[1] 光る羽が舞い落ちて
光る羽を見た。
桜歌高校の女子高生、葵 風香は、授業中の教室の窓から、光る羽が落ちてくるのを見た。
その羽は昼間だというのに柔らかな光で辺りを染め上げながらゆっくりゆっくりと、上から下へと落下していった。廊下側の席の風香は、落下していくそれをすぐに見失ってしまった。
この世のものとは思えない羽。いつもの日常にほんの一瞬訪れた不思議な出来事だった。
(あの羽……一体何だったんだろう?)
午前の授業が終わったあと、風香はそう思いながら廊下を歩いていた。窓から吹く風が風香の長い黒髪を揺らす。
(中に小型の発光機器を入れた商品かなんかかな……? でもそれであんな光を出せるものなの)
そんなことを思いながら、風香は廊下の掲示板へと向かう。掲示板の前は多くの生徒で埋め尽くされていた。進学校である桜歌高校ではテストが終わるごとに上位一〇〇名の名前が順位と共に張り出される。
風香はほんの数秒、一番上に書かれている自分の名前を確認すると、すぐにその場をあとにした。
(ま……普段通りか。もういちいち確認するのやめようかな)
昼休みにはその日の掲示板の順位がクラスのあちこちで話題になる。
「西山が十八位だって、で今井が九位」
「クッソー、オレ今回は入れると思ったのに……」
教室中がそんな話で騒ぐ中、風香は一人、自分の席で小説を読んでいる。
「葵さんまた一位だってさ」
「内田君がのぞき見た情報だと、全科目一〇〇点だって。つまり五〇〇点満点」
「えっ!? ウソ! だって二位の幸田君が四五〇点くらいって話だよ」
「信じられない……どんな頭してるんだろうね」
(あんな簡単な問題にいちいち間違えるあんた達がどんな頭してんだか)
風香は遠くの立ち話に耳を澄ませる趣味はないが、自分の名前が出てくるとつい聞いてしまう。
「今度勉強会に誘ってみようか」
「でも葵さん、他の人と仲良くしてるトコ見たことないんだけど」
「うん、それに賢すぎて、なんか、気持ち悪い」
気持ち悪い、その言葉が心にわずかにねじ込まれるのを風香は感じた。
下校時間、風香は一人で自宅への道を歩いていた。
気持ち悪い、自分に対して言われたその言葉がいつまでも頭の中に残っていた。
(あんな嫉妬から出てくるような言葉。いちいち気にしてたって、しょうがないのに)
そう思いながらもその言葉はいつまでたっても風香の頭から離れない。
町の大通りを一人で歩く風香。
少し薄暗い道には人影はまばらだ。
風香は誰にも聞こえないように小さなため息をついた。
その直後、突然風香の目の前に光る羽が一つ落ちてきた。羽を包む光は、薄暗い周りの景色を柔らかに照らす。
風香は思わず足を止める。
(また光る羽……内側に小型の発光機器が入ってるんだよね、多分……だけどそれにしては、なんか光り方が不自然。蛍光塗料が塗ってあるのかな。でもそれともちょっと光り方が違うような。いや、そもそも光り方がおかしい、羽のまわりの光、昼間に見た時と明るさが変わらない。辺りが暗くなれば、羽の光は必然的に強く見えるはずなのに)
風香が思考をめぐらしていると、その羽のすぐ近くにもう一つ、羽が落ちてきた。それだけではない、風香の目の前に無数の光る羽が舞い落ちてくる。
風香は驚いて空を見上げる。すると空は羽がまとっている柔らかな光で全体を染め上げられていた。
(なに……!? この状況)
風香は周りの人を見る。まぶしいぐらいに染め上げられている景色の中、町を歩く人はまるで何事もないかのように普通に歩いている。
(見えてない……!? わたしだけ!?)
