紛いものの傀儡
瑠愛たち三人は数時間の調査を終え、ビルを出た。空はオレンジ色に染まり、山の頂上に太陽が隠れ始めている。
彼女らの顔には疲れと落胆が滲んでいた。
「結局、めぼしい情報は得られなかったね」
瑠愛がぼやく。その言葉通り、魔女が創造したと思われる”水もどき”以外に調査を進めるような手掛かりはなかった。
敵である魔女はもちろんのこと、襲撃された協会側の情報も。背景を探るためのヒントは、跡形もなく消されていたのだ。
「襲撃した魔女が痕跡を消したのでしょうか?あるいは……」
順当に考えたら、その可能性が高い。しかし、理愛の頭には別の可能性が浮かんでいた。
魔術協会側が何かあったときの策を講じていたのではないかと。
「そんなことを気にしても仕方がないでしょう。とりあえず、この水を琴羽さんに調べてもらえば済むことよ」
緋真が理愛の想像を遮るように話す。その手には小さなサンプル瓶