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婚約破棄からはじまる物語

婚約破棄を言い渡した王子は、不運を招く王子と言われるようになりました

作者: 弍口 いく
掲載日:2026/08/22

 数多くの作品から目に留めていただき、ありがとうございます。

「ローズマリー・メルシャン、君との婚約を破棄する」

 王宮内の応接室に呼びだされた私は婚約者であるノクターン王国の第五王子テリュース殿下に言い渡された。


 私はメルシャン侯爵家の長女ローズマリー、赤毛で榛色の瞳、吊り上がった目がキツイ印象を与える十八歳、三カ月後には王立学園を卒業して、四年の婚約期間を経てテリュース殿下と婚儀を挙げる予定だった。


 テリュース殿下は我がメルシャン侯爵家に婿入りすることになっている。しかし、跡継ぎである私ではなく、彼は双子の妹のアイリスを選んだようだ。宣言したテリュース殿下の横には不安げにエメラルドグリーンの瞳を揺らす金髪美少女アイリスの姿があった。


「ローズ、私は……」

「大丈夫だアイリス。僕たちの真実の愛を邪魔することは誰にも出来ない」

 テリュース殿下はなにか言いかけたアイリスの言葉を遮って肩を抱き寄せた。


 愛ですって? そんなもの最も信じられないことはうちの両親を見て、アイリスもよくわかっているはずじゃない。


 評判の美女だった母は父に懇願されて結婚した。しかし母が私たちを妊娠した時、父は浮気をした。結婚して僅か二年目の出来事だった。母は妊娠しなければ父の心が離れることもなかったと嘆き、私たちの育児を放棄した。貴族夫人が育児を乳母や侍女任せにするのは珍しくないが、両親は私たちに全く関心を示さなかった。誕生日を祝ってもらった記憶も無い。


 その後も父の浮気は収まらず、母は愛人の元へ入り浸る父に当てつけるように着飾って夜な夜な遊びまわるようになった。二人とも醜聞など気にもせずに自堕落な生活を送っている。

 私は実質侯爵家を取り仕切っていた祖母から後継ぎとしての教育を受け、アイリスは放置されて自由奔放に育った。


 テリュース殿下は私に視線を戻し、

「父上…国王陛下の許可も頂いている。僕がメルシャン家に婿入りすることは決定なのだから、相手が妹のアイリスに変わっても問題ない。メルシャン侯爵もアイリスを跡継ぎに変更することに異議はないそうだ」


「そうでございますか、もう根回しは済んでいるのですね」

 テーブルに広げられた書類に目をやった。


 テリュース殿下との婚約が調ったのは私が十四歳の時だった。彼の母親は子爵家出身の側妃、実家の身分が低いため後ろ盾もなく、王位継承権も低いので臣籍降下するしかない。当時はまだ健在だった祖母が王族の血を取り込むために私との婚約を調えた。


 メルシャン侯爵家は建国から続く由緒正しき旧家である。私たちが生まれて間もなく祖父が病に倒れて亡くなり、父が侯爵家を継いだ。しかし一人息子で甘やかされて育った父に侯爵家の当主は荷が重かった。領地経営もその他の執務も満足に出来ず、仕方なく祖母が代行していた。


 祖母は子育ての失敗に悔んだがもう遅い。無能な父がこのまま侯爵の座に居座っていたら没落は目に見えている。そうならない為に王子の婿入りが必要だったのだ。王立学園卒業後すぐに私と婚儀を挙げて、現侯爵の父を早く引退させ、悪妻共々領地の片隅に押し込めようと計画していた。


 初めてテリュース殿下と会った時、私の心は弾んだ。煌めく銀糸のような髪にアクアマリンの瞳、端正な顔立ちのまさに王子様って感じの美少年だった。物腰も柔らかで優しそうな彼に、十四歳の私は恋をした。


 婚約者としての交流を重ねた。テリュース殿下は私に好意を示してくれて交際は順調だった。不仲な両親を見て育った私は愛など信じていなかったはずだが、当時の私は夢を見てしまった。両親とは違い、彼となら温かい家庭を築けるのではないかと胸を膨らませた。


