立ち向かう覚悟
九條緋真はホテルの自室に籠り、うずくまっていた。暗い部屋で、目を閉じても無様な敗北の光景が浮かぶ。
完璧超人だった姉に裏切られて四年。緋真は紆余曲折ありながらも魔術を磨いてきた。
多くの人に魔女と戦えるレベルだと認められた。姉の澄和に勝てないまでも、食い下がれると思っていた。
しかし、実際は澄和の配下にすら手も足も出なかった。鍛え上げた技が圧倒的な魔法の前に無意味だった。
「私のこれまでは全部、無駄だったの?」
魔女とはいえ、この世界に入って一年の二人に助けられた。そうでなければ今頃姉への手土産にされていた。
積み上げた自信がぼろぼろと崩れ去る。努力が全部泡となって消えてしまった気がした。
何をする気も起きない。食事もとらずにただ時間が過ぎ去るのを期待していた。
明日の十八時には九條澪音が再び現れる。何か対処をしないといけない。
自身が動けないまでもせめて魔女の家の本部に報告をすべきだ。ただの電話一本、それすらもできないでいた。
本音を言うとただ泥のように眠りたい。辛うじて残った理性がその瀬戸際で踏みとどまっていた。
「お風呂、入りましょう」
ボソッとつぶやく。何をするのも嫌だったが、それくらいはしようと思えた。
一日中歩きまわって汗をかいた。何より、魔法で作った水に閉じ込められて魔力の残滓が鬱陶しい。
大嫌いな魔女の魔力を感じたくない。その嫌悪感が辛うじて緋真を動かした。
♦♦♦
自室の浴室と大浴場で迷った結果、緋真は大浴場を選んだ。
このまま部屋にいるとどうにかなってしまいそうだから。部屋から出る理由としては丁度いいと考えた。
着替えを持って入り口の暖簾をくぐる。脱衣所を見渡しどこで着替えるか考えていると、後ろから聞き覚えのある声がした。
「あ、九條さん」
振り返るとショートカットの女性が人懐っこい笑顔を浮かべていた。緋真のチームメイト、宵宮瑠愛である。
緋真はぞんざいな扱いをしているのに、瑠愛の方は友達のように接する。奇妙な人間性だ。
「あなた、女風呂に入るのね」
「今はこの身体だからね。もう元に戻ることはないし」
「……そう」
横目でちらりとその姿を見る。
髪は短いし胸も薄い。しかし、一目で女性だと分かる見た目をしている。
いやらしい視線を向けることもない。ただの難癖になると考え、その話題を終わらせた。
「……もう一人はいないのね」
緋真は瑠愛の後ろを見てつぶやく。
彼女のパートナーたる理愛は、瑠愛の代わりと言わんばかりに毒を吐く。魔女の瑠愛も嫌いだけれど、日常で害が多いのは理愛の方であった。
「理愛はいろいろ準備中。お風呂は僕一人で行ってくれって」
「そう、辞表でも書いてるの?」
緋真の口からは勝手に嫌味が出た。
瑠愛は九條澪音に勧誘されている。辞めても驚くことは全くない。
もともと二人は魂魄の魔女に近づくために魔女の家に所属したのだから。
「ううん、戦う準備をしてるの。あの人強いから、作戦を考えないと勝てないよ」
瑠愛はなんてことないつもりで言い放つ。その言葉が緋真の目を見開かせた。
「勝てるつもりでいるの?」
脱衣かごに服を入れる瑠愛に問いかける。その顔は少し楽しそうだ。
「うん。難しいけど、できないことはないと思う」
どういう理由で敵対することを選んだのかはわからない。
ただ、勝つつもりで行動している。あの圧倒的な強さの魔女を相手に。
瑠愛たちだって勝てる見込みがあるとは思えない。同じ魔女でも格が全然違うのだから。
それでも立ち向かおうとしている。緋真はそんな意思が根元から打ち砕かれていたのに。
本当は魔女と会話などしたくない。ただ、このまま会話を終わらせるほど緋真のプロ意識は欠落していなかった。
瑠愛の隣のシャワーに陣取り、会話を続ける。瑠愛は少し緊張しながらも答え続ける。
これも仕事の一部。魂魄の魔女に近づくための一環。
そう自分に言い聞かせる。緋真が魔女と話すには、そういった覚悟が必要だった。
「あなたの魔法であれば、あの魔女を倒せるということ?」
シャワーの音に負けないように少し大きめに話す。
理愛が人払いをしたから盗み聞きするものはいない。瑠愛が魔力を解放するだけで耐性のない人間は近寄れなくなる。
「今日戦った感じ、いけると思う。ちょっとでも触れたら魔力をかき乱せる。そしたらしばらくは魔法を使えなくなるんじゃないかな?」
魔力は魔女にとって生命線。それをかき乱されたら、どれだけ強かろうとまともに戦えない。
