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Avenger  作者: J.Doe
旧Avenger
1/107

Bullet Ride 1

 Time Is Moneyという言葉はかつての資本と司法によって成り立っていた世の中で生産性を伴う言葉として使われていた。歩合の仕事なら文字通り給金が増え、給金が出ない仕事でも時間を掛ければ身に付く何かがあり、経験を財産と言うのであればこれも間違いではない。

 そして司法は死に、宗教と暦は廃れ、資本だけが動かす世の中に置いてその言葉は意味を変えた。

 過ごしてきた”時”の事を”記憶”と呼ぶなら、これほどピッタリの言葉は無い。

 過ごしてきた”時”を”記憶”と呼び、他人の”記憶”は娯楽となった。


 世の中はもう何もかもが飽和していた。


 日々ただ従事する作業の生産性だけを重視した摂取するだけの食事、休息。

 かつての娯楽は物理的な物から朽ち果て、残っていても最早感傷的な物でしかなく、精神すら擦り切れた人々は更なる娯楽を求めた。


 “他者の記憶”だ.。


 映画や文学のようなある種のパターンにハマることはなく、ご都合主義で終わる事は無い。

 退屈に沈んでいた資本を持つ者達はこれに飛びついた。

 コロニーの市民を守る英雄と呼ばれた者の記憶は観る者を奮い立たせ、叶わぬ愛に身を寄せ続けた恋人達の記憶は観る者の涙を誘った。

 しかし、かつての娯楽に振り向きもしなかった人々がご都合主義でないだけの物を愛し続けるはずが無かった。人々は更なるものを求め続けた。


 結果、それはかつての感性では最悪と呼ばれる物で叶えられた。

 略奪。資本を持つ者達は私兵を用いて小さなコロニーから襲った。

 男は暴行され、女は犯された。そして両者に違いが無い事はただ1つ、事切れる前に記憶を奪われたという事。


 時代と資本は人を記録媒体とし、それを吸い出す為の機械をも作り上げた。


 MEMORY SUCKER.


 装置の端子を被験者の目に突き刺し、電気信号のやり取りをする事により記憶の抜き出しに成功した。

 奪う側の記憶も奪われる側の記憶も人々の嗜虐心と被虐心を刺激した。

 しかし、記憶の吸出しは副産物でしかなかった。

 装置の本来の目的は”記憶のコピー”であった。


「死に行く者から走馬灯すら奪うのか?」


 製作者は的外れな感情論を吐いたが、死に行く者たちの走馬灯と呼ばれる記憶の羅列は人々を沸き立たせた。整然製のなどない雑多にも程がある情報量。

 人々は最初の英雄譚も恋人達のラブストーリーも忘れ夢中になった。のめりこむ余り文明の進歩が止まってしまうほどに。

 資本を持つ者達はそれを売買する企業メモリーインダストリーを設立し力を強め、持たぬ者達は奪われる事だけを恐れた。

 MEMORY SUCKER.の致死率は、限りなく100%だったのだ。


+=++=+=+=+==+=+=+=+=+=+=+=+=+==+=+=++==+=+


 男は歩いていた。

 履き慣らされているであろうコンバットブーツは草ひとつ生えぬ荒野の砂を蹴散らし、その持ち主たる男は自らの引き金によって吐き出された硝煙の匂いを撒きながら。

 長いとも短いとも言えない黒髪、美しいと醜いとも言えない顔、高いとも低いとも言えない身長、極めつけに金さえ出せば手に入るレベルのパワーアシストの機能が付属するライダースジャケットにデニムボトム。

 しかし1つだけ個性と言うには突飛過ぎる、左目の眼帯が男の顔に鎮座していた。

 男のジャケットの隙間から覗くハンドガンすら霞むほどの存在感を放つソレはこの時代の常識を跳ね除けるものであった。

 荒れ果てた大地を2本の足で歩まなければならない程度の、資本を持たぬ者達は簡単に死んだ。

 深い傷を負えば感染症を起こし死んだ。重い病気に掛かれば治療を受けられず死んだ。生まれつきの障害があれば家族やコロニーの者が赤子の内に荒野に捨て去り、そして死んだ。