 しかし、私の恋路を邪魔するように災難が降りかかった。


 二年後、祖母が亡くなった。

 水害に見舞われた領地を視察に行き、緩んだ地盤の崖崩れに巻き込まれたのだ。領地の被害は甚大で、祖母がいなくては立て直すことは無理だと、父は早々に諦めて放置した。多くの領民が土地を捨てて出て行った。


 領地からの税収が減ったところで、保有する金山があるから大丈夫だと父は高を括っていたが、領地運営に携わっていない父は知らなかった。金山はとっくに枯渇していることを……。


 私は泣いている暇などなかった。父は当てにならない、このままだと殿下を婿に迎える前に侯爵家は没落する。そうならないために領地を立て直さなければならない。私は王立学園を休学して領地へ赴き復興に尽力した。


 そして半年後、多額の借金を抱えてしまったものの、なんとか領地復興の目途が立ったので、王都に戻って復学したが、その時は既に状況が変わっていた。テリュース殿下の心が変わっていたのだ。


 すぐに気づいた。

 もうテリュース殿下の目に私は映っていなかった。


 復学した王立学園で、殿下の隣はアイリスの定位置になっていた。誰が婚約者なのかわからない、ランチの時も殿下の隣は婚約者の私ではなくアイリスで、彼はアイリスを愛おしそうに見つめる。私はテーブルを挟んだ向かい側、寄り添う二人を見ながら心が冷えていった。


 誰の為に領地を復興させようと頑張っていたのか、僅か十六歳の私が侯爵代理と称して頭を下げ、金策に駆けずり回ったのは誰の為だったのか……。

 なぜなの! 私はあなたの為に頑張ったのに、あなたとの愛を信じて、あなたとの未来を夢見て頑張ったのに、彼はなにも理解していなかった。


 たった半年離れただけで心も離れてしまう、身近にある心地よさに流され、可愛いアイリスに心を移してしまう、所詮私との絆はその程度だったのか……、愛していたのは私だけだったの?


 ああ、そうか……こんな人だったのだ。

 恋は盲目と言うけれど、私としたことが彼の本質を見誤っていたことに気付かされた。テリュース殿下は父と同じ種類の人間だったのだ。


 涙は零れなかった。心の中で凍り付いたままになった。

 もう、どうでもよくなった。

 テリュース殿下のこともメルシャン侯爵家のことも……。

 私は努力を辞めた。

 だって結末が見えてしまったのだもの。


「君が嫌いになった訳じゃない、でも、アイリスを愛してしまったんだ。僕はアイリスと共に侯爵家を盛り立てていきたいと思っている」


 うん、予想通りね。

 領地から戻ったあの時から、アイリスを見つめる熱い眼差しに気付いた瞬間から、いつかそう言いだすと思っていたわ。


 アイリスは言葉もなく蒼褪めていた。その様子からすると、今日、私に婚約破棄を告げることは聞かされていなかったようだ。私に対して罪悪感はあるのだろう。


 今更そんなことはどうでもいい、私はもう侯爵家に執着していないから、お望み通りお譲りいたしますわ。


 私は書類にサインした。


「えっ……」

 抵抗すると思っていたのだろう、テリュース殿下は肩透かしを食らったように意外そうな顔をした。私が縋るとでも思っていて、説得する言葉を色々と用意していたのだろう。そんな面倒臭い話を聞くつもりはない。


 そもそも根本が間違っている。婚約破棄を突き付ける権利があるのは私の方だ。婚約者がありながら浮気したのは殿下の方なのだから。それをまるで私が悪いみたいに破棄するだなんて、百歩譲っても解消でしょ。


 それを正すのも面倒だ、ほんとに、もう、どうでもいい。


「では、これで失礼させていただきます」

 私は美しいカーテシーを披露して踵を返した。


 私が領地を立て直す努力を途中で辞めた時から、メルシャン侯爵家は破滅の一途を辿っている。税収は減る一方、借金を返す目途はない。張りぼての我が家が未だに形を保っているのは所有する金山からの産出量を捏造して、資金が回っているように装っているからだ。


