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Avenger  作者: J.Doe
旧Avenger
11/107

Wake Up Dead. 2

 シェアバスを乗り継いでスラムに戻って2ヶ月ほどが経ちました。

 ウィリアムの体は撃ち抜かれ裂かれた左腕と左肩以外は大分良くなり、隣人が売ってくるケンカをモップ1本で終わらせる位には回復していました。ウィリアムにとって彼は実験台でしかなかったのです。

 そして戦闘以外の依頼であればまた請け始めようかとウィリアムが思っていたその時、端末にインスタントメッセージが届きました。

 差出人はコロニーCrossing、依頼の内容は1度私兵集団の大隊から襲撃を受けてたので、再度あるであろう襲撃を防衛部隊と協同で撃退して欲しいとの物でした。


 ウィリアムは悩みました。


 コロニーに住む人間であれば身辺調査などは済ませているはずですが、スラム生まれのウィリアムにはそんな物はなく下手すれば行ってもそのまま追い返されるのではないかと思ったのです。

 何よりアディにまた迷惑を掛けるのではないかと思うと、とてもじゃありませんが行き辛いの確かでした。

 しかしコロニーCrossingが襲われているのであればアディが危ないという事は事実であり、昔ならともかく戦力になりえる程度の力をつけたウィリアムであればアディの力になれるかもしれません。

 そう考えたウィリアムは新調したパワーアシスト付きの衣服に着替えて、装備を確認して家を出ました。

 そしてここからはウィリアムにとっても、アディ――アドルフ・レッドフィールドにとってもおしまいへ向かうだけの物でした。


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 ウィリアムが乗っていたシェアバスの車両内にざわめきが起こりました。

