Vengence 2
ささやかな日光すら差し込まぬ夜明けにウィリアムは侵攻を開始した。
排水設備に流されるガスや異臭を放つ汚水から自身を守る為にガスマスクを着け、その身を預けていたバイクは苦渋の決断ではあったがローラの傍らである味方陣営の中央に置いてくる事となった。この戦いの後単独で脱出し、行方をくらます予定であるウィリアムにとっては実質所有権の放棄と同義ではあったが背に腹は変えられなかった。
万が一この排水設備に企業の人間が来て、良くも悪くも目立つあのバイクが見つかれば自分の身もバイクも危ないのだ。
ヘドロのような汚水が流れる排水路に沿うように作られた、細いコンクリートの道を進む度にコンバットブーツが音を立てる。
エネルギーは枯渇し、物資に対して過多ともいえる人口で賄っている昨今こういった施設には室内灯等が完備されているはずが無くウィリアムは壁を右手で伝いながら進んでいく。
汚水の色も分からない程の暗闇に紛れながらウィリアムは、言葉を交わす事無く別れた少女の事を思う。ローラのような聡い人間に最後の会話のような洒落た事をすれば、こちらの思惑など簡単に看破されてしまうだろう。交渉ごとや策謀に弱いウィリアムは出来ればバイクの所在の話すら避けたかった程だ。
左手で突き出すように構えていたアンチマテリアルライフルが何かに当たる。
ウィリアムとバイクと共にローラによって回収されたアンチマテリアルライフルのスリングを肩に掛け、左手でその付近を探ってみるとコンクリートで出来た壁に金属の棒が梯子のように連なっていた。
汚水の近くで腐食していてもおかしくない下段の梯子を思い切り踏み付け、金属が腐ってないことを確認してから梯子を上り天井に付けられたハンドルを回す。僅かに開いたハッチから漏れる音を聞き、ハッチの向こうに私兵が居ない事を確認しウィリアムは素早くハッチを開け梯子を上り改めて回りを警戒しながらハッチを閉め手近な柱の裏に身を隠す。
ウィリアムの予想通りBIG-Cの人間達とは比較にならないほどの選民思想を持つ企業の人間達は自らこんな環境にわざわざ足を運んだりはせず、傭兵を含む労働者に施設の清掃などを行わせる。その際に私兵が数人就くとはいえ本社の施設内に戦闘行為が出来る人間を招き入れる事になるわけだが、並大抵の傭兵では私兵に勝利する事は叶わず、例え勝利したとしてもどんな手段を講じてでもその記憶を奪取しようとする企業の人海戦術により連中の享楽的な遊びの上で全てを失うことになる。そして組合の依頼のリストを防衛部隊の人間に確認させたところその依頼は3週間前に受諾されており、その前の依頼は更に1年ほど前。環境の辛さを除けば傭兵が出来る仕事の中では最上級の報酬を得られその分人気も高く依頼が出されれば即取り合いとなるほどであり、依頼の空いた期間を考えると鉢合わせる可能性は低いがウィリアムが知らない新兵器を持った私兵が1人居るだけで死にかねない以上気を抜くわけにはいかなかった。
ウィリアムは端末から企業社屋の見取り図をコールし、計画通り排水施設と社屋中枢を繋ぐ出る事が出来た事を確認した。
このルートが侵入経路の1つとして割れているはずなのに私兵が1人も居ないのは誘い込まれているのか。
考えても答えが出るはずが無く、ウィリアムはただ進まなければならない。排水路では確かに通じていた端末の画面に表示された電波を遮断されている表示がその判断を後押しする。
たとえウィリアムが目的を達成しようが、ここで息絶えようがそれを外に居るローラ達に伝える手段はない。
その後の予定から言えばウィリアムにとっては都合が良いがもしウィリアムが死亡した場合、撤退のタイミングは予定とは変わり、中の状況を知らないローラやレジスタンスリーダー達の判断に任す事となるだけが気掛かりだった。
「今更何言ってんだか」
声にならない程の声で自らを嘲笑うように1人ごちる。
ウィリアムはローラの想いを利用する事により傷1つ負う事なくここまで侵入出き、そのローラの想いを「一時の気の迷い」だと切り捨てている自分が縋り付いている現実に嘆息がこぼれる。自らの都合で距離を置くというのに今更気に掛けるなど身勝手が過ぎる、と。
アドルフが今の自分を見たらきっと許しはしないだろう。
ジャケットのパワーアシストをアクティブにし、新しく買ったセミオートのハンドキャノンを構えながらウィリアムは思考を切り替える。
ローラの事を考えても復讐が成就するわけが無く、アドルフから全てを奪った者に復讐する為に今自分はここに居るのだ。