 金の産出量捏造が露見すれば罪に問われるだろう。捏造したのは私だけど、書類の署名は父のモノだから処罰の対象になるのは父だ。私はその前にとっととこの国から出て行くわ、心が冷えたあの時から、着々と準備を進めていたのよ。


 ありがとうございますテリュース殿下、私を自由にしてくださって。


 私は翌日、荷物をまとめてたった一人で家を出た。



   *   *   *



「ローズマリー・メルシャン、君との婚約を破棄する」

 僕はローズマリーに告げた。


 僕はクターン王国の第五王子テリュース。

 頭脳明晰で剣術も一流の文武両道、銀髪でアクアマリンの瞳、眉目秀麗で人を魅了する見た目も完璧、第五王子という立場ではなく、もっと早く生まれていたならば王になる器だっただろう。生まれるのが遅すぎた不運だったとしか言いようがない。


 新しく公爵家を興すことも叶わず、臣籍降下するしかない。そして数ある高位貴族の中から選ばれたのが金山を保有するメルシャン侯爵家だった。


 婚約者は侯爵家の後継ぎである長女のローズマリー、赤毛に榛色の瞳、吊り上がった目がキツイ印象を与える少女だった。彼女は優秀で、十四歳にしてもう侯爵家の執務を手伝っている。先代侯爵夫人のお気に入りで、幼い頃から跡継ぎとしての教育を受けていたらしい。


 生涯を共にするのなら、少しでも心を通わせて、円満な夫婦生活を送りたいと思い、僕なりに彼女を大切にした。


 しかし、先代侯爵夫人が亡くなった頃から、僕とローズマリーの関係が微妙に変化した。彼女は領地復興の手伝いと称して、王立学園を休学して領地へ引き籠ってしまった。


 貴重な学生生活、毎日会えるし親睦を深めるチャンスなのに、なぜ放棄するのか僕には理解できなかった。十六歳の小娘がでしゃばる場面ではないはず、それは領主である侯爵の仕事だ。半年も僕と会えないのに、平気で侯爵領に滞在している彼女の気持ちがわからなかった。


「申し訳ございません、ローズマリーは忙しくて……」

 学園では顔を合わせるたびに妹のアイリスが謝罪してくれる。

 アイリスはウエーブのかかったハニーブロンドにエメラルドグリーンのキラキラした瞳に、色白で華奢で庇護欲をそそる可憐な少女だった。双子だが二卵性なので全然似ていない。


「ローズマリーは豪雨災害で甚大な被害を受けた領地の復興に尽力しているんです。私はなんの役にも立たないので……」

 アイリスは寂しそうに目を伏せる。

 可憐なアイリスに心が移るのに時間はかからなかった。


「侯爵家のことは祖母から長女のローズマリーだけが引き継いでいます。幼い頃から聡明だったローズマリーは祖母から期待されていました。もうお気付きかと思いますが、両親は無能で好き勝手にしていますし、私たちにも興味がないようで、姉が領地へ行ってしまうと私は独りぼっちなのです」


 僕はそんなアイリスを護ってやらなければならないと強く思った。誰からも顧みられない寂しさは僕もよくわかったから。身分が低い側妃の子と王宮では蔑まれている僕も同じような立場だ。アイリスなら僕の気持ちを理解してくれる、彼女こそこの先の人生を共に過ごすのに相応しい女性なのだと運命を感じた。


 メルシャン家は王家の血を取り込みたいだけなのだろう? 僕が婿入りするのには違いないのだから、相手が妹に変わっても問題ないはずだ。


 ローズマリーは政略結婚相手の僕を愛しているわけではないだろう。半年も僕を放置するくらいだし、領地から戻って来て、僕がアイリスと親しげにしているのを見ても顔色一つ変えないし。