 何事かと思い、車両の窓に掛かっていたカーテンを引くと襲撃が受けているであろうコロニーCrossingがウィリアムの目に入りました。


『コロニーCrossingを目指していました当車両ですが、現在目的地が襲撃を受けている為、引き換えさせていただきます』

「待て! すぐ降りるからちょっとだけ待ってくれ!」


 車両アナウンスにすばやく反応したウィリアムは唯一の荷物であるボストンバッグを掴んで立ち上がりました。


「お客さんアンタ死にたいのか!?」

「違うさ、戦いたいんだよ! 面倒掛けて悪かったな!」


 そう言って止めてきたスタッフに詫びを入れてウィリアムは勝手にドアを開けて荒野へ飛び出しました。

 ウィリアムが飛び出した所からコロニーCrossingまでは約3km。

 近くに辿り着くまで襲撃に気付けなかったという事は光学迷彩を使ったり高速で移動する兵器があるか、それともスタッフが寝ぼけていたか。

 考えながらウィリアムはボトムのパワーアシスト動かして走り出しました。

 もし光学迷彩を使える兵器があるのならウィリアムなど一発で粉々にされかねません。

 辺りの警戒をしつつ、目的地まで急ぐ。

 久々の戦闘が体力を消費した状態で始まるのは好ましくありませんでしたが、アディが死ぬ事だけは許せなかったウィリアムは走り続けます。

 左腕と左肩の傷に障ろうとも。

 やがて戦場が近付き、見覚えのある後姿が歩兵に不意打ちされそうになっているのを見つけウィリアムはボストンバッグを投げ捨て歩兵にハンドキャノンの弾丸を放ちました。

 私兵は倒れ、冗談のような銃声に驚いたように男が振り向きました。ウィリアムの予想通り、その男はアディでした。


「ウィリアム!? お前今までどこに!?」

「それどころじゃないだろ! 何殺されかけてるんだよ!」


 辺りの銃声に負けないように怒鳴るアディの質問に、ウィリアムも怒鳴り返しました。


「それはそれ! これはこれだ! とにかく危ないからトレーシーの家にでも――」

「悪いけど、俺は依頼でこの戦闘に参加してるんだ。逃げる気はないよ。それにもう俺も子供じゃない、元部下を信じろ」


 そう言い放つウィリアムにアディは少し考え込んだ後、こう言いました。


「…わかった、でも何があっても俺のそばを離れるんじゃないぞ? 後で聞かなきゃならないことがたくさんある」

「付き合うよ、戦いも話もさ」


 そう言って2人は戦場へ駆け出しました。

 その戦場にはもはや陣形などはなく、ただの乱戦となっていました。


「相手は光学迷彩付きの兵器でも持ち込んでるのか?」

「いや、ただの電撃戦だ。ただ進行までのスピードに「かつてないほどの」ってつくけどな」


 ウィリアムとアディは私兵達に自らの弾丸を確実に当てながら戦場を進んでいきます。

 ウィリアムはアディの実力の高さを再認識し、アディは腕を上げたウィリアムを頼もしく思いました。


「じゃあ高速移動出来る戦闘車両があるって事?」

「いや、ただの輸送車両だ。対人機関銃とか最低限の武装は載せてると思うが、アレ自体は大した事はないだろう」


 つまり問題は歩兵の数ということになりますが、BIG-Cと違い私兵集団との戦闘に慣れているCrossingの防衛部隊は徹甲弾を使い確実に私兵を駆逐していきました。

 歩兵だけなら全滅させるのは時間の問題でしょう。ですが、ウィリアムの脳裏には最悪の状況がよぎっていました。


「なあ、レーダーを使える工兵って居ないのか?」

「うちの小隊には居ないが他には居る、それがどうした?」

「輸送車両がそのまま乱戦地帯に居続けるとか絶対おかしい。何かあるはずだ」

「…そうだな、ちょっと要請してみよう」


 そう言って通信を始めたアディを背に、辺りを警戒しながら進むウィリアムはアディに守られるだけの自分はもう居ないのだと思いとても嬉しくなりました。

 ウィリアムがハンドキャノンの弾を使い切る頃にはアディは通信を終えて戦線に復帰しました。


「少し腕を上げたな、少し」

「そうだね、俺はまだ若いからこれからも成長していくよ」

「お前そういう所だけ大隊長に似やがって…」


 ウィリアムの物言いにアディが深い溜息をつきました。


「俺と大隊長が原因なんだろ? お前が出て行ったの」

「いや、遅かれ早かれ出て行こうと思ってたし、原因も何もないよ」


 アディの問い掛けにウィリアムは論点をずらしました。

 あの時もそして今もアディや大隊長を恨んだ事はありませんでした。

 もしあの時Crossingから出て行かなければいずれ訓練中に殺されていたかもしれない、もしあの時Crossingから出て行かなければ移民やBIG-Cの子供達のに会う事も出来なかった。

 何より、こうやってアディの力になる事などできやしなかったでしょう。


「旅したり、傭兵やったり、いろいろあったんだ。いつか話したいな」

「いくらでも聞かせてもらうさ。こいつらぶっ飛ばしてからな!」


 そして走りだしたアディをウィリアムは追いかけて行きしました。


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「ところで小隊の部下はどうしたの?」

「防衛側の頭数が足りなくて半分持ってかれて、もう半分が死んじまったよ」

「どこもお人よしは苦労するんだね」


 溜息をつきながらウィリアムは防衛部隊幹部に復讐する方法を考えました。どうせ人員を防衛に割いたのは幹部のが自宅を守りたかっただけだろう、と他のコロニーであった事にウィリアムは思い当たりました。

