彼を殺さんとしていた男の手からは大量の血が溢れ呻き、地面に倒れ臥していた。
「お前が明日からどう生きていくのかなんて俺は知らないけど、掃除だけはちゃんとしておけよ」
過程は少女には分からない。しかし、探していた彼の銃から放たれた弾丸はもう1人の男の指を、肘から先で手甲が唯一存在しない場所を打ち抜いた。
指が無くなった灰色の髪の男、隣人はきっと明日から人生が変わってしまうのだろう。
似た細胞で作ったパーツで代用、時には付加をつける事すら出来るオルタナティヴという治療もこの時代には存在するが、資産を持つ者達でなければ受けられない。そういう額が掛かる治療だ。
唯一手が届くであろうナノマシン治療も、指を再生することは出来ない。
もう灰色の髪をした男の指は戻らない。
「さて、待たせて悪いね」
悪びれもせず少女が捜し求めていた彼はそう言って銃をしまった。
殺さない為に指を撃ち抜いたという訳ではなく、本当に掃除が嫌だからそうしたような振る舞いに少女は多少の戸惑いを浮かべる。
彼は本当にあの「お兄さん」なのだろうか? と。
「さっきも言ったけど傭兵は廃業してもう依頼は受けられない。あとこれはお節介だけど、傭兵に喧嘩を売るんじゃない。結果としてお嬢さんが売り払われてもおかしくはないんだぜ?」
男の最後に付け加えた良心からの言葉が少女の目を見開かせた。
その様子を見て男は嘆息する。少女はやはり箱入りのようだった。
しかし、知らなかったでは許されない。愚かな行為の代償は自分の身をもって清算しなければならないからだ。未だに立ち上がる事も出来ない隣人のように。
「理解してくれ。お嬢さんの身を守ってくれる保護者がここに居ないのなら、自分の身は自分で守らなきゃならないんだよ」
そう言って男は腰につけたキーリングを外し鍵を開ける。
「それじゃお兄さんはもう疲れ果てたので寝ます。またいつかご縁がありましたら――」
お会いしましょう、と話を終わらせ部屋に消えようとする男の肩を少女の細い指が止める。
「お待ちになって下さい! わたくしはずっとあなたを探して――」
「事情は知らないけど探してたのは傭兵の俺だろう? 今の俺はただの帰郷を楽しみにする、一般庶民さ」
男はそう言い放った上で帰れと態度で拒絶する。
傭兵業を営んでいた頃は自分の軽率な行動のせいでもあるが、ある程度の面倒事にも首を突っ込んでいかなければならなかった。
しかしこの少女の必死な態度を見る限り案件は面倒事としては極上のものだろう。
「ですが、あなたしかもう頼れないんですの!」
「組合に依頼は出したのか? あいつらは確かに気に食わないけど仕事だけはキッチリこなす。お嬢さんの予算次第だけど悪いようにはならないはずだよ」
残念ながら組合所属の若手最有力は今日殺してしまったけど。
言葉には出さず、内心で男は付け足す。
「お願いですわ! 話だけでも聞いてくださいまし!」
「機密情報を聞かせて引っ込みが付かなくするやり方なら俺には通用しないよ」
何故なら一度それで貧乏くじを引いているから。
当時何も知らなかった男はあまりにも策謀に対して脆かった。
自らの考えの甘さから何度も命を落とし掛けた。体の至る所に残る幾多の傷跡は自分の愚かしさの象徴だ。
「……なら外にあるあのバイク! 話を聞いて下さるのならあのバイクを差し上げますわ!」
「……はい?」
少女が思い切ったように言い放ったとんでもない言葉に思わず男は間抜けな声を挙げる。
この時代に置いて乗り物は司法が生きていた頃のアンティークでなくても超高級品であった。
資産を持つ者達は自らの乗り物を多数所持し、コロニーの有力者でようやく所持できるほどの物。
この少女が乗ってきたであろうバイクを持つような人間はこのスラムの何処にも居なかった。
大多数の乗り物を持たない人間達はシェアバスという大型の車両に詰め込めるだけ人間を詰め込んで大き目のコロニーとスラムを巡る移動手段を利用していた。
それも個人個人が勝手にやっている職業なので目的地に行けるシェアバスに出会えるかは運次第だが。