 優秀なローズマリーなら婚約破棄で瑕疵が付いたところで嫁ぎ先はあるだろう。もし良い縁談が来なくても、文官職に就くとか自分で道を切り開く能力を持っている。


 卒業後に向けて準備していた僕とローズマリーの婚儀は、そのまま相手をアイリスに替えて行えばいい。

 婚約者を妹に取られてプライドは傷付くかもしれないが、心を傷つけるわけではないから、時間が経てば許してくれるだろう。


 これで万事うまく行く。


 そう思っていたのに、翌日、ローズマリーは消えた。


 そして彼女がいなくなったことで侯爵家の機能が麻痺した。


 メルシャン侯爵家にはもちろん執事も侍女もいた。しかし有能な人材はいなかった。先代侯爵夫人が急逝した時、現侯爵の方針に異を唱えた古参の者とトラブルになり、それまで長く勤めていた前侯爵夫人の息がかかった使用人を解雇して、入れ替えたらしい。


 無能な使用人たちを動かしていたのはローズマリーだった。だから指示する者がいなければ動けない。現侯爵夫妻が全てをローズマリーに押し付けていたことを初めて知った。


 侯爵夫妻は家を出た娘を心配することもなく、家の中が回らないことに苛立っていた。アイリスから聞いてはいたものの、ここまで無能だとは思っていなかった。

 一刻も早く僕がこの家に入り、二人を追い出さなければならない。


 王都の侯爵邸と同じく、領地の代官からも指示を仰ぐ手紙が届いた。侯爵が動かないので、アイリスは仕方なく代理として領地へ向かった。


 僕も一緒に行くべきだった。

 それがアイリスとの今生の別れになるなんて思ってもいなかった。

 アイリスは旅の途中で事故に遭い、行方不明となった。状況から鑑みると生存している確率は低いだろう。


 僕は愛する人を亡くすと同時に、婿入り先を失ってしまった。


 その後程なくメルシャン侯爵家は、金山の採掘量偽造が発覚して、多額の借金を返す目途が立たなくなり破滅した。侯爵夫妻は王家を騙していた罪で貴族籍を剥奪の上、鉱山送りになった。


 そんな話が耳に入って来たが、僕はそれどころではなかった。

 王立学園を卒業したものの、落ち着き先がみつからないのだ。優秀な僕ならメルシャン侯爵家との縁談が無くなっても、立候補する高位貴族が後を絶たないと思っていたのに、釣書が届かない。

 それは妙な噂が蔓延したからだった。


『テリュース殿下との婚約が調ってから、メルシャン侯爵家は不運に見舞われ、挙句没落した』

 最初は金山の枯渇、第二に領地を襲った豪雨災害、そして前侯爵夫人の事故死、それに伴い膨れ上がった借金地獄、領地復興に尽力した長女の失踪は、妹に乗り換えるために邪魔になったので消したのではないかという恐ろしいデマに変わっていた。


 そして次女アイリスの事故死と不幸は続き、メルシャン侯爵夫妻は悪事が暴かれ鉱山送りとなって、侯爵家は跡形もなく消滅した。


『不運を招く王子』と誰かが言ったらしい。


 僕のせいでメルシャン侯爵家が不運に見舞われて消滅したことになっている。


 どの事故、事件にも僕は無関係だ。

 なのに僕は不運を招く王子にされてしまい、臣籍降下先が見つからなくなってしまった。


 なんでこんなことになったんだ!



   *   *   *



「ローズマリー・メルシャン、君の婚約を破棄する」

 ノクターン王国の第五王子テリュース殿下がローズマリーに言い渡した。


 王宮に呼びだされた時から嫌な予感はあったけど、まさか当事者の私になんの相談もなく勝手に話を進めていたなんて!