 成人しているように見える男は、眼帯をする程の何かを負いながら、その全ての可能性を否定していた。


「……チッ」


 ふと歩みを止めて、男は舌打ちを1つ。

 後方に炎上するジープ。最早用済みとなった現場を睨みながらつぶやいた。


「……面倒掛けるくらいならせめて迷惑料くらい払ってくれてもいいじゃないか」


 男は傭兵だった。その日暮らしの戦争屋。ギャラ次第で守り、救い、殺した。

 傭兵自体は珍しくもなんともない世の中においても男は優秀な傭兵であった。同業者から目をつけられるほどに。

 いわく、あいつのせいで俺の仕事が無い。あいつが敵について家族が死んだ。あいつのせいで。あいつのせいで。

 男は自分に向けられているどす黒い感情に気付いていた。仕組まれた罠でさえも。

 偽の依頼。誘いに乗った理由は1つ。相手の所有物を奪う。

 しかしその目論見はジープの後部座席に居た男が向けてきたロケットランチャーに、数秒前ナイフで喉笛を切り裂いた男の所有物だったアサルトライフルの弾を撃ち込んでしまいご破算となった。


「……アシ、欲しかったんだけどな」


 せめてもとアサルトライフルだけは持ち帰ろうとしたが、よく見てみれば暴発しないのが不思議なくらい銃身が曲がっていた。どうやらまだ運だけはあるらしい、と男はそれだけ納得してライフルを投げ捨てた。

 この時代殺した相手の所持品を奪う事自体は常識と言ってもいい事柄だったが、先ほどロケットランチャーを爆破したせいで収穫は望めそうになかった。

 力量差も分からない。ドライバーが居ない状態のジープの後部座席から、接地しなければ使えないような兵器を使うような人間達だが、家族でも居るのか貴金属の類はあっても粉々だろうが、一切身につけていなかった。

 この時代ではそれらは、シルバーの指輪1つで殺し合いになるほどそれは貴重だった。

 人々が生産性を重視し、企業の私兵が装備する兵器以外の文明が止まった頃アクセサリーなどの身を飾る物は資産を持つ者たちだけの特権となった。

 それでも色の変わった貴金属を代々家族に受け継ぐようなコロニーもあり、それを持つ者は自らを守る為に警戒を余儀なくされた。男はその手の依頼を何度も受けた。ギャラによって守り、奪った。

 傭兵の中には護衛として受諾し、隙を突いて依頼人を皆殺しにして貴金属を奪うような連中もいた。加えて言えば企業メモリーインダストリーから記憶の奪取を同時に受け遂行する傭兵も。