エフレーノフのジープもおそらくコロニーの財産だったのだろう。
勿体無い事をした。目の前の少女から剥離しかけた男の耳を、少女の鈴の音のような声がくすぐる。
「いらないんですの? あのバイク、アンティークのような液体燃料ではなく、運動蓄電式の最新型のエンジンを載せたものですのよ?」
「話だけは聞かせてもらおうかな」
途端に態度を翻した男は、扉を開けて少女を部屋に招く。
運動蓄電式、つまり走れば走るだけバッテリーが貯まり燃料の枯渇の心配がないという今の時代において唯一旧時代に勝てる最高の発明品だった。バッテリーが上がってしまえば充電されるまで押して歩かなければならないが、そこまでする覚悟さえあればバイクが使えるということだ。
話だけ聞いて簡単に済みそうにない面倒事ならバイクだけもらって帰る。その時は荷物だけまとめて部屋を明け渡し、明日のシェアバスを待って勝手に帰ってもらおう。
優しくしてやるのはここまでだ。
そう胸中で呟きながら傭兵の男は少女を室内へ誘い、少女を安物のソファを薦める。
「適当に座ってくれ。悪いけど決して美味しくはないアルコールもどきと買って1週間放っておきっぱなしの水しかない。どちらもお勧めは出来ないから持て成しは出来ないけどね」
男はジャケットを脱いで、奥にあるベッドに放る。
男の部屋は縦長のワンルームで手前は仕事のスペース、奥がプライベートの寝るだけのスペースと申し訳程度の仕切りで分けていた。
屋根があるだけマシ。この時代に物を持っている人間は少なかった。
服飾は最低限、かつての娯楽は朽ち果て他者の記憶などのデータ。生きるために必要な物しか必要ではないのだ。
傭兵の中には自慢の武器を壁一面に並べる者も居たが、男の趣味ではなかった。
武器は道具だ。飾ったりコレクションをして楽しむ物ではない。
その考えが殺した相手の血が付着する武器を平気で使う精神を作り上げていた。
「結構ですわ。楽しいお話はまたいずれといたしましょう」
安物のソファに腰を掛けた少女は言外に「問い詰めたい事がある」と付け足した言葉を紡ぎながらも、碧眼は男を値踏みするかのように男を覗っていた。
「今回依頼したいのはわたくしのコロニーBIG-Cを私兵集団からの護衛、状況によっては奪還ですわ」
「懐かしい名前だ」
そのコロニーは朽ち果てかけでもう動く様子もないclockを揶揄してBIG-Cと呼ばれていた。かつてはイギリスとという国の首都だったらしいがもはや名残は朽ち掛けた時計台、それだけだ。
しかし感傷と共にやってきたのはやはり面倒事だった。
護衛、もしくは奪還。
つまり少女が男の所へ来るのを決めたときには既に襲撃されていたという事だ。
男の脳裏に最悪の事態がヴィジョンでよぎる。
面倒だ、本当に面倒だ。
俺は早く帰りたいだけだと言うのに、と男が溜息をつく。
「そうでしょう。お兄さんとしては2度目の護衛となりますわね」
少女が放った言葉に男は眉間に皺を寄せる。
男がBIG-Cで受けた任務からもう数年が経っている。ここ数年で顔をあわせた男の知人はせいぜい移民や仕事の関係者だけだった。その中にBIG-Cの関係者は居なかったはず。
「……まさかとは思っていましたがわたくしの顔をお忘れになられたのですの?」
端正な少女の顔は呆れと怒りと悲しみを器用に滲ませる。問いかけてから数瞬、少し悲しげな溜息と共に少女が告げる。
「ハア……ローラです。ローレライ・アロースミスですわ」
「……ローラ嬢ちゃん?」
少女の名乗った名前に男は静かに驚愕する。
男の記憶の中のローレライ・アロースミス、ローラはBIG-Cの有力者の一人娘だ。
脳裏にあの頃の記憶が鮮明に甦る。
仕事中は、特に哨戒中に男の後を率先してつけ、休日はアロースミス夫妻から貸し与えられた別宅に住み、惰眠を貪る男の腹部にボディプレスをかましてきた。
最初は警戒してすぐに飛び起きていたが慣れてしまえばそうもいかず、子供の体重とは言え睡眠中で完全に弛緩している男の腹筋になかなかのダメージを与えていた。
「そうですわ。まさか本当に忘れられてるなんて……」