 私はアイリス、メルシャン侯爵家の次女、姉のローズマリーとは双子だが二卵性なので容姿は全然似ていない。ローズは祖母に似たキツイ顔立ち、私は母親似の可憐に見える美少女と正反対だ。


 ローズとテリュース殿下の婚約が調ったのは四年前、二人はゆっくりと関係を深めて、最初は順調だった。お似合いの二人だと思っていた。

 しかし、祖母が亡くなったことで状況が変化した。


 豪雨災害で甚大な被害を受けた領地を立て直すために、当てにならない父の代わりに弱冠十六歳のローズが領地へ赴き復興に尽力した。それは殿下の為だった、彼が婿入りする侯爵家を没落させるわけにはいかなかったからだ。


 その頃のローズはテリュース殿下に恋していたのだと思う。あまり表情を変えないローズだが双子の妹には彼女の気持ちがよくわかった。でも残念ながら殿下には通じていなかったようだ。


 テリュース殿下はローズの気も知らないで、婚約者を放置して領地に籠るなんてなにを考えているのだと不満を漏らす。

 大黒柱だった祖母の代わりにローズがどれだけ苦労しているのか、殿下は侯爵家の危機的状況を全く理解していない。そういう私は姉の相談相手にすらなれないことが悔しかった。

 もし、ローズまで倒れたらそこで我が家は詰む。そうなれば私は金策の為に手っ取り早く、裕福な貴族老人の後妻か、富豪の悪徳商家に売られるだろう。無力な私にはなす術がない。


 ローズの頑張りを信じて、私はとりあえず自分に出来ることをしようと思った。

 テリュース殿下は我が家に婿入りすることが決まっているとはいえ、まだ王家の血を取り入れたい家が虎視眈々と彼を狙っている。我が家に問題が発生すれば横取りするつもり満々なのがわかった。現に同じ学園に通っているハイム侯爵令嬢のスフィアが殿下に擦り寄ろうとしていた。


 ローズが戻った時にテリュース殿下がいなくなっている、なんてことにならないように、私が殿下を繋ぎ留めなければならないと思った。テリュース殿下はローズの想い人、彼女から婚約者を奪おうなんて思ってもいなかった、なのに……。


「大丈夫だアイリス。僕たちの真実の愛を邪魔することは誰にも出来ない」

 テリュース殿下は私の肩を抱き寄せた。


 真実の愛ですって? 私はテリュース殿下を愛しているなんて、一度たりとも言った覚えはないのだけど。

 私はしくじったのだ、距離感を間違えて、殿下を勘違いさせてしまったのだ。


「父上…国王陛下の許可も頂いている。僕がメルシャン家に婿入りすることは決定なのだから、相手が妹のアイリスに変わっても問題ない。メルシャン侯爵もアイリスを跡継ぎに変更することに異議はないそうだ」


「そうでございますか、もう根回しは済んでいるのですね」

 ローズはテーブルに広げられた書類にあっさり署名した。


 ローズの様子から見ると、こうなることを予想していたようだ。テリュース殿下の本質に気付いていたのね。


 私たちは仲良し姉妹とは言い難い関係だった。それは家庭環境がそうさせたのだ。物心ついた頃にはもう私とローズの扱いは違っていた。幼い頃から聡明だったローズは祖母に見込まれて侯爵家の後継ぎとして厳しい教育を施されていた。

 祖母が私を遠ざけたのは、父を堕落させたのが母だと思っていて、その憎き女に似ている私に関わりたくなかったのだろう。


 双子の姉妹なのに一緒に遊んだ記憶はほとんどなかった。両親からも放置され、私は寂しい幼少期を過ごしたが、祖母の厳しい教育に耐えている姉のことは尊敬していたのだ。


 殿下は我がメルシャン家に婿入りする、ローズマリーの婚約者だ。スフィアなんかに渡さないと言う牽制だった、ただそれだけだったのに……。


 最初に殿下の気持ちに気付いた時、私は軌道修正しようと試みた。テリュース殿下のことは姉の婚約者としてしか見ていない、恋愛感情はないのだと言ったが、彼はローズに対して遠慮して本心を押し殺している健気な娘だと自分勝手な勘違いをした。


 その時、気付いてしまった。

 私がちょっと距離を縮めただけで、あっさり婚約者を裏切る男なんて屑でしょ。父を見てよく知っている、真実の愛だなんて臭いセリフを軽々しく口にする男なんて最も信用できない。