 司法は死にモラルが腐った世の中だ。ザラにあること。


 しかし、男はそれをしなかった。


 別に崇高なプライドがあるわけではない。ただ、雇い主がコロコロ変わるのはとても面倒で、何より信用を失えば男の目標は叶う事は無かっただろう。

 男は金の為に傭兵をしていた。故郷のコロニーには将来を誓った女が居て、彼女と幸せに生きて行く為に成人する前から男は戦場に出ていた。

 資産を持つ者と企業、メモリーインダストリーの私兵とを含む企業の者達を除けば傭兵が一番手っ取り早く儲かるのだ。

 男の目論見は当たり、私兵を持つ程ではない、資産を持っていると言うには小さい勢力からの信頼を得る事が出来た。


 あの男は決して裏切らない。金が続く限り守ってくれる。


 あらゆる物を奪いに来た傭兵を殺すだけの毎日がついに終わりを告げた。目標金額が貯まったのだ。

 男は帰郷の準備をしようとボストンバッグ1つ程の荷物を纏めているところに携帯端末が音を立て光を灯す。

 インスタントメッセージには「荒野の中央に拠点する私兵集団の強襲」と書いてあった。

 資産を持つ者達の尖兵である私兵集団は紛れも無くこの世で一番強い人間達であった。最新の兵器に最新の乗り物。そしてMEMORY SUCKER.。

 敵対した瞬間に暴力を浴びせ、そして奪う。それが出来る実力と精神と信頼を持った物だけが私兵集団に入れた。


 しかしどんなにいい装備でも扱うのは人間。日々戦争をしているのは何も私兵集団だけではないのだ。

 男は私兵集団との戦闘になればなるべく戦わないようにしていたが、どうしても逃げ出す事は出来ず、私兵集団の大隊等を全滅させた経験が数回ほどがあった。

 何も難しい事は無い。当時の最新の装備に身を包みチャチな重火器を通さないパワードスーツに、フレンドリーファイアを誘い最新の重火器を破らせただけだった。

 その結果そのコロニーは男が居た期間の間、企業にも傭兵にも狙われることは無くなり、男は仕事を失い新たな仕事を求めベースにしていたスラムへ戻った。


 そんなことを繰り返し、同業者に目をつけられていた男が依頼内容を鵜呑みに出来るはずが無い。

 差出人はFever Om。入れ替えればEfremov、男と因縁がある組合に所属する同業者だ。

 男はその意味のないアナグラムに溜息をつくと、脳裏にいぜにょり羨ましく感じていたソレがよぎる。

 エフレーモフは事ある事に男に噛み付いてくる自意識ばかりで面白みも何もない人間だったが、確かジープを持っていた。


 帰りが楽になる、あいつにいい手土産になる。男は取ってもない皮算用を始め依頼を受諾した。

 今回男と敵対した傭兵、エフレーモフと男は似た境遇だった。それぞれの故郷のコロニーの為に金を稼ぎ、将来を共にすると約束した女の為に戦争をしていた。

 ただ1つ違う所があるのならエフレーモフは企業の庇護下にあるコロニーの有力者の息子で、男は家族の記憶すらあやふやなただの一般庶民。

 男は気にしては居なかったがエフレーモフは怒っていた。自分より下のレベルの人間が自分より信用を得て、自分より傭兵業で金を稼ぎ、そして自分を歯牙にも掛けぬその態度に。

 ただ、エフレーモフは打算もなしにこんな事を仕組んだわけではない。

 優秀な傭兵と言えど5対1なら敵わない。数の利はどの時代に置いても優位に立つための重要なファクターであった。

 エフレーモフは確かに優秀だった。彼の父はそんな優秀な彼の為に兵器や乗り物、そして優秀な私兵を用意し、期待と共に送り出した。

 結果エフレーモフは優秀な指揮官となった。彼はあらゆるミッションで優秀な私兵に確実な指示を出し、自分と言うそのチームにおいて一番未熟な人間が武器を振り回す事になる前に事を終わらせた。

 その結果、私兵の1人が喉を切り裂かれ殺された光景を見てエフレーモフは激昂してしまった。

 喉を裂かれた私兵はコロニーとパイプがある企業の私兵でエフレーモフが師と仰ぎ、指揮官としての生き方を教えてくれた人物であった。

 エフレーモフはその威力と視覚の派手さから気に入っていたロケットランチャーをジープの後部座席の窓から出した。

 その一撃は男の肉体を爆散させ男の命を確実に終わらせるだろう。

くたばれ。口をつくスラングを中空に踊らせながら引き金を引こうとした時に、男の目が自分を捕らえている事に気付いき、そして理解してしまった。


 負けたのは自分なのだと。


 肩に担いだロケットランチャーの爆破によって自らが死ぬ寸前まで、エフレーモフは確かに優秀だった。


+==+=+==++=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+==+=+=+


 企業の影響下にあるコロニーの、軍需に限らずあらゆる工場がスモッグを吐き出し空が灰色に覆われた昨今、昼夜の変わり目を明るさで、季節の移り変わりは気温でしか分からなくなっていた。

 企業、メモリーインダストリーは余りにも強欲だった。

 資産を持つ者達以外が暮らす環境を汚染し持たぬ者達に敵愾心を持たせクーデターを誘発しそれをの鎮圧に出た際に記憶を吸い出す。資産を持たぬ者達が生きるにはそこで働くか、スラムで小遣い程度の労働に従事するか、傭兵、野盗バンディット、レジスタンスとして戦いの中で生きるほかなかった。


「やっと着いたぜ、クソッタレ……」


 男は昔の依頼人に散々注意されたスラングを吐き出しながら、顔を上げる。

 男は傭兵であって行軍兵ではない。体力が無ければやってられない仕事だが荒野のど真ん中から自らの住まうスラムまで歩いて帰って来るというのはなかなか骨の折れることだった。

歩いている最中も「何で俺がこんな事を」を度々思ったが、反射的にロケットランチャーにアサルトライフルの弾を撃ち込んだ自分が悪いのだと帰結する。状況が状況とは言えあんな状態の悪いアサルトライフルを確認も無く撃ったのだ。暴発しなかっただけ幸運だ。


 男がベースとしているスラムは旧時代にリヴァプールと呼ばれた都市の名残。

 旧時代の名残は、もはや瓦礫しか残っていないただの溜まり場。

 灰色が黒に変わった空の下、男はまっすぐ自分の家に向かって歩き出す。

 多くの傭兵は組合を介して仕事を請けていたが男は群れるのを嫌い、個人で全てを受けていた。

 最初は組合に登録するつもりだったが、報酬の7割を組合が持って行くという事と、組合の出張所で最初に会ったエフレーノフによって賽を分かつ結果となってしまい、結局登録せずじまいだった。