瑠愛が触れたらそれを実現できる。確かに勝算と言えるレベルだ。
「ただ問題は、あなたが弱いことね」
緋真はシャワーヘッドを持ち長い髪の泡を少しずつ流していく。風呂桶のお湯を被った瑠愛とは対照的だ。
「そうなんだよね~」
瑠愛は魔女であるが非常に未熟だ。他二人よりも圧倒的に近接技術がない。
そんな奴が格上の懐に潜り込まないといけない。かなり難儀な問題である。
数秒、緋真は思考を巡らせる。シャワーが肌を打つ音だけが聞こえる。
湯気の混じった空気が身体を温める。そして、結論を出す。
「でも、やりようはある」
先ほどの答えのない堂々巡りとは違う。明確な勝利の道筋がある。
「うん、理愛もおんなじこといってたよ」
頭のいい理愛のことである。何か魔女を止める手立てでも考えているのだろう。
緋真は気分が上向いてきた。自分の実力でないことはむなしいが、魔女を倒せる道筋が見えたのである。
二人はお風呂という名の情報交換の時間を終えた。すっかりのぼせそうな時間を費やした。
身体からは湯気が立ち上る。少し体を冷やさないといけない。
「一つだけ聞かせなさい」
「何、珍しいね。九條さんがこんなに話しかけてくるなんて」
緋真が自分でもらしくないと思っている。ただ、どうしてなのか彼女自身理解していない。
「あなた、どうして私を助けたの?」
瑠愛は緋真を命がけで助けた。しかも二回。
破壊魔術から身を呈して守り、魔女の魔法から救い出した。緋真にはどうしてそこまでするのかわからなかった。
あれだけ徹底的に嫌って雑な扱いをしてきた。緋真もそれでいざというとき助けてもらえるなんて思っていない。
それなのに、自分の身を犠牲にして助けてくれた。その理由が少し、気になった。
「う~ん、九條さんが人間の基準点だから、かな?」
「どういうこと?」
瑠愛の言葉に訝しげな顔をする緋真。意味が全く理解できなかった。
「なんて言うか、僕の周りって普通の人間あんまりいないでしょ?理愛も普通とは口が裂けても言えないし」
「琴羽さんや朔夜さんはどうなの?あの二人が普通じゃないとでも言うの?」
緋真は瑠愛の言葉に怒りを覚えた。緋真も瑠愛もあの二人に救われている。その恩人に対してそのような扱いをするのかと。
「あの二人は魔女の中ではまともな方だよ。でも結局は魔女。根元の部分でずれてるんだよ」
「そんなわけ――」
「あるんだよ。
二人ともいい人だし、悪いところはないと思う。それこそ、僕なんかよりよっぽど人間出来てる。
でも、琴羽さんは最後に絶対朔夜さんを選ぶ。朔夜さんは普通の人を演じてるだけで中身は別物」
緋真の否定を遮って瑠愛は断言する。その言葉には絶対譲らない確固たる意志があった。
「人間と魔女は共存できる。でも、理解し合えるなんてのは傲慢だよ」
「…………」
それを聞いた上で、緋真は瑠愛の言葉を受け入れる気がない。ただ、これ以上の反論は無駄だと思い口を閉じた。
「でもね、九條さんはちゃんと人間なんだよ。
迷って悩んで自分のことで手一杯なのに人のことも切り捨てられない。とっても人間らしい人間。
僕が人間から離れすぎないようにいるための基準点なんだよ、緋真さんは」
何の悪気もなしにこんな言葉を言ってのける。それが瑠愛という人間であった。
「褒めてるつもりなの?喧嘩を売ってるようにしか聞こえないけれど」
「そう?非常識な世界でまともな精神を残してるのは凄いことだと思うけど」
瑠愛は本気で理解していない。相手の神経を逆撫でする言葉だと。
そのとぼけた顔を見ていると怒る気も失せた。確かに瑠愛自身の言う通り、魔女と人間は理解し合えないのかもしれない。
ただ、九條澪音よりはまだマシだと思えた。魔術師の存在を否定するあの魔女に比べたら。
「明日の九時。忘れないで」
「うん、ロビーで待ってるから」
着替えて脱衣所を出る。緋真の足取りは軽くなっていた。
♦♦♦
翌朝。緋真はばっちりとコートを着こなし、髪をきっちり結んでいた。クールな麗人の復活である。
部屋の鏡には生真面目過ぎる顔が映っている。敗北した魔術師も項垂れていた女もそこにはいない。
「勝つわよ。あの人の本心を聞き出すために」
澄和に裏切られたときからずっと疑問だった。どうして裏切ったのか。
あの人には栄光が約束されていた。仮に魔女になったとしても、あのような事件を起こさなくてもよかった。
何が不満だったのか?あの人には何が見えていたのか?