 アディが担当していた地域の掃討は既に終わり、ウィリアムとアディは狙撃を警戒して物陰を通りながら哨戒をしていました。


「あいつらには本当に悪い事をし――ちょっと待て」


 アディは話を途中で切り、少し離れてからコールされた端末の通信に応答しました。そしてアディと通信の会話にウィリアムは引っ掛かる点を見つけました。


「はあ? ここ周辺でレーダーに空白がある?」


 そして次の瞬間、ウィリアムは今まで感じ事のない気色の悪い視線を感じて振り返りました。


「赤いクモみたいな機動兵器の目撃証言? 戦車かなんかじゃなくてですか?」


 暢気に通信を続けているアディは全く気付いていません。それがすぐそこに居ると言うのに。

 赤い、クモのような機動兵器がこちらに腕ような箇所に付いた銃器を向けて来ました。

 ウィリアムはとっさにアディを突き飛ばしました。

 そして2人が隠れていた瓦礫が吹き飛ばされ、瓦礫の破片がウィリアムの左肩に当たりウィリアムはその痛みにその場に蹲ってしまいました。


「マジかよ!? 逃げるぞウィリアム、ってお前!」


 どうやら傷が開いてらしいウィリアムのジャケットの左肩がみるみる水気を帯びていきます。


「クソ、すまねえ!」


 アディはウィリアムに謝りながら、もっと奥の瓦礫までウィリアムを連れて行き端末で通信を始めました。


「本部! 第7小隊のレッドフィールドだ! 赤いクモ野郎が出た! 至急応援と衛生兵を寄越してくれ! Crossingが応援要請を出した傭兵が重傷を負っている!」


 荒い息を吐きながらその通信を聞き、応援が来ても衛生兵は来ないと予想しました。

 あの乱戦の後、余所者に使う医療器具などあるとは思えなかったのです。

 ウィリアムのナノマシンはボストンバッグに入っていて、今回収しに行くには危険過ぎました。


「本当にすまない、ウィリアム」

「いいから……あいつを撃破する方法を……考えよう…」


 痛みに意識を持って行かれない様にウィリアムは必死に頭を働かせました。

 敵は見た事もない機動兵器、4本脚に歩兵のウィリアム達には大口径過ぎるほどの2丁の銃。

 有効なのはおそらく私兵のパワードスーツと同じで瞬間火力の高い銃火器。

 その考えを読み取ったようにアディが言いました。


「俺のライフルは徹甲弾を装填してあって、ハンドグレネードが3つある。応援が来るまでお前を連れて逃げつつ牽制。応援が来たらそいつらに任せて衛生兵にお前を治療させて本部まで撤退する」