 殿下と結婚して不幸になるローズの未来が見えてしまった。私が相手じゃなくても、そのうち浮気する奴だわ。こんな男に尽くしてもローズは報われない。


 だから私は誤解を解くことをやめた。私に夢中になっている殿下を見てローズはどうするだろう? それでもテリュース殿下を愛していると言うのなら、ひっそりこの家から消えようと思っていた。


 しかし、テリュース殿下は私の気持ちを確かめることもなく、勝手に決めて、勝手に婚約破棄を言い渡した。


 ローズはなにもかもわかっていたように受け入れた。

 彼女はいつから気付いていたのだろう、そしていつから計画していたのだろう? 翌日には、荷物をまとめて姿を消していた。


 誤解されたまま私も切り捨てられたことは悲しかったが、元はと言えば私が余計なことをしたからだから仕方がない。

 ローズのことは心配していない。平民になっても一人で立派にやって行けるだろう。侯爵家で苦労するよりは彼女らしい生活が送れると思う。恐らくその準備万端に整えての失踪だろう。侯爵家の財務も握っていたし、侯爵家の今後を考慮しなければ、逃走資金も容易に融通できたはずだ。


 侯爵家の機能が麻痺して大変な時なのに、父は相変わらず愛人の元へ行って帰らない、母は夜会に出かけている。この先、どうするつもりなのだろう? 来月からの資金繰りは? 借金の利子の返済は? 使用人たちの賃金は? 領地からも指示を仰ぐ手紙が届いているが、父の机に置いたままだ。


 テリュース殿下は呑気に結婚式の準備を進めようなんて言っているが、私は彼と結婚する気など全くない。


 だって、私には心に決めた男性ひとがいるんだもの。


 私は幸い本当に愛し合える人と巡り会えた。こんなこと言ったらローズは鼻で笑うからしら? 愛なんて、最も不確かなものに縋るなんて……。でも私にはローズのような頭脳はないし、一人では生きて行けそうにない。だから私はエリクと駆け落ちするわ。


 エリクはメルシャン侯爵家の護衛騎士だ。男爵家の三男で二十一歳、騎士学校を卒業した後、我が家に護衛騎士として雇用された。ちょうど祖母が亡くなり使用人の入れ替えが行われた時期だった。


 ローズが領地へ行き、テリュース殿下の相手をしなければならなくなって精神的に疲れていた頃だった。彼は優しい言葉などかけてはくれない、無口で不愛想で私と目も合わせてくれずに淡々と護衛の職務を果たすだけ、でもただ傍にいてくれるだけで安心する。


 身分違いだからと私の気持ちをなかなか受け入れてくれなかった。

「男爵家の三男なんて平民のようなものだ、侯爵家のお嬢様が満足する生活を与えることは出来ない。俺なんかよりちゃんとした貴族の元に嫁いだ方が幸せになれる」

「私の幸せを勝手に決めないで」

 侯爵家に嫁いだ母の不幸を身近で見ているのだ。


 私にもローズに勝るところが一つだけあった。それは男性を見る目。

 最初からエリクを利用しようとしていたわけでは決してないのよ、でも出来るなら彼と一緒に家を出たかった。


「この家はもうお終いよ、売られる前に私を連れて逃げて」


 話は戻るが、ローズが祖母亡き後、侯爵領復興に尽力していた時、なんの役にも立たない私は彼女が失敗したら売り飛ばされる、と思った瞬間から、逃げる準備を始めた。

 メルシャン侯爵家は腐っても由緒ある旧家、広い屋敷のあちこちを探せばお金になる骨董品が眠っている。私はそれを密かに売り捌いて逃亡資金を集めた。


「いいよ」

 エリクはあっさり引き受けてくれた。

「メルシャン侯爵家が破滅するなら、俺も職を失い路頭に迷うことになる。それなら、貴女と一緒に迷うのも悪くない」


 でも、駆け落ちとわかれば追手がかかる可能性があるから、偽装することにした。


 領地からの催促で、私はローズの代わりに護衛騎士であるエリクだけを伴って赴くことにした。私たちの関係に気付いていないテリュース殿下は疑問を持たずに送り出してくれた。婿入りする予定のメルシャン侯爵領のことなのに興味を示さず、面倒くさがりの彼は同行すると言わなかった。


