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白狐  作者: 神馬草子
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こぼれ話・夢

番外編。過去のおとき目線がメインです。

ぬるめですが、乱暴表現がありますので、苦手な方は読むのを控えてください。

祝言は簡単に済ませた。酒を飲んで、御頭が付いた魚を食べた。それだけだった。

佐吉の居る区画の差配はおときの出自について特に追及はしなかった。辻斬りを捕まえたという名声と、日ごろの仕事ぶり、加えて昔やんちゃをしていた頃の悪名もいろいろふまえた上で差配は黙ってくれているといったところだろうが。とにかく誰にも文句は言わさずに滞りなく済んだと安心した。

今も佐吉が座っている後ろでおときは慣れない手つきで着物を縫っている。久兵衛から貰った妻の形見の着物と、保市の妻のお古を貰ってはいるが、彼女は少し背が高いので縫い足さなければ丈が足りないようだ。貰った着物が直るまではと佐吉のお古を着ている。

初めて会ったときの白い服が思い出された。真っ白な色は彼女に良く似合っていた。

「…なあ。」

「はい?」

呼びかけると振り返る、それだけのことにいちいち心臓が鳴るのに呆れて佐吉は空咳をする。

「やっぱり、何か買うか?」

「?」

小首をかしげてこっちを見るおとき。

「その、着物とかよ。」

「着物はおじさんとおばさんから貰いましたから。もうすぐ直りますし。」

へたくそだと言っていたが、細かい作業は嫌いではないようだ。保市の妻のひさに家事のほとんどを教えてもらい、今はしどろもどろながらもこなしている。佐吉の上着のように縫い目が出ることも無くなっている。

「じゃあ、簪とか。」

「まだ、髪が結えないから…」

肩のあたりで揃えられた髪は結うには短すぎた。だが佐吉は短い髪から見えるおときのうなじも悪くないと思っているので髪形はこのままでも構わないと思っていた。

「じゃあ布団…」

と言ってからお互いに気まずくて俯いた。佐吉の家には敷き布団が無いので、綿入れを被って眠っている。これから冬を迎えるにあたっておときに風邪を引かれてはかなわないと、いつかどこかで借りるなり調達はしなければと思っているのだが。どうにも気恥ずかしい。

「急にどうしたんですか?」

くすくす笑うおときの声をくすぐったく感じながら佐吉は頭を掻いた。

「あんたが何も欲しがらねえからよ。」

思わず拗ねたような言い方になって、口が尖る。

「何も分からないから、何が欲しいのかとかも分からないんです。」

そう言って困ったように笑われた

「あんたのところは祝言のときに何か貰わないのか?」

「え?」

「その、あんたのところの祝言と全くちがったんじゃねえかな、と思ってよ。」

頭を掻きながらおときに聞いてみたが、おときは笑うだけだった。


***


このひとたちの前では『言葉』は何の意味も持たないのだと思った。


朱鷺子の母と四つ年上の姉は華やかな外見とそれに見合った性格をしており、それとは反対におっとりとした性格の離婚した父に似た朱鷺子は、家族の中でもひとり取り残されることが多く、自分の考えを上手く言葉に出来ずに流されるばかりだった。

「トキコぉ」

茶色の巻き髪を揺らして姉・のぞみが久しぶりに帰宅してきた

「のぞみ姉さん」

「ねえねえ、あんたさ、彼氏いなかったよねえ。」

いつも急に始まる姉の話に圧倒されながらも朱鷺子はなんとか答える

「え、う、うん。いないけど…。」

外泊ばかりでいつ帰宅するかも分からない姉と、仕事と遊びで同じく家を空けることが多い母に代わって家事をこなしつつ勤める朱鷺子には元々興味はなかったし、彼氏を作っている時間はなかった。しかし性格上、いつも強気の母や姉にそんな文句を言ったところで「あんたが勝手にしてるんでしょうが」とか言われるのがオチなのであえてそれは言わない。

「いるわけないよねぇ、でさぁ。」


あれよという内に姉に連れられて賑やかな場所に朱鷺子はいた。

居酒屋ではなくて、大きな音楽が流れている広いフロアの隅にソファが並んでいる。あまり知識の無い朱鷺子だが、たぶんこういうのを「クラブ」というのだろうと思った。

「どうもぉ、○○さん。」

のぞみがソファの真ん中に座った男性に声を掛けた。音楽が煩くて名前が聞こえなかった。

男性は姉より年上に見えた。姉と何度か話をしているが周りが煩いのと、内緒話のように耳元に口を寄せて話しているので朱鷺子にはその内容は分からなかった。

「はじめまして、朱鷺子ちゃん」

そういって男性は朱鷺子の耳元に話しかけた。途端、朱鷺子はぞわりと鳥肌を立てた。

思わず身を引こうとしたが、べたつく手で腕を掴まれて、そのままさわさわと撫でられる。

「や、やめてください!」

拒否の言葉は音楽にかき消された。朱鷺子は必死で男性の手を振りほどいて逃げ出した。


その翌日、またのぞみがやってきた。

「ちょっと、トキコぉ。機嫌損ねないでやってよぉ。」

携帯を弄りながらのぞみは文句を言った。

「姉さん、紹介してくれる気持ちはありがたいけど、わたしには…。」

「なに言ってんのよ、あの人御曹司よ?○○コーポレーションの。ありがたく思いなさいよ。」

姉はそれ以上朱鷺子の話を聞かず、化粧を直して出て行った。そして御曹司と言われた男性は朱鷺子に執拗に付きまとった。

会社帰りに黒塗りの車で迎えに来るのはざらで、姉から聞き出したのか、電話やメールも毎日かかってきた。始めのうちはそれとなく諦めてもらうように対応していたのだが、彼は意にも介さずに続けるので、朱鷺子は無視をすることに決めた。