「忘れてたわけじゃないさ。ただローラ嬢ちゃんだと気づけなかっただけ。本当に大きくなった」
「わたくしはもう16ですのよ? 子ども扱いはやめてくださいまし」
「アロースミス夫妻は俺がそのくらいの年齢だった頃、俺を子ども扱いしてたよ」
昔はそんな呼び方をしなかったと言うのに、と頬を膨らませ淑女然とした振る舞いに似合わぬ拗ね方をする少女に男は笑みをこぼす。
夫妻は子供達にやたら懐かれていた男が使うスラングに子供達が悪影響を受けないようにと、男がスラングを使う度に注意していた。
男は「そもそも傭兵の傍に子供達を置いておく方が有事の際、危険なのでは?」と上告したが、「護衛できる戦力が子供達の傍に居てくれれば有事の際、コロニーの防衛戦力をコロニーの防衛に割ける」と一蹴された。
今思えば子供達と一緒に守られていたのかもしれない。
BIG-Cはコロニーの中でも比較的裕福なコロニーで、アロースミス夫妻はこの時代に於いては滑稽と言えるほどに高貴なる者の義務を尊んだ。
一傭兵にちゃんとした住居と食事を与え、言葉等の教育をし、平穏な時間も与えてくれた。
時が経つにつれ言葉だけには留まらず、騎士道と紳士としての振る舞いも叩き込まれたのも、ただの気まぐれかもしれないが、余所者の傭兵に教育を施すなんてとてもじゃないが信じられなかった。
当時まだ成人していなかった男はその度に「俺は子供ではなく傭兵です。ここにきたのは勉強でも保護されに来たのでもなく、仕事をしに来たのです」と伝えるも一度ととしてそれが聞き入れられることはなかった。
そのコロニーが今危機に瀕していると。
「そのアロースミス夫妻からの依頼です。どうか受けていただけないでしょうか?」
疑問符が追随する言い方ではあったが、ローラは自らが信頼する男が断るとは思えなかった。
しかし、期待は裏切られる。
「悪いけど受諾は出来ない」
「な!?」
少女は驚愕し言葉を詰まらせる。
自分が知る「お兄さん」に、コロニーの英雄たる傭兵にそう言われるとは思わなかったのだ。
「いや、敵対勢力は私兵集団だろ? BIG-Cの防衛戦力が優秀で私兵集団を撃退できていたとしても、良くて虫の息。護衛として長い期間を取られてしまうかもしれない。悪ければ、ほぼ1人でのBIG-C奪還作戦だ。BIG-Cが既に占領されているのならBIG-Cが保有する戦力の援護は望めない。これから戦争をしようと言うにはあまりにも不利過ぎる」
「……お兄さんにはもうBIG-Cはどうでもいい物なのですか?」
「そういう訳じゃない。ローラ嬢ちゃんを含めて子供達は皆可愛かった。アロースミス夫妻にはたくさんの借りがある。でも俺はもう傭兵じゃないんだよ」
辛そうに言葉を搾り出すローラに男は淡々と告げる。
男のような一傭兵にあっても世間への影響力というものは意識せざるを得ない。
経緯はどうあれ、エフレーノフを数時間前に殺害した男がBIG-Cの護衛に付けばエフレーノフを支援をしていたコロニーKzylに目をつけられるかもしれない。
男1人なら故郷に帰って、名前を変えてから待たせていた女と隠れながら暮らして行けるがコロニー1つではそうはいかないだろう。
そうなってしまった時に、男は責任を取ることは出来ない。
「ですが……! 我々にはもうお兄さんしかいないのです!」
「そうかな? 俺以外にも私兵集団に勝利した傭兵は探せば居るよ。大体、あの戦闘は俺1人で勝利した訳じゃない。買い被り過ぎだ」
男は所詮傭兵だ。金で雇われたなら守り、救い、殺す。
しかしその関係も需要と供給の上に成り立つものだ。今の男が仕事を望んでない以上、失望されたとしても強制される謂れはない。
何より、戦闘経験と武器知識を得た傭兵は必ず私兵集団のパワードスーツに対する戦闘法に気づいていた。男は確かに優秀な傭兵ではあったが、決して最強ではない。
「所詮は複数居る傭兵の中の1人。それも元、だ」
失望と焦りを隠すように俯くローラに、男は最後通牒をアクセントをつけて突きつける。
男は自分にとってすべき事をした。