「……怒られるよ」

「知るか、こっちは部下が死んでるんだ。被害を減らすのは当然だ。それが傭兵でもだ」


 アディはそう言って瓦礫の向こうを警戒します。

 味方の誤射が無い分BIG-Cの時よりだけマシだ、とウィリアムは自らを奮い立たせてハンドキャノンを構えました。


「まさかあの時のひよっ子に俺が2度も命を救われるなんてな」

「……その内返してよ……主に酒かなんかで」

「ガキには早ええよ。まあ、お前は絶対守ってやるさ」


 ウィリアムはこんな状況に置いてもアディとの会話を楽しんでいました。

 しかしアディは急に態度を変えてウィリアムに問い掛けました。


「……なあ、Crossingに帰ってくる気はないのか?」

「……傭兵も……楽しいからね」


 それに防衛部隊を追い出されるような人間が入れる場所じゃない。

 口には出さず、ウィリアムは胸中で呟きました。

 基本的に戦力にさえなれば来る者拒まずの防衛部隊以外は閉鎖的で、その防衛部隊から追い出されたウィリアムがこのコロニーに帰る事は不可能でした。

 そもそもいろいろな事情が重なって仕事が終わり次第即刻追い出されることになるだろうとウィリアムは考えていました。

 軽口の中の約束すら叶わないのは過去の自らの生き方のせい。しかし盗みを続けなければ生きる事すら出来なかったのだから仕方がない。

 ウィリアムはチャールズに言われた「何のために生きているのか」という言葉をふと思い出しました。

 アディは自らを育ててくれたベルナップ家の人々に恩返しをして、その上でトレーシーと結婚する為に命を賭けて戦っていました。


 自分は何の為に戦い、何のために生きるのか。

 それすらも生きる為にただしょうがない物なのだろうか。


 ウィリアムが思考の坩堝に落ちかけたその時、瓦礫を吹き飛ばす轟音と衝撃が襲い掛かってきました。


「クソッタレ! もう見つかっちまったか!」


 アディがウィリアムを庇う様に撤退を始めます。

 しかし、いくらアディが士官として優秀であっても、ろくに歩けない男1人を連れて逃げるのは困難でした。


「……2手に分かれよ――」

「却下だ! いつ意識が飛ぶか分からないようなガキ放って置けるか!」

「……2人共死んだら……意味がないじゃないか」

「死なねえよ! 元上官を信じろ!」

「……士官が不確かな物に……頼っちゃ駄目だろ」

「だったら士官は部下を見捨てなきゃいけないのか!? だったらこんな仕事やめてやるよ!」


 飛び交う瓦礫の中を進みながらアディは叫び、ウィリアムは可能な限り大きい声で喋りました。

 ウィリアムはアディを助ける為にここまで帰って来たのです。しなれるわけにはいかない、と最悪の状況を見越した作戦を立てました。


「……なら、せめて確実性の高い作戦で乗り切ろう」

「あるのか!?」

「……あれば最初から言ってるよ」


 未だにキャタピラや車輪を使用する乗り物がメインであるこの世の中であのような虫の脚を模した様が作られない理由はコストと性能が見合わないからでした。

 ならばその比較的壊しやすい脚を壊してしまえばいい。

 しかし、あいての装甲がどれ程か分からない上に、装甲車等の戦闘車両の援護もない。

 2人はこれ以上無い程に手詰まりでした。

 そして2人の最悪の状況は機動兵器の巨大すぎる弾丸によって終えることとなりました。

 響き渡る巨大な銃声、殺到する瓦礫群。

 ウィリアムがアディを突き飛ばそうとするそれよりも前にウィリアムはアディに突き飛ばされていました。

 瓦礫は確かに落ち、砂塵が舞いウィリアムの視界を奪います。


「……何してんだよ」


 ウィリアムは立ち上がる間も惜しく瓦礫に這いずり寄りながら自分とアディに言いました。


「俺さ、アディに恩返しがしたくて帰ってきたんだよ。俺がアディの力になってアディがトレーシーと結婚出来たらいいなって」


 砂塵で視界を未だに殺され、アディを瓦礫から手探りで探しながら続けます。


「なのに、何してんだよ。トレーシーと結婚するんだろ、俺の話、聞いてくれるんだろ」


 オリヴァーが死んだと聞かされた時以上に胃の辺りが気持ち悪くなり、酷い寒気と目眩を感じる。

 脳裏には最悪の状況のヴィジョンが映し出されていましたが、ウィリアムは初めてそれを否定しました。

 自分が死ぬのは別に構わない。それでお金を稼ぎ、アディの力になると決めたのだから。

 しかし、アディが死ぬのだけは許せなかった。

 そして砂塵が晴れたそこには、ウィリアムの脳裏のヴィジョンと違わない瓦礫に両足を押し潰され、腹部に鉄骨が貫通し、辺りを血で染めるアディの姿がありました。


「……いつまでそうしてんだよ」


 そう言いながらもウィリアムの頭の理性的な部分はアディはもう助からないと理解していました。アディの要請であっても応援も衛生兵も来ない以上、ウィリアムがアディを助ける手立てはありません。

 それでもウィリアムは止められません。


「戦場では絶対ふざけるなって言ってたの、アディじゃないか。石を投げて車両の砲を誘爆させるなんてふざけた事アディしかしなかったけど」


 瓦礫を踏み潰しながら進む巨大な足音がウィリアム達に近づいて来ました。

 未だに遊びをやめるつもりはないらしく、銃撃も何もせずただ接近してきます。

 ウィリアムの感情が知らない、吐き気を催すような気持ち悪いものから一番慣れ親しんだ怒りに変わります。

 自分より遥か後方、しかし銃火器を使用しての戦闘においてはゼロとなる距離に感じる怨敵。


 その不細工な赤がアディを殺した。


 かつてない濃度の怒りをその赤の足音がウィリアムのそれを加速させます。

 アディが死ぬのが許せなかった、そのアディを殺された。

 その自分こそが、何をしているというのだろうか。


「うるせえんだよ」


 ウィリアムはアディの腰からハンドグレネードを2つもぎ取って、ピンを外しながら後ろも見ずに赤に投げつけ、アディのライフルを左手に掴み、ウィリアムは振り向き様に右手のハンドキャノンとの銃撃でハンドグレネードを撃ち抜きました。

 ハンドグレネードの爆発が轟音と爆風を起こします。

 肩の痛みも忘れたようにウィリアムは赤い機動兵器に向かって走り出します。精度の荒い敵の銃弾はウィリアムを掠める事もなく、ただ瓦礫を撃ち抜きました。

 赤い機動兵器はハンドグレネードにより一部の装甲を失い、4本の脚の内の前2本を失っていました。

 パワーアシストをフルにした両腕で破壊された装甲の隙間を狙うようにウィリアムは弾丸を撃ち続けます。

 その弾丸は装甲を削り、右腕のような箇所につながっている弾丸帯を破裂させ、確実にその赤い機動兵器を死へと追いやっていました。


「くたばれ」


 明確な殺意を言葉にしたウィリアムは右手のライフルを赤い機動兵器に投げつけ、ハンドキャノンでそれを爆破します。

 銃身ごと爆破された徹甲弾とライフルの破片が赤い機動兵器とウィリアムの命を削り、戦いは終わりに近づいたかのように見えましたがその状況は一瞬でひっくり返されてしまいました。