ウィリアムは背中を壁に向け、周囲に気を払いながら先に進む。
当初は殺した私兵のパワードスーツを纏っての侵入が計画されたが、ハンドキャノン等の高威力兵器でパワードスーツごと破壊しなければ私兵を無力化する事は出来ず結局その計画はご破算となり、ウィリアムは真新しいライダースとデニムを身に纏っていた。
つまり私兵に見つかり戦闘が始まってしまえば消音性など皆無なウィリアムの装備では、泥沼の状況になる事は避けられないということである。
通路を進み、幾つか小さい岐路を越えて行く内に四方に分かれる大きな岐路に差し掛かる。
壁に隠れながら進んでいる以上その先を見る事が出来ず、視界に入れれば一瞬で周囲を把握する事が出来る左目を使ってしまいたい誘惑に駆られるが、敵が自らの為に用意してあるであろう戦力が分からない以上あの頭痛を誘発する行いは避けるべきだと左目の誘惑を撥ね退ける。あのレーダーのような機能を使えばここ一帯を把握するくらいは簡単かもしれないが、まだ使う時ではない。
ウィリアムは息を殺し耳を済ませる。
自身が背にしている壁の方角でもある左の通路から2名ほどの足音が聞こえる。
辺りを見回すが遮蔽物など申し訳程度でしかない柱の影だけな上に、この施設内ではよく目立つ衣服。ウィリアムは脳裏に浮かぶ最悪のヴィジョンを正確に把握しつつ、それに備える。
足音が段々と近づきそれに比例するように緊張の糸が張り詰める。
こちらの武装にしても、私兵達が持つ武装にしてもそれらは1撃必殺の威力を持った高威力兵器。用心の為にライダースの下に仕込んだ、動きを邪魔しない薄いタイプのボディアーマーもその仕事に期待することは出来ない。
ハンドキャノンを握り締めた手を覆うレザーグローブが音を立てそうになるのを理性で押さえ込む。
私兵の装備するパワードスーツがどれほどの性能を持つかウィリアムは知らないが、生身の人間が気付くレベルのものに気付かないはずが無い。
そして白い人影が岐路に差し掛かる。
視線で気取られぬよう注視する事はせず、視界の端にその2つの白い人影を入れながら去るのを待つ。
私兵達がウィリアムに気付いていない今、不意を討ちこの2人を殺すのは簡単だが一度戦闘が始まってしまえば予想しえる最悪の事態へ駒を進めてしまう事は火を見るより明らかであった。
それに2人という少数による通常巡回しているという事は、まだ外の部隊が企業に対して脅威とされていないということだ。作戦開始からの時間と味方戦力を考えると戦闘が始まっていない、既に戦闘が終わっているという事は考え難い。
そしてもう1つの考えが私兵が落とした、世紀を跨いで時代遅れなプラのカードによって決定付けられた。
2つの白い人影が横姿から背中に変りそして姿を消えた後、ウィリアムはそのカードを回収する。真っ白なプラのカードに走る1本の緑色のラインとFor Avengerの文字。
誘い込まれていたという考えは的中し、同時に無駄な戦闘は避けられるが相手が用意した最上級のアトラクションには必ず参加をしなければならないという事をウィリアムは理解させられる。
そもそも先程の2人がウィリアムに気付かなかった事自体おかしいのだ。
ウィリアムの左目という小さなスペースに格納された機能の中の1つでしかない機能を、私兵のパワードスーツが備えていない訳が無い。
見逃されたという事実がここまでの全てを罠のように思わせるが、どちらにしろ他に道は無い。疑い出してしまえば今頼りにしている社屋の見取り図さえ罠の可能性が高い。企業の見取り図などある程度の資金と実力を持った傭兵やレジスタンス以外求める者はおらず、企業連中はそういう人間の記憶を好んで奪った。そう考えれば排水路の梯子の健全さ、等間隔に用意された隠れようと思えば隠れられるスペースになる柱の影。それらが誰の為に用意された物かは一目瞭然であった。
そしてウィリアムに出来る事は罠に飛び込みそれを突破する事のみ。
「乗ってやろうじゃねえか、クソッタレ」
ウィリアムは声を殺す事無く言葉を吐き捨て、ハンドキャノンをガンホルダーにしまい端末から社屋の見取り図をコールする。
見取り図の情報を信じるならば先程の私兵達は警備部隊の部署の方面から来て、正面の管理事務局の方面へ消えた。
残るは正面のただ真っ直ぐ中枢へ向かうだけの道。
きな臭いにも程があるが、他に道があるわけでもない。そう結論を出し、ウィリアムは排水路の暗さと対比するにはうってつけの純白の通路を進む。
