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白狐  作者: 神馬草子
2/6

お稲荷さん

白い女は見たことのない服を着ていた。薄い紙のような布でずいぶん寒そうだなと佐吉は思った。それに膝頭が見えるほど丈が短かった。

倒れた女の頬を軽く打って起こす。うめき声を上げて目を開けた瞬間にその口を手で塞ぐ。

「大きな声を出すな。」

白い女は大きな目を見開いて佐吉を見ていた。驚いて、怯えている。これじゃあまるで俺が襲ってるみたいじゃないか。

「違うぞ、そういうんじゃねえからな。只ちょっと騒いで欲しくないだけなんでぇ。」

「佐吉、そら誰が見たって襲ってるようにみえるわな。」

後ろで見ている文治が茶化す。佐吉と女の近くまで寄っていた久兵衛が口を開いた。

「お嬢さん、あんたはお稲荷さんかい?」

口を塞がれた女の目が怯えから純粋な驚きに変わった。きょとんと見開かれた瞳は久兵衛を見ていた。

「わしな、そこに住んでるんだけどよ、ずっとお稲荷さんが襤褸なことが気にかかっていたんだよなぁ」

口を塞いだままの佐吉と口を塞がれたままの女が久兵衛をじっと見る

「いつか、いつかと思いながら何にもしなかったんだよなぁ。保市さんが草を抜いてくれてはっとしたんだ。もしも化けて出てきたんだったら保市さんじゃなくってわしにとり憑いておくれな。」

久兵衛をぼおっと見ていた佐吉の手に女の細い指がかかった。服と同じくらい白くてひとつも荒れてないような指。ああ、こいつは幽霊じゃなくてお稲荷さんだ、と思った。

口を塞がれたまま佐吉を見上げる女に驚いて「すまねえ」と口ごもりながら手を外す。


半身を起こした女は髪を結わずに背中に下ろしていた。肩までの髪の毛は波をうっているようだ。

「わたし」

初めて発した女の声は掠れていたが落ち着いた柔らかい音をしていた。

「狐ではないので、その、おじさんにとり憑くとか、…できませんよ?」

久兵衛はほっとしたようだ。

「それじゃあんたは、一体何者だ?狐じゃないなら…」

佐吉はそう言って女を上から下まで凝視した。解けた髪に白い服、膝から下が見える薄くて白い服。

「身投げした遊女?」

思ったのと同じ言葉が後ろにいた文治から聞こえて佐吉はおい、と文治をたしなめた。

女は顔を真っ赤にした。怒りというよりは羞恥のようで

「違うのかい?」

久兵衛が聞くと女は何度もうなずいた。そして涙目で佐吉と文治を睨むとぷいと横を向いた。

「それならなんだ?家出人だとしてもその恰好じゃ目立ってしかたないだろ。」

気まずくなったのを誤魔化すように文治は言ったが、女は口を噤んだ。

「…覚えてないんです。」

「なにがだ?」

「なんで此処にいるのか、どうやって此処に来たのか分からないんです。」

女はまた涙目になって佐吉を見上げた。


「とにかく、お稲荷さんの事件は片付いたってことか。」

文治はやれやれと腰を上げる。不安そうに女は佐吉を見上げていた。

「お嬢さん、あんたのことは差配になんとかしてもらおうじゃないか。わしも手伝ってあげるから。」

「はい…。」

「立てるか?」

まだ不安そうに立ち上がった女に佐吉は上着をかけてやる。袖が破れていてあまり役には立ってないような気もするが

「ありがとう…ございます」

幽かに笑った顔は月光を跳ね返して眩しく感じた。


「うわっ!」

先にお稲荷さんの外に出ていた文治が叫んだ。空を切る音が聞こえる

「文治!」

月明かりに細い金属が煌いた。

膝を着いて左腕を押さえている文治の前に刀を構えた侍がいた。

「辻斬りか!」

佐吉は文治の傍らに走った

「くっそ、棒切れ一本じゃ敵わねえよ…。」

辻斬りは興奮して息が荒い。何かをぶつぶつと呟いているようだった。

「あと九百六十七人。…まだ、まだだ…。」

「千人斬りか…。」

佐吉と文治は侍からじりじりと距離を取った。


「せんにんぎり…?」

女はお稲荷さんの狐の後ろでそうっと様子を見ていた。女の呟きに久兵衛が答える

「千人斬ったら願いが叶うとか…そんな噂があるみてえだよ。」

馬鹿馬鹿しいが恐ろしいこったよ。とため息混じりに言う。

佐吉と文治は持っている棒を振るが、刀より少し長いくらいの棒ではなかなか当たらない。侍は時々刀を振り回してふたりを傷つけているようだった。佐吉は足を、文治は左腕を血だらけにしている。


「どうするよ、佐吉ぃ。埒があかねえぜ。」

こうなったらこの侍が諦めてくれるのを待つしかなさそうなんだが、応援を呼ぶにはこの辺りは人が少ない。巡回している奉行所の者もいない。

「文治、俺が時間を稼いでるからお前は走って長太と奉行所の奴らを呼んで来い。」

「馬鹿言え、一人で任せられるかよ。じいさんもお稲荷さんもいるってのによ。」

まだ辻斬りは気付いてないかも知れないが、二人を庇いながらでは不利だ。

「文治、俺ぁ足をやられて上手く走れねえ。頼む。」

「…くっそ。」



「辻斬りさん。」

月夜に女の柔らかくて通る声が響いた。

ぎょっとして振り向く佐吉と文治の前に白い女が立っている。

なにやってんだ!とふたりは心の中で叫ぶ。女は胸の前で手を組んで一歩一歩辻斬りに近づいていく、辻斬りの目を見たまま。

そしてふたりの横を通り過ぎる時に小さな声で囁いた。


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