舞い落ちる羽はどんどんと増えていき、風香の視界を埋め尽くしていく。
ついに風香の視界は羽から放たれる光に完全に染め上げられてしまった。光以外何も見えない。
直後、雷のような轟音が風香の真上から響き渡った。
頭に叩きつけられるような激しい音、視界には光だけしか映らない。
ひどい夢から覚める寸前に見るような、そんな景色が現実世界に広がっていた。
そもそもこれが現実なのかも風香には分からなくなっていた。
(なに……何なの? これは現実? それとも幻? わたし、頭でも打ったの? じゃなきゃこんなこと、起こるはずない)
突然、光が裂けて、町の景色が風香の目の前に広がった。
変な幻からやっと解放された、風香がそう思ったのは一瞬だった。
目の前の景色に目を凝らして見る。
……違う。
先ほどまでいた町の景色とは明らかに異なっていた。
灰色のビルはどこにもない。目の前に広がる建物は粘土を固めて作ったようなのっぺりとした茶色の建物だ。コンクリートだった道は石畳の道に変わり、電柱も電線も一つとして見当たらない。
(ドコですかね? ココ…………)
風香は呆然とした。
そんな風香の目の前に突然、巨大な足が落ちてきた。風香の全身よりも大きい巨大な足、金属の足だ。その巨大な足が立てた足音が風香の頭の中でドスンッと響いた。
風香は目を見開き、ほんの少し固まったあと、頭上を見上げた。
巨大な人型のマシンが、風香の目の前を横切っていく。一機だけではない、巨大なマシンが隊列を作り、風香の目の前を次々と横切っていく。
ドシンドシンと地面を揺らす巨大な足音が風香の頭に響き続ける。
六機のマシンが通り過ぎた所で列は途切れ、マシンの隊列は風香の目の前を通り過ぎていった。
地面を揺らす足音が遠ざかっていく中、風香は一人、その場で立ち尽くしていた。
風香は固まっていた思考を必死でほぐし、高速回転させる。
(え~と、とりあえず一回落ち着こう。ここはどこ? そうか、ここは建設中のアドベンチャーランドか何かだ。あのロボットはいわゆるパレードか何かで……でも、あんな巨大な動くマシン日本にあったかな? いや、あれはマシンじゃない、きっと中に人が入ってるんだ。うん、金属っぽく見えたけど、アレは実はプラスチックで、中に竹馬に乗った人かなんかが入ってるんだ。あのでかい足音も何かの音源から出して、うん、間違いない。あー、びっくりした。一瞬でも異世界かなんかに飛ばされたなんて思った自分が恥ずかしい。こんなのアドベンチャーランドに決まってる。でもどうしてわたしはそこにいるの? もしかして誰かに連れ去られた!? もし、そうならそれはそれで事件なんじゃ……)
すると風香は辺りが妙に明るいことに気付いた。
(夕暮れだったはず、なのに昼時ぐらい明るい)
風香は空を見上げ、また固まった。
エメラルドグリーンの空が広がっていた。光り輝く太陽が三つ浮かんでいる。
(………………………………………………………………)
風香は固まった思考をまた必死でほぐす。
(うわー、よくできた映像スクリーンだなぁ。きっとすごいアドベンチャーランドになるぞ。完成したらまた来よ~っと……)
風香は平静を保とうとしたが、とにかく不安な感情がとめどなくあふれてくる。風香は石畳の道を駆けだした。人と話すのが嫌いな風香だったが……
(人と話したい……!! とにかく誰でもいいから人と話がしたい!)
そしてここは建設途中の遊園地なんですよ~、と一言言ってもらいたい、そう思いながら風香は走った。
しかし走っても走っても人は見つからない。
(お願い! 誰でもいいから。この際なら嫌いなクラスメイトだって構わない)
そう思った直後、石畳の道を歩く一人の少年を見つけた。
「ちょっと、そこのあなた」
風香が呼びかけるとその少年は風香の顔を見た。
風香と同じぐらいの年の少年だ。金髪で少しだけ目つきが悪い。
(ヤバい……不良だ、絶対不良だ)
普段なら絶対に声をかけないタイプだったが、今の風香にとってそれはどうでも良かった。
「すみません、ここがどこか、教えてもらえませんか?」
少し息を乱しながら風香は少年に聞く。
「ここがどこで、どんな名前のアドベンチャ……」
風香が全てを言い終わらない内に少年の口は開いた。
「ここがどこ? 道に迷ったのか。おまえ、旅のモンか?」
(タビ……?)