 実を言うと初対面のエフレーノフとスラングの応酬になり、口では勝てなかったエフレーノフが殴り掛かって来たのをその勢いを利用して床に叩きつけ無力化した事によって、エフレーノフの実家とパイプを持ちたかった組合に嫌われているというのも理由の1つであった。

 当時は男はまだ成人していなかった。結果今はなんとかなっているがなかなかの努力を強いられたのも事実だった。


 傭兵として稼ぐのなら名前を売り、これだけ出すから仕事を請け欲しい、という交渉をされるようになるのが一番。しかし、そういう紹介をしてくれる組合に愛想を尽かしてしまった男は小さな仕事からコツコツと実績を積み上げていくしかなかった。

 今の世においても歓迎されない紛争地帯からの移民の子供の護衛と言う名の子守、その母達の護衛と言う名の買い物の荷物持ち。

 目標が無くて、自分の軽率な行動が組合との袖を分かつ事になっていなければとっくに逃げ出して居ただろう。


「将来は子守でもやるかクソッタレ」


 男はやりもしない将来の展望を吐き出しながら、子供達に押し潰されていたのは男にとってはもう遠い昔の話。

 子守、荷物持ち、失せ人の調査等を経て、コロニーの護衛まで辿り着くのに捨て身の覚悟を要する依頼をこなしても、1年程が掛かったが組合のバックアップがない分、常に最悪の事態を想定して動けるようになったのは儲け物だろう。

 敵部隊中央部からのロケットランチャーに気付けたのもそれのおかげだ。

 おまけにどこに行っても子供にやたら懐かれた。とあるコロニーの護衛を引き受けた時、哨戒中の男に子供達がついて来て、何かの映像記録で見たことがあるカルガモという生き物の親子の散歩みたいな光景になっていた時は流石に勘弁してくれと男は懇願した。

 コロニーの有力者の一人娘が率先して着いて来た時は思わず責任問題と言う事について説明をしなければならなかった。


 あのコロニーの子供達は、当時まだ成人していなかったとは言え社会人として生きていた男からしても物分りが良く聡明であったと記憶している。男があの歳の頃どうだったがは本人は覚えてはいないが、あのコロニーの子供達ほど聡明ではなかっただろう。

 男が自らが住む集合住宅の1階に見慣れないバイクを視界に入れながら過去の事を思い出す度、胃がキシキシと悲鳴を挙げた。

 しかし、男の傭兵生活は今日を持って終えたのだ。辛かった仕事も楽しかった仕事も同時にもう過去のものなのだ。戦い以外の事でもう悩む事はないのだ。


「――さん、いらっしゃ――」


 男が過去のあらゆる事に沈みかけた時、頑丈さだけが取り柄のドアが叩かれる音と女の声が聞こえた。

 昔護衛の任務についていたコロニーの令嬢が休日の度にこのように男を起こしに来ていたのを思い出しながら、男は階段をゆっくり上る。男は自然体でダラダラと階段を上っているが、ここは腐ってもスラムだ。

スラムの集合住宅の中階層で女が騒げば――


「――せえぞこら――」


 ――と、荒くれ者達の逆鱗に触れる事になる。女性の傭兵が居ない訳ではない世の中だが、訓練されていない人間は男女の区別は無く戦闘においてただの素人である。

 荒くれ者とただの女。司法は死に、宗教は廃れ、モラルが腐ったこの世に置いてフェミニストなど存在はせずこのままであれば女は犯され見るも無残な姿になりおしまいだろう。


 しかし男はそんな事は意にも介さず、明らかに自らの部屋の方向から聞こえる喧騒に心底面倒そうに溜息をつく。

 もし女の目的が男であるのなら、おそらく至急の依頼、もしくは男の殺害。前者なら「廃業した」と正直に告げお断りし、後者はこんな間抜けなアサシンが居るかどうかはともかく、その背後を洗わなければならないするのでそれはそれで無力化する。