 御者は外部から計画の為に雇った流れ者。金さえ渡せば後腐れがない。

 そして、領地へ向かう途中の山道で馬車は崖から転落した。馬は落とさなかったわよ。一頭は御者が、もう一頭は私とエリクが乗って逃げた。深い渓谷なので私たちの遺体が上がらなくても不自然ではない。


 こうして私は事故死した。


 そしてエリクが入手してくれていた偽造身分証明書で国境の検問を越えた。

 彼がこんなに用意周到だったことは意外だったし、そんなお金を持っていたことにも驚いた。私が期待した以上に頼りになる人だ。


 隣国を抜けて、出来るだけ遠くへ、遠くへと歩を進めた。私たちのことなど誰も知らない、知人に会うこともない国まで逃げた。


 そして小さな町の小さな教会で、私たち平民の()()()()()()()は二人だけの結婚式を挙げて正式な夫婦となった。

 リックの腕の中で朝を迎えた私は世界一幸せな新妻だ。


 メルシャン侯爵家がその後どうなったか、テリュース殿下がどうなったか、気にならないと言えば嘘になる。どんな結末を迎えていても自業自得だ。もう二度とあの国に戻ることはないのだから、振り返らないことにした。

 ただ、ローズのことだけは気になる。聡明な彼女のことだから生活の心配はしていないが……。


「ローズはきっと私を恨んでいるでしょうね、私が殿下を奪ったと思って……私だけがこんなに幸せでいいのかって、罪悪感を覚えるわ」

 言い訳をすることも、別れの言葉を告げることも出来なかった。


「恨んでいないと思うよ、ローズマリー様はなにもかもわかっていたんだよ、だから俺に君を託したんだ」

「ええっ?」

 リックの言葉に私は素っ頓狂な声をあげた。きっと間抜け面を晒しただろう。


「身分証と逃亡資金を用意してくれたのはローズマリー様だ。こうなることまでお見通しだったんだよ」

「私とリックの関係も、知ってたの?」

「そのようだ」


 誰にも知られないように細心の注意を払っていたのに、ローズの目は誤魔化せなかったのね。

「ローズマリー様は言っていたよ、アイリスはテリュース殿下みたいなタイプ絶対好みじゃない、きっと殿下が勝手に盛り上がってしまって止められなかったのだろうって」


「ちゃんとわかっていてくれたのね」

 誤解されていなかったことがわかってホッと胸をなでおろした。

「でも、なぜ二人でちゃんと話をしなかったんだ? 姉妹なんだから一緒に逃げる選択肢もあったんじゃないか」


「そうね、私たちに会話が足りなかったのは事実、でも、そんな家庭環境じゃなかったのよ。たった二人の姉妹なのに一緒に過ごすことが出来なかった。もしまともな親の普通の家庭に生まれていたなら、仲のいい姉妹になれたかも知れなかったけどね」

 ええ、きっとそうなれたはずだわ。


「もう二度と会えないかも知れないけど、どこにいてもローズが幸せであるように祈るわ」

「きっとローズマリー様も同じように祈っていると思うよ」


   おしまい


 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 婚約破棄からはじまる物語をシリーズにしていますので、他の作品も読んでいただければ幸いです。

 ☆で評価、ブクマなどしていただけると励みになります。よろしくお願い致します。


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― 新着の感想 ―
いつか姉妹が再会できると良いなあ
ローズマリー先生は損切の大切さを我々に教えてくれた。
ローズマリーとアイリスが幸せな人生を過ごせますように。いつか再会して、語り合うことが出来たらいいな。 それにしても、王子は見事なポンコツでしたね〜。自分のことを優秀で王の器だと言ってる時点でもうダメ…
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