「ここはホースブリケットだ。鉱山の町だよ」
(……………………)
「日本に……まだ鉱山の町なんてあったんですね」
「ニホン……? なんだそりゃあ」
(………………)
「えと、係員の方ですよね、このアドベンチャーランドの。わたしはお客じゃなくて……町を歩いてたんですが、突然ここに連れてこられたみたいで、全く訳が分からないんです。よろしければ出口に連れてってもらいたいなー、なんて……」
風香は普段の自分では考えられないぐらいにソワソワして話していることに気付きながらも必死で口を動かした。
「アドベンチャ? カカリイン? おまえ何さっきから訳の分からねぇこと言ってんだ? ここはホースブリケット。アイゼンシュート王国の西の町だぞ」
(ウチに帰りたい……)
風香は涙目になりそうだった。
「おまえ、道に迷った旅のモンだろ。とにかく少し落ち着けよ。オレいま家に帰るトコなんだ。歩きながら話そうぜ」
少年はそう言って、風香を安心させるように笑顔を見せた。
(この人、そんなに悪い人じゃないかも……不良だとか決めつけちゃって悪かったな。とにかく、今の状況を正確に把握しないと)
風香がそう思った直後、気付いた。少年の背中に、なにやらゴツイ機械が取り付けられている。1m以上はある縦長の複雑な機械だ。
(汽車の模型……とは少し違うな。なんだろう、アレ)
その機械の先端にはゴツイ刃が見えた。
(…………………………)
(工業機器か何かかなー)
風香は極力ポジティブに考えるようにした。
「おいっ、きさま!」
突然、少し離れた所から太い声が飛んできた。
声の方向から軍服のようなものを着た大柄の男が睨みつけながら近づいてくる。厚い布地の下からも筋肉がはっきりと分かるほどいかつい男だ。
「きさま、なぜ機械剣を所持している。この町は武器の所持は禁止だぞ」
軍人のような男の言葉を聞いた直後だった。今まで平然していた少年の表情がみるみる怒りに満ち、鬼のような恐ろしい眼でにらみ返す。
「アアアアアッッ!? 何が武器の所持は禁止だよ!! てめぇらがあとから来て勝手につけた取り決めだろうがよオオオオオッッ!!」
少年は殺気に満ちた声を張り上げた。そのあまりの迫力で兵士は一瞬気圧されたが、すぐにまた声を上げる。
「き、きさま! 従わない気が、ならばこの場で……」
軍人のような男が言い終わらないうちに、少年の拳が男の顔面にハンマーのごとく叩きつけられた。鈍い衝突音が辺りに響くと共に、男の大柄の体はボールのように軽々宙を舞ったあと、石畳を高速でゴロゴロと転がり、仰向けに倒れ込んだ。
男はそのまま動く気配はなかった、完全に気絶している。
少年はそんな男の様子を何事もなかったかのように見ている。
その一連の出来事を見た風香は呆然とする。
(前言撤回、アリエナイ! この人は完全に関わっちゃいけない人種だ。すぐこの場から離れないと……)
「なんだ、どうした!?」
離れた所から別の声が飛んできた。石畳で気絶している男と全く同じ制服を着た男が数人、声を上げながら駆け寄ってくる。
「いけね、仲間がいたか」
少年はその男達に素早く背を向け、風香の手を握る。
「逃げるぞ」
少年は風香の手を引っぱりながら駆けだす。
(いやいやいや、ちょっと待ってよ。わたしをあんたと関わらせないで! わたしはこの傷害事件とは一切関係ないし、完全に外部の人なんですよ。お願い、わたしはあなたと関わりたくアリマセン!)
風香は少年に引っ張られるがまま、石畳の道を駆け出した。