この白も私兵のパワードスーツの白にも意味があるのだろうか。
どこもまでも肌に合わない。
溜息をこぼしつつそんな益体の無い事を考えている間に、ウィリアムは気付けば通路の終わりに辿り着いていた。
隠すかのように何もかも真っ白な扉と、その周辺を探るがカードリーダーらしい物は一切見つからない。
企業の社屋は巨大な円柱を中心とした蜘蛛の巣のような様相を呈しており、入り組んではいるが直線距離で考えればそこまで広いわけではない。加えてウィリアムはなるべく地下を通って中央付近まで侵攻していた為、この扉の開け先に進めば中央までの遺された道程はほとんど無いと言えた。
ここまでの戦闘を避けて来られたのは、この先に少なくとも連中が楽しめるレベルのアトラクションが用意されているという事。
そんな既に理解していた事を再確認して、ハンドキャノンを取り出しウィリアムは扉を開ける。
今までとは雰囲気の変わった排水路程ではない薄暗い長い1本道の廊下の中央に見慣れた物であり、しかしそれとは別物の代物が置いてあった。
それはアロースミスの流麗なデザインのバイクとは大きく違う、黒に1筋の緑色のラインが走らせた無骨なデザインのバイクだった。
そしてそれには本来キーを差し込む箇所には緑色の光を放つカードリーダーが鎮座しており、ウィリアムの為に用意された事は一目瞭然であった。
このバイク自体が罠である事を警戒しながら、先程手に入れたカードをリーダーに通すとカウルに走る緑のラインが毒々しいほどに光を放ち、エンジンが掛かる。
「期待し過ぎなんじゃないのか?」
その事態に毒づきながらウィリアムは乗り慣れたバイクよりは多少小さいバイクのシートに跨り、アクセルを回しバイクを走らせる。
わざわざこんな物が用意されているという事は、こちらの戦闘方法は既に割れているという事だ。
いつから探られていたのか、いろいろ考えられるがおそらくコロニーCrossingの1機目の機動兵器との戦闘はこちらの戦闘データを取るためのものだったのだろうか。そう考えれば希少であるにも関わらず出会い戦闘となった狼と甲殻類の間のような生き物の群れは最後のBIG-C防衛戦で空爆のタイミングを左右した機動兵器と同じ、状況が変わった事を教えるトランスミッターのような働きをしていたのだと考えられる。
そしてCrossingでは勝てる戦闘で泳がされ、手の内を知られたということ。
ウィリアム1人の為にどれだけの資金が動いたか考えると眉唾な話と思えるが、最悪なコンディションで機動兵器を破壊できたという事実は逃げ遂せた人間達を殺す為だけに出兵したという事実よりも説得力があった。
しかしあの赤い機動兵器のようにあからさまなワンオフ機が、たかだかデータ取りの為に使われるのだろうか。
人という労働力こそ有り余っているもののその他の資源や技術は安いと言えるものではない。その貴重さ故にどんなに優秀な兵器があろうと戦場の主役は未だに歩兵であり、あの赤い機動兵器のように貴重なワンオフ機がデータ取りの為に使われるとは思い難く、ウィリアムには検討もつかなかったが別の目的があるように思えた。
時間と金と貴重なワンオフ機やそれを扱える貴重な人材、それらを使ってでもウィリアムをここまで誘き寄せる目的。
きっとろくなものではない。
1本道が終わり開けたその空間は、ウィリアムが胸中で毒づいた言葉の通りの光景が広がっていた。
外の世界よりも明るい光を照らし出す照明と悪趣味なネオンが照らすコロッセオ状に広がる空間には、円を描くように配置された幾重の壁。
そして中央にはその両手に余りに不釣合いな巨大な銃器を持った、純白の機動兵器が1機鎮座していた。
「そう来たか」
ウィリアムは後輪を滑らせながらバイクを止め対峙する、その純白の機動兵器はこれまでの機動兵器と違い2本の足で立ち、ウィリアムの次の行動をただ待ち続けた。
左目を使わずに量産機に勝利したウィリアムと、まだロールアウトされていない2脚型の機動兵器。お互いのテストにはうってつけのこの状況にウィリアムは溜息をつき左目を覆う灰色の布に指を掛ける。
「お前等が俺の事情を知らないように、俺もお前等の事情なんか知らない。だから精々お互いの気の済むようにやればいい。ただ――」
ウィリアムが灰色の布を引き千切るのに呼応するように、機動兵器のオレンジ色のマシンアイが光を放つ。
「――俺を返してもらおうか」
緑色の瞳はどこまでも肌に合わない白を睨みつけた。