 そして男はどうせ明日にはこのスラムを出て故郷に帰る。

 結果誰にどんな恨みを持たれようが、この広い世界のどこかのコロニーに住む1個人を探し出す事など不可能だろう。


「――りなさい! わたくしは――」


 男は方針を決め、階段を登る足に喝を入れた。

 荒野から歩き続けた男の足は限界を訴えたが、もし男が原因なら頭がいいとは言い難い隣人に難癖をつけられ下手したら寝ることすら出来ないかもしれない。

 冗談じゃない。男は最後の段を踏みしめて、自分の家を視界に入れる。それと同時に言い争う男女も視界に入り、溜息をつかざるを得なかった。


「黙るのは! てめえだ! クソアマが! キーキー! うるせえんだよ!?」

「うるせえのはお前もだよ。人の家の前で叫んでんじゃねえ」


 男はこの人生で一番多く使ってきた疲労感を滲ませた表情を浮かべ溜息と共に吐く。

 灰色の髪をした筋骨隆々の隣人は男に食って掛かる。


「てめえのところの客が! キーキーうるさくて! 起きちまったんだよ!」

「いや、俺の客かどうかも知らないよ。勝手に俺の責任しないでくれ。女に逃げられたのはそんなに器が小さいからじゃないのか?」


 いつものように直情的にかつアクセントをつけながら怒りを器用に表現する隣人に男は毒を吐く。

男はもう疲れていた。愛用している安物のハンドガンを砂塵が舞う中使用したと言うのに手入れを後回しにしようと思ってしまうほどに。


「ケニーが出て行ったのは! お前が! 俺をぶっ飛ばしたからだろうが!」

「いやいや、喧嘩を売ってきたのはお前だろ? 毎回怪我させないようにぶっ飛ばすのって難しいんだぜ? 大体ソレが原因なら器以前の問題だな。原因が分かってよかったじゃないか、おめでとう」


 男と隣人の諍いの経緯は組合に所属している傭兵業を営む隣人が「組合に所属してないお前がそんなに儲かってるのはおかしい。組合の上役の変態どもにでも抱かれてお情けでももらってるのか?」と難癖をつけた際、「こういうのって実力と信頼の差がハッキリ出るよな。しかし組合の上役ってのはそんなんなのか? お前みたいなみすぼらしくて暑苦しい奴しか見てないと俺みたいな奴が魅力的に見えるのかね? いや参った。上役の変態に狙われない醜いお前がうらやましいよ」と2つの言葉に対して過剰とも言えるカウンターを叩き込んだのがそもそもの切欠だった。

 そして諍いは隣人が我慢し切れず殴りかかって来た所に男が自宅の扉の横に置いてあるモップを手に取り隣人を殴り無力化することによって終える。

 そしてそれを何度も見た隣人の恋人であったケニーは愛想を尽かし家から出て行き、男の得物であるモップの柄に古びた布を多重に巻いてある所に諍いの多さと男の見当違いな気遣いが伺えた。

 因みに1度隣人がそのモップを隠して急襲し、隣人の額が銃のグリップで割られた翌朝モップは定位置に戻って居たそうな。後にも先にも男が隣人に怪我をさせたのはその1回限りである。


「お兄さん! その目はどうなさったのですか!? 何故組合に所属してなさらな無かったのですか!? 本当に見つかるかどうか不安で――」


 鼻息荒く怒れる隣人と心底鬱陶しそうな顔をする男の間に少女が割って入る。

その少女はこの時代には珍しい金糸のような美しい金髪をまっすぐ降ろし、彫像のように美しく整ったその顔に透き通るような青い瞳を輝かせ、白磁の様に美しい木目細やかな肌はスラムの住居にはとても不似合いであった。

 企業は環境を汚染し太陽を奪った。この地上に生き残ったのは人間を含め、環境に適応できた生き物達だけだった。

 紫外線が弱くなり人々の髪や瞳の色素は退色し灰色の者達が大多数となった。その前の時代にある程度の資産をもつ者達は退屈しのぎに染髪などではない、遺伝子から手を加え、あらゆる色を楽しんだがその子孫達は人類に等しく訪れた色素の退色により灰色の髪と瞳を手に入れたのは皮肉でしかなかった。