 乾いた銃声、ウィリアムの物でも、アディの物でも、赤い機動兵器の物でもない銃声。


 その銃声と共に感じた腹部の熱さ。


「こちら第6小隊! 敵を駆逐する!」


 そう叫び声を挙げる男の弾丸は確かにウィリアムの腹部を撃ち抜いていました。

 ウィリアムは立っている事も出来ず、地面に倒れてしまいました。

 もう動かす事が出来ない視界の中では赤い機動兵器が壊れた脚や手を構わずに第6小隊と応戦していました。

 血ではない、何か暖かい液体がウィリアムの目からこぼれました。


「ごめん……なさい……アディ……」


 そしてあの時知らなかった、あの時言えなかった言葉を最後に呟いてただのウィリアムの人生は終わりを告げました。


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 ローラの隣に座り、頭を撫で続けている男が話した半生はローラの知る人々の人生とは大きく違った。

 戦争と迫害の中で生き、同情や憐憫すら理解する事も出来ないまま戦い続け、そんな自身を支えていた記憶は他人の物。

 信じがたい話だが、男の年齢から剥離した知識と経験が違う人間のものだと思うとそのズレの理由だけは理解が出来た。確かにアドルフ・レッドフィールドからすればローラなどはまだ子供だろう。

 しかし「お兄さん」は何故それを笑って喋れるのか、ローラにはとてもじゃないが理解が出来なかった。

 それにまだ聞いてない事があった。

 眼帯がなくなってからもずっと閉じ続けられている左目の事だ。

 その瞼や目の周りには見るも無残な傷跡が残り、ただ事ではない事実がそこにあることが理解できる。


「ここまで思い出しても、まだ分からない事があるんだ。俺はそれを確かめに行かないといけない」

「……何で、そう何でも無い様に言えるんですの?」


 正しくは何も感じてないように言ってのけた男にローラは思わず問い掛けた。理解が出来ない。ローラはもう、1人で立てる気すらしないというのに。


「もう何も分からないんだ」


 今まで見た事がないような笑顔で言ってのけた男の言葉にローラのときが止まる。


「俺がアディでない事は分かる。でも、あの時まで確かに俺はトレーシーを愛してた。なのに今はなんとも思ってないんだ」


 傭兵の男はローラの頭から手を外し、そのまま左目の瞼を撫でる。


「ようやく取り返したウィリアムの記憶も、もしかしたら全部偽者なんじゃないか。何かの拍子にまた別の記憶が再生されて、今の感情も全てなくなってしまうんじゃないか、その感情でさえ全てが作り物なんじゃないかって思うんだ」


 自嘲するような笑みをこぼしてから、男の右手はローラの顎を捕らえ、丁寧に自分の顔に向けさせる。 その手に大した力は掛かっていなかったがローラは抵抗する気も起きなかった。


「多分、もう俺はローラちゃんが知ってるウィリアム・ロスチャイルドじゃない」

「そんな事――」

「ウィリアム・ロスチャイルドにこんな物は無かったはずだよ」


 そう言って男が開いた左目を見て、ローラは息を飲んだ。

 傷跡に囲まれた左目に鎮座していたのは黒く細かい幾何学模様が走る緑色の瞳だった。


「気持ち悪いだろう? 自分の体にこんな物があるなんて知らなかった。記憶にも無かった。眼帯を外しても瞳を見ようと思った事もなかった。それどころか眼帯に違和感すら感じていなかった。誰かに強制されたわけじゃない、でも自分の意思でもない」


 ローラの顎から男の手が離れ、左の瞼が他者を拒絶するように再び閉じられる。


「俺が分かる事は1つ。俺が”復讐者”《アヴェンジャー》であるという事だけだ。ならその意味を確かめなければならない。――さて、話はおしまいだ。もう行きなさい」


 そして男が立ち上がり、危なっかしい足取りでバイクへ向かうもローラは思考の坩堝から帰ってこれない。

 数年前の「お兄さん」にはなかった緑色の瞳。それも右目とは違う色で、尚且つ人体ではありえない幾何学模様を描いたその瞳は2人の絆を偽者のように感じさせそれにただローラは恐怖を感じた。

 そして傭兵の男は詳しくは言わなかったが、傭兵の男は死に向かって歩いているとローラには理解が出来た。誰もが生きている以上いつか迎えるものではあるが、受け入れがたい不快感がローラの胸中を蝕む。


 自らが頼っていた「お兄さん」が消え、二度と自らの前に姿を現さない。


 それでいいのか? 引き止めてどうなる? 自らが「お兄さん」に寄りかかりたいだけなのではないか? 「お兄さん」は戦いそして死ぬためだけに生まれてきたのか? 復讐は悪い事か? それが最後の縁だと言うのなら誰に止める権利がある?