話を聞き、それを断り、バイクをもらう。
だが、少女を箱入りと舐めて掛かった男に、少女はこれから逆転する形勢のように微笑を浮かべる。
少女は確かに箱入りではあった。銃器の扱いも知らず、身に着けたものは勉学と生きる為の術。
しかし、少女は1つだけコロニーの大人達全てを凌駕する才能を持っていた。
「ですが、いいんですの?」
「何がだい?」
「バイクの事ですわ」
ローラが顔を上げて告げた言葉に、男は眉間に改めて皺を寄せる。
アロースミス夫妻の教育を一身に受けてきたローラが約束を反故にするとは思わなかった。
しかし、約束は約束だ。心苦しいが、いざとなった時の手段がないわけではない。
「約束を反故にするつもりなどはございません。アロースミス家の長女を見くびらないでいただけます?」
ローラは男の様子に気づき、心中を読んだかのように言う。
未だに男が策謀に対して比較的に弱いとは言え、彼女が俯いていた顔を上げたその時から考えが全く読めなかった。
「わたくしはバイクを差し上げると言いましたわ」
「そうだね。それで俺もローラ嬢ちゃんの話を聞いた」
男が返事を返すと同時に美しい微笑を浮かべてローラは言った。
「しかし、キーも差し上げるとは一言も言ってませんわ」
ローラが努力と共に得た才能は、姑息であっても確実に勝利を得る交渉術と策謀だった。
「……大人になられましたね。お嬢様」
ローラの白く細い指で揺らされるバイクのキーを見ながら、男はせめてもの皮肉を口にした。
任期が終了して男がスラムに戻る時、泣きじゃくっていた少女は立派な淑女となっていた。
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襲撃は、ほぼ24時間前。
コロニー周辺を哨戒中であった装甲車両部隊から「私兵集団の襲撃」と連絡が入った。
3台ある装甲車は2台が大破、もう1台は命からがら撤退に成功した。
迎撃に向かった防衛部隊の内2つが殲滅された瞬間にチャールズ・アロースミスはコロニーが保有する防衛戦力では勝ち目がないことを悟った。
私兵集団の目的はBIG-Cが所有する乗り物や兵器、貴金属等の財産。そして人々の記憶だろう。
つまり降伏はただ命を失うだけでしかないのだ。
アロースミスはそれを許すわけにはいかなかった。
司法が死に、宗教は廃れ、モラルが腐るこの世の中において、人々の模範となるように振る舞い、弱きを助け、誇りと共に生きる。
他所から見れば愚直かもしれない。
だが、アロースミスとはそういうものなのだ。
高貴なる者の義務と共に生きる。
強制したこともされた事もない、自らが選んだ生き方。
その上で死ぬのならばチャールズ・アロースミスの一人娘は改めて道を選ぶ事が出来るだろう。もし勝てたのならばこの時代において弱き者達の灯になれるだろう。
チャールズも他の防衛部隊の人間達も同じ考えに辿り着いたのだろう。
しかし誰もそれを口にしようとはしない。
BIG-Cの人間達は理解していようがしていなかろうが、かつて1人の少年に重荷を背負わせてしまった。
傭兵とは言え、ただ1人の少年に。
しかし彼は防衛部隊に「とにかく敵陣に弾丸をバラまいてほしい」と言って単身敵陣に飛び込んでいった。
状況が動き出してしまい、コロニーの防衛部隊は傭兵の言うとおりにする他なく、文字通り敵陣に弾丸をばら撒いた。
傭兵はその中をある時は私兵集団の装甲車を盾にし、ある時は傭兵が誘ったフレンドリーファイアにより力尽きた私兵の死体を盾にし、ある時は冗談のような大口径の拳銃で、私兵を無力化した。
私兵達にとって理解不能な恐怖の対象となった傭兵と飽和攻撃を続ける私兵達のパワードスーツに大したダメージも負わせられない飽和銃撃。
最後の1人まで、戦場を私兵の精神を揺さぶり続けて全滅させた。
結果としてBIG-Cは勝利し、彼らの平穏は守られたが未だに大人達の心中にはその戦闘が引っかかり続けている。
もし防衛部隊の弾丸が底を尽きていたら? もし私兵集団の中にカリスマを持った指揮官がいたら?