 男の黒髪や少女の金髪碧眼は単に血の濃さや、先祖がそういうものに興味を示さなかった結果である。

 遡れば発色ももっとハッキリした物だったのかも知れないが、この時代に置いてこの2人の色合いは異端だった。


「はいはい、お兄さんの目は昔からこうでしたよ。組合は面倒だったから。見つけ辛いのは自営業の辛いところだよね」


 男は少女の言葉を遮り、質問に答える。それと同時に少女の様子を窺うが、どうやら考えていた後者である可能性は消えた。

 アサシンにしては細すぎる体、武器など使った事がなさそうな細く綺麗な指、何より男より弱いとは言え傭兵である隣人に真っ向から喧嘩を売る姿勢。


 世間知らずにも程がある態度だ。


 こうしている間にも隣人が怒りを募らせているが男には関係ない。どうせ明日の昼には切れる、どちらかと言えば早く切りたい縁だ。

 そして男が早く寝たいのは事実。

 男は廃業した事を告げてこの状況を終わらせる事にした。


「悪いけどねお嬢さん、傭兵業は今日で廃業。明日の昼にはここを発つからもう依頼は受けられないんだよ」


 男は少女の透き通るような碧眼を見ながら考える。

 身なりや振る舞い、そして外にあるバイクが彼女の物であろう事を考えると少女はなかなかいい所の出であろう事が伺える。世間知らず過ぎる事も納得が行く。


 しかし何故? 組合にまで行ったのなら組合に依頼を出せば済む話だ。


 依頼人の予算にもよるが、基本的に組合は依頼の内容により人材の割り振りをしている。

 男が1人で護衛から暗殺までこなしているのを組合は適材適所にしっかりと割り振っている。男もそれだけは評価していた。


「てめえ! 逃げんのか!?」


 隣人は怒りと驚愕を滲ませた怒声を発する。彼の戦績は全戦敗だ。


「逃げるつもりは無いけど、まあ勝ち逃げなら許されるよな。負け犬のお前には分からないと思うけど」


 男は少女の処遇を考えながら隣人の売り言葉に毒を返す。

 このような世間知らずのお嬢さんを泊められるような安心できるような場所などスラムには存在しない。かと言って男は自分の部屋に泊める事に抵抗を持った。

 もし保護者が居たのならこんな所に来させはしないだろう。よって少女は一人でここまで来たのだと男は理解する。

 しかし男は出立の準備も終わらせなければならない。荷造りはエフレーノフのおかげで途中で切り上げたままだ。


「てめ……! だから……! 何度言えば……!」

「何度言えばも何もお前いつも「お前のせいだ」しか言わないじゃないか。まあオツムが足りないお前の言葉を理解するのは文明人としてやってやらないといけないのかもしれないけど」


 これ以上付き合ってやる気は無い。男は言外にしてはあからさま過ぎる拒絶を発露させる。

 今は少女がどうやって夜を明かすか考えなければならない。今も昔も子供には甘いままか、と男は内心で呟く。

 少女には酷かもしれないが早々にお引取り願おう。バイクが少女の私物なら大変かもしれないが、明日のシェアバスを待たずに帰れるはずだ。

 男はそう考えたその時、空気が変わった。


「……お前が明日出て行くって言うなら今日、ケリだけはつけさせてもらうぜ」


 隣人はそう言い、その両手に鎮座する仕事道具である手甲から刃を展開する。

 今までのジャレ合いとは違う。本気のもの。


「お前……そこまでやったらもうおしまいだぜ…?」


 男は手の平で顔を覆い、呆れた物言いをする。


「どうせ負けたままじゃ、お飯も食い上げだ。どっちに転んでも、お前とのケリはつく」


 隣人はファイティングポーズをとる。廊下の明かりで刃がギラリと光る。

手甲を着けたこの男はこの刃で何人の命を奪ってきたのか。この時代に置いてそれはステータスでしかない。

弱いものは悪い、敵対する者から大切な者を守れない者は自らの無力さを悔いるだろう。

強いものは良い、資産を持つ者は私兵や企業の影響力で以って自らの家族や庇護する者達を守り通している。


 まあ、何でも良いか。


 男は意識を変える。

 1つの狂いも許されない数式のように。しかし答えに辿り着くのが必然であるように。

 ただ自らが思い描く勝利に向けて駒を進めるだけの戦闘。


「お前の額ぶち割って回り血だらけにした時、管理人に怒られたの俺なんだぜ? 後でお前掃除しとけよ」

「ああ、お前を殺した後でな…!」


 隣人が手甲で顎を隠すような姿勢のまま、男に向かって走り出す。

 男は少女を脇に除け、懐に着けたハンドガンを取り出す。


「アアアアアアァァァァァァッ!」


 隣人が右手の刃を持って男を切り裂かんと振り上げる。その刃は確実に自分だけを狙っている。

男が考えていた最悪の事態はあの少女を人質に取り、男に武装解除を促す。

 しかしただ真正面から男に殴り掛かってきた隣人にそのような考えはないのだろう。


 まっすぐな男だ、それも今日までかもしれないけどな。


 内心で一人ごち、男の予定調和といえる戦闘が始まる。

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