 胸中の不快感が自問を誘発させ、問い掛けに問い掛けを重ねていく。

 言ってしまえばローラは傭兵の男にとって他人でしかない。

 傭兵の男がローラに優しく接していたのは、結局アドルフ・レッドフィールドとの約束があったからに過ぎない。


 何度も命を救われ、それ以上に迷惑を掛けてきた。


 自らの提示する無茶に何度も付き合わせた、ローラがやらなければならない事には一切手を出さずに居てくれた。

 見捨てた方が早かった自分や家族達を守りその上でそこから追い出されてしまったのを止められなかった、しかし恨みもせず結果また助けられた。

 濁流のような思考を裂いて、新しい問い掛けが現れる。


 何故「お兄さん」と共に在りたいのか?


 その時にふとローラは気付く。

 仕事に忙殺され自らを構ってくれない両親、貴族としての気高さのみを要求し必要以上に関わろうとしない侍女達、そして仕事の邪魔でしかない自らの傍らに居続けてくれた「お兄さん」。両親が自身を愛してくれていた事が理解できない訳ではない、仕事としてアロースミスの屋敷に住み込んでいた侍女達に多くを望むことが許されないのも理解出来た。ただ幼いローラが寂しいと思うのも無理はなく、そんな時に傍らに居てくれた「お兄さん」の優しさはローラの心を掴んで放さなかった。

 ローラはただ「お兄さん」と共にいる事を望み、その「お兄さん」を自分から横取りしようとする全てが気に入らなかった。それがアドルフ・レッドフィールドやトレーシー・ベルナップであろうと、それが「お兄さん」がその身を置く戦いであっても。

 なんて浅ましい、とローラは沸いてくる自己嫌悪に溺れそうになる。

 自らの想いと同じ物を持っていて欲しい、言わなくても分かって欲しい。

 だから「お兄さん」が自らに気付かなければ嫌な気持ちになり、味覚の好みが共感できなけれ寂しく思い、誰かの所へ行こうとすればそれを泣き叫んででも引きとめようとする。

 子供の頃から何も変わっていない、ただ手放したくないという理由で駄々をこね続けている。


 そう、離れたくない。その傍らに居たい。

 孤独を埋めて欲しい、彼の孤独を埋めてあげたい。

 自分を守って欲しい、その体の傷を癒したい。

 ただ彼と共に在って、自らと共に在ってほしい。

 彼を愛し、自らを愛して欲しい。


「ウィリアムさん」


 涙を払ったローラは立ち上がり男の名紡ぎ、久しく呼ばれていなかった名前に傭兵の男が歩みを止めた。


「もう名前が言えないなんて事はありませんのよ? わたくしも大人になりましたの」

 ゆったりとしたその歩みでローラは傭兵の男に歩み寄り、振り向いた男の顔をその白く繊細な両手で包み込む。


「あなたはウィリアム・ロスチャイルドですわ。あなたがそれを信じられなくても、わたくしだけはそれを肯定し続けますわ」


 男の――ウィリアムの灰色がかった黒い右目は戸惑いを称えながらも、ただローラの青い瞳を捉え続けた。


「あなたが復讐を望むのであればわたくしは権力と頭脳を以ってそれを支援いたしましょう、あなたが平穏な暮らしを望むのであればただ傍らに居続けましょう」


 拒否したいと思った立場を利用することすら厭わない。ローラのその意思に左目の瞼が揺れる。


「その瞳も生き方も、あなたの全てを何もかも受け入れますわ」


 男の顔を包んだその手で左目の周りの傷跡を撫でる。


「ですから、わたくしの傍から居なくなる事だけは許しませんわ。あなたの傍らを誰かに譲る事も許しませんわ」


 ウィリアムの左目の瞼が開かれ、異色の双眸がローラの曇りの無い青い双眸を見つめ返す。


「ウィリアムさん、ずっとわたくしと共に居て下さいまし」


 穢された空気の向こうから差し込むささやかな月光が、2人の重なる影を映し出していた。

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