そうなってしまえば傭兵は確実に生きては帰ってこなかっただろう。
そして守られた平穏に酔いしれ、防衛部隊は反対するアロースミスを差し置いて傭兵を追い出してしまった。
「任期満了だ」
傭兵にそう告げてしまえば、出て行かざるを得ない。
BIG-Cの大人達の恐怖心は彼への同情や感謝を上回った。
平気で弾丸の雨の中突入し、敵の死体を盾として利用する傭兵に。
結果BIG-Cは自らの英雄に、襲撃がない以上傭兵にコロニーがお金を落とし続けることは出来なかった。
傭兵は恨み言1つ言わずに出て行った。
そしてBIG-Cはその傭兵に改めて力を借りようとしている。
傭兵は人々を許すだろうか。
チャールズは交渉事において無類の才能を開花させていた実の娘に傭兵との交渉を依頼することを決めた。
傭兵が依頼を受けてくれたとしても、財産を失ってしまうかもしれないが彼は人々の命を守る事を第一とした。
最悪アロースミス家一番の財産であるバイクを譲渡しても構わない、と。
これには彼の一人娘も周囲も驚愕を隠せなかったが、それ以外の財産は復興に使わねばならない。
バイクや乗り物は貴重であり、それ故資産に変えようにも買い手が付かないのも事実であった。
企業や資産を持つ者達に知られれば彼らはそれを買うのではなく、奪いに来るだろう。
MEMORY SUCKER.さえ持っていれば襲撃は一石二鳥のビジネスとなる。
現に私兵集団がこうしてコロニーを襲撃している今、手段は選んでられない。
チャールズは傭兵と、交渉役を任命する前に自ら申し出た愛する一人娘に全てを託し、戦線へ指示を出すべく立ち上がった。
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荒野を銀色のバイクが走る。
左サイドに付いたバイカーズバッグには男の埃を被っていたサブマシンガンと奇妙な拳銃のグリップが顔を出し、その反対には男の少ない私物が詰められたボストンバッグがぶら下げられていた。
そしてそのバイクに乗るのは黒髪の男と金髪の少女。
結果として男はローラに負けた。
この時代において乗り物は本当に貴重で、有事の際逃げるのに役に立つが同時にそれを狙われるという諸刃の剣でもあった。
しかし男のような戦闘を経験しているような人間からすればどこで何をしていても危険なのだ。
理解して備えるほうが害が少ない。男はそう考える。
そしてバイクのハンドルを握る男に後ろからしがみつく金髪の少女、ローラは考える。
何故お兄さんはここまで変わったのか。
実際は変わってなどいないのかもしれないが、あの頃男の後をつけるローラ達を見て困ったように微笑んでいた彼とは違う気がする。
任期であったからコロニー内の子供に親切にしていた、と言うのだとしても男の部屋に不法侵入したローラに何故1つも文句をこぼさなかったのだろう。
しかしローラはもう16だ。あの時と同じ扱いをされても気分が悪いのも事実だ。そこだけは昔とは違う紳士的な扱いを期待したい、とローラは胸中で呟く。
それに左目の眼帯だ。
ローラが知る限り、5年程前の男には両目があった。
損傷したわけではなくただ理由があって、隠しているだけかもしれない。
だが、もし目に障害を負うような事があれば確かに人は変わってしまうだろう。
昨夜の灰色の髪の男も指一本を失っただけで、傭兵がああなってしまうのだ。失ってしまった物が五感をつかさどる機関なら尚更だろう。
もしや、と最悪のヴィジョンが脳裏に浮かんだが即切り捨てる。
有り得ない、有り得ないのだと。
ローラは思考の内容を切り替えた。
愛すべき両親と同胞達が住まうコロニー、BIG-Cは無事なのだろうか。そう考えていると傭兵の男がローラに話掛けてきた。
「BIG-C側に作戦はあるのかい?」
BIG-Cのシンボル、時計台が見えた頃、男のエンジンに負けないように発せられた大声にローラは思考から回帰した。
「おそらくまた、お兄さんの霍乱と挟撃による飽和銃撃によって終わらせようとしているのではないかと思いますわ」
確証はありませんが、と付け足すローラの言葉に傭兵は呻く。
何も進歩していない。
BIG-Cは騎士道と伝統を重んじる今の世において人道から外れる事はしない唯一のコロニーではあるが、それ故戦いにおいてどうにも愚直な戦法しか取れない。
前回は男が自ら汚れ役と囮役を兼任し、切り札を行使して勝利を得たがそれが何度でも上手くいくと思われたのではたまったものではない。
「悪いけど、一度BIG-Cの本拠地に行かなければならなくなった」
「そうですわね。私兵集団の装備が当時よりもアップグレードされている以上、当時と同じ手段は通用しないでしょうし」
ローラは戦闘という物を知っている訳ではないが、紛れもなく戦力差を理解していた。
誇りだけで勝てるほど戦争という物は甘くないのだと。
だから、ローラは姑息であっても確実に勝利へ導く交渉術を会得した。
誇りを捨てるわけではない、ただ誇りに寄りかかるのだけはもうおしまいだと。
「目立たないよう回り込んで中央まで突破する。俺が覚えている限りの回りくどい道を突っ切るからしっかりつかまってくれ、ローラ嬢ちゃん」
男がそう言うとバイクはローラの今までの人生で聞いた事がないようなエンジン音を上げ、速度を増した。