深淵の夢
夜も更け、街は静かさで満たされている。少なくとも全体としてみれば。
同僚がどたんばたんがちゃんと物事をことごとく失敗して謝っている声を聞きながら、自分の机へと戻ってくる。
「ん? エリィにつきそってなくていいの?」
「うっ…………。なんだか、落ち着かなくて」
うめく目の前で、エリィの席でぐだーと机に寝そべっている少女が顔を上げた。簡易の浴衣を着た猫耳少女。ぴくぴくと耳が震える。
「ほんとにエリィは大丈夫なんだよね? サナカちゃんを騙したらただじゃおかないぞ」
「騙してないって……」
疑うように眉根を寄せるサナカちゃんの様子に苦笑する。
「エリィは睡眠魔法をかけられただけだから、じきに目を覚ますよ。無理して君まで起きてる必要もない」
「ここの結社の奴らほとんど起きてるのに、サナカちゃんだけ眠れないじゃないか。ししょーだって寝てないし」
「いや、あれは……」
思わず振り返る。相変わらずドジばかりの――エリィのことを心配して作業に身が入らないらしい――同僚の向こう、食器棚の隣にある出入り口。そこから見える通路は、ややわかりづらいものの会議室の明かりが確認できる。
「誰も責めやしないさ、君が寝ても。君のお師匠さんは会議が長引いているだけだし……今日の事件のせいでね」
「君って呼ぶな!」
「あ……ごめんね、サナカちゃん」
言い直すと、彼女はけろりと機嫌を直した。
「よろしい。でも、師匠が頑張ってるのにその間寝てる弟子ってどーなの?」
「いや……」
それだったら何をするでもなく机でごろごろしているのもどうかと思ったが。しかし口には出さなかった。
「まあ、あとで眠くなっても困るだろう? いつ戦いが起きるかわからないんだ」
「そりゃそうだけどさっ。にしても……悪の魔法結社ねー。なにがなんだか」
どこか投げやり気味なサナカちゃんの言葉に、首をかきながら嘆息する。
「実力は確かだ……。霊位を制圧する手際が群を抜いていた。魔法結社・深淵の夢、その第一の刺客……僕たちは全滅していてもおかしくなかった」
「ん、そんなに? そりゃ敵も強かったけど」
「霊位を握られるってことは、向こうに有利に魔法を進められるってことさ。実際、僕たちは四人がかりで相手と張り合うことになった」
「ふふん、もしそれがお前ら二人だったら全滅してただろうさ。ちょうど何でも屋さんの夕暮れへ向けて忠告しに来ていたサナカちゃんたちに感謝するんだな!」
「してるよ……もちろん。ありがとう」
改めて礼を言うと、サナカちゃんはさらに鼻高々な様子だった。だが、彼女は不意に顔をしかめてため息を吐き出した。
「エリィは早く起きないかな……。寝てたらお礼も言えないじゃないか」
「本当にね……。エリィの働きは素晴らしかった。魔法学校のほうで習ったことしかしらないはずなんだけどな……」
「でも、危なかったよな? 相打ちで眠りの魔法を食らったけど、それがもっと危険な攻撃魔法だったら今頃ただじゃすまなかった」
「その場合は、こっちだって対抗する余地があったはずだけど……そうだね。迂闊と言えば迂闊だったのかもしれない」
「そんな迂闊なエリィを、大会にだすのか?」
サナカちゃんの言葉に、きょとんとして彼女を見返す。
「……反対かい?」
「普通におかしいだろ。何考えてるんだか」
「彼女にとっていい経験になると思っただけさ。今日のことを思えば、案外勝てるかもしれない」
「……いい笑いものになるだけじゃんか」
その言葉に納得する。サナカちゃんは純粋に、エリィのことを心配しているのだ。
ほほえましい気持ちで眺めていると、サナカちゃんがむくれた。
「なに笑ってるんだよぅっ」
「いや……エリィには素敵な友達がいるなとおもって」
「友達じゃない! エリィとサナカちゃんは敵、ライバル! 敵対してる魔法結社だって分かってんのか!?」
「いや、してない」
「へ?」
「敵対してる魔法結社は、危ない魔法結社の情報が手に入ったとしても忠告に来ないよ」
「う、あれ?」
悩み始めたサナカちゃんに、影が覆いかぶさった。先ほどからうろうろしていた同僚である。こけた同僚に巻き込まれて、大きな物音を立てながらサナカちゃんの姿が机の向こうに消えた。こだまする叫び声。
夜が更けても、魔法結社は賑やかだった。