それを聞き出したい。殺せなくとも、それくらいは聞き出さないと前に進めない。
コートをふわりと翻して部屋を出る。魔女に立ち向かう覚悟は固まった。
もう負けない。どこからか、そんな勇気が湧いてくる。
♦♦♦
エレベーターを降りてホテルのロビーに出る。少し見回すと、既に瑠愛と理愛は待っていた。
ソファに座って肩を寄せ合いながら仲良さそうに話す。あの関係だけは少しだけ羨ましいと思う緋真であった。
「集合時間は忘れていなかったようね」
歩み寄りながら二人に話しかける。何も考えなくても勝手に棘のある発言が出る。
「大丈夫だよ、昨日は早寝したから」
「あなたが一方的に決めた時間ですけどね」
瑠愛は朗らかに、理愛は鬱陶しそうに反応する。
この二人はいつも対照的だ。だからこそ、上手くやれるのかもしれない。
「場所を移しましょう。作戦を考えるわよ」
早々にホテルの出口に足を向ける緋真。とげとげしい態度はそのままだが、協力しようという意思があった。
「ふん、腑抜けにはならなかったようですね。作戦を考える手間が増えなくてよかったです」
理愛は腰を上げて緋真を見据える。そして、人差し指をビシッと向ける。
「今回の作戦。キーマンはあなたです」
冷たい目線を受ける緋真。確かに胸が高鳴っているのを感じた。
♦♦♦
そして、作戦会議をしている間に時間はあっさりと過ぎていった。
現在の時刻は十八時。九條澪音との約束の時間だ。
日も暮れかけた時間帯。澪音は昨日と同じビルの前に立っていた。
澪音が人払いでもしたのか、人影が全くない。
瑠愛と理愛が近寄ると、顔を上げて反応を見せた。一気にねっとりとした笑顔になる。
「待っていたわよ、瑠愛さん。覚悟は決まった?」
澪音は瑠愛に問いかける。断られることなど微塵も考えずに。
「うん、覚悟は決まったよ」
それに対し、さっぱりとした顔で応える瑠愛。それを見て、澪音はより一層笑みを深める。
「なるほど、それじゃあ――」
澪音が手を差し出す。新たな仲間を歓迎するために。
「覚悟ができたんだよ。澪音さんと戦う覚悟がね」
瑠愛は手に紫色の魔力を集める。空間が歪んで見えるほどの膨大な魔力だ。
その手で澪音の差し出した手を握ろうとする。澪音はとっさに手を引っ込めバックステップする。
「空弾――【穿】」
澪音の隙を逃さずに理愛が攻撃を放つ。それを澪音は手に黄色い魔力を集め、軽く振るうだけでかき消す。
「何の真似?」
澪音は目を細めながら問いかける。最後の希望を抱いて。
「悪いけど、僕はあなたの誘いに乗れない。あなたを倒して魂魄の魔女に近づくよ」
しかし、瑠愛は誘いを明確に断る。洗脳を解くと決めたのだ。
「そう、じゃあ少し手荒にいきましょう」
その言葉と同時に大量の水が創造される。昨日はお風呂一杯分だったのに、今はプールを溢れさせる量の水が渦巻いている。
同時に空気が水あめに変わってしまったように錯覚する。それほどに濃密な魔力だ。
「澄和様に説得していただくわ。痛いのが嫌なら、抵抗しない方がいいわよ」
掌を前に突き出すと何発もの水の弾丸が生成される。一発一発が必殺になると確信させる。
昨日は全然本気を出していなかった。それが今ようやく肌で理解できる。
「悪いけど、僕は納得したことしかできないんだ」
瑠愛は冷や汗を流しながらも不敵に笑う。
「そう、遊んであげるわ新人さん」
澪音は瑠愛を反抗する子供のように扱う。それだけの実力差が二人の間にはある。
圧倒的に不利な戦いが始まった。
長い間お待たせしてすみません。ようやく第一章のボス戦スタートです。