携帯は新しいものに変えて、番号も一新した。姉には申し訳ないが番号やアドレスがばれてはいけないので教えなかった。

多少不安は残るものの、これで収まると思っていた。


帰宅すると玄関に姉のピンヒールと男物の靴があった。珍しく家に彼氏でも呼んだのだろうかと朱鷺子は家に入った。

「!」

居間のソファに御曹司が座っていた。

「朱鷺子。酷いじゃないか、何度も電話したのに。」

部屋の隅にいる姉を見ると、姉は爪を塗っている。

「ねえさん。」

「トキコぉ。あたしこの人にお金借りてるんだぁ。」

姉は爪を赤く塗りながら何事もないように言う。

「トキコ紹介したら半額にまけるって言ってたんだけど、なんかチャラにしてくれるっていうからさぁ。」

御曹司は驚愕で固まる朱鷺子に近づいて腰を引き寄せた

「朱鷺子、わかるよな?」

ねばついた息が頬にかかる

「わかるよね?トキコぉ。」

腰に回っていた手が尻や太ももを撫で回し、首元に脂ぎった御曹司の顔が埋まる。

「いやぁ!ねえさん!ねえさん!」

必死でもがいて姉を呼んでも姉はこちらを見なかった。彼女は小切手のようなものをじっと見ていた。

悲鳴を上げる朱鷺子の頬を御曹司は思いきり叩いた、頭がくらくらして意識が朦朧とする

「ああ、朱鷺子…」

御曹司が力を失った朱鷺子の体をまさぐる。姉はその姿を横目でちらりと眺め

「ごめんねぇ、トキコ。」

と言った。


厭、と叫ぶ自分の声で目が覚めた。夜着の中は汗でじっとりと湿ってしまっていた。

『此処は、何処だろう』とまだ暗くてはっきりしない視界を必死に目を凝らす。

どうか、どうか、夢でありますようにと祈る。

真っ直ぐ天井を見る朱鷺子の傍らに濃い影が映る。

「おとき」

小さく囁く擦れた声の方へ振り向くと、太い腕が肩を抱いた。

「さ、きちさ…」

囁き返した声は彼よりもっと擦れていた

「どうした?魘されてたぜ。」

「…だいじょうぶ」

そう言って彼の胸に頬を寄せる。彼は「お、おい。」と焦るが朱鷺子はそのまま目を閉じる。

「大丈夫じゃねえだろ…。」

「だいじょうぶです…。」

ぐりぐりと頭をこすり付けると、ぐしゃぐしゃになった髪を撫で付けてくれて、そのまま顎を伝って両手で頬を包まれた。

暗闇に彼の心配そうな顔がぼんやり見える。

「泣いてる。」

両方の親指で流れ始めた涙をぐいと拭われて、朱鷺子はたまらずに佐吉に抱きついた。

「さきちさん。」

「うん?」

この人は違う。あの男じゃない。だって、近くにいても、こんなに安心する。

「佐吉さん…。」

「なんだよ」

笑いながら返事をしてくれる。まだ夜明け前、少しだけ明るくなった部屋に佐吉の白い息がふわっと流れた。

土と太陽の匂いがする。佐吉の匂い。抱きしめ返されて、彼の匂いに包まれて、おときはもう一度眠りについた。


「佐吉さん、この前言っていたことなんですけど。」

翌朝、朝餉の膳を盛りながらおときは俯き加減に話し始める

「この前…?」

「あの、しゅ、祝言の…」

「何か、欲しいもんでも見つかったか?」

おときの申し出が嬉しくって、佐吉は思わず居住まいを正す

「いえ、やっぱり、いらないです…と言おうと思って…。」

ますます項垂れるおときに佐吉はしょうがない奴だと頭を掻いた。

「なんでぇ、俺だって稼ぎは、その、ちょびっとかもしれねえが、女房に物も買えないほど甲斐性なしって訳じゃねえぞ?」

佐吉が拗ねたように言うと、おときは俯いたままあの、その、と言っているので耳を澄ませると

「朝起きて、隣に佐吉さんが居れば…それで、」

じゅうぶんです。と言ってますます俯いた。背丈が違う佐吉は俯いたおときのうなじが真っ赤になっているのを見て自分も同じぐらいに真っ赤に染まった。

そしてやっぱり、敷き布団を買おうと心に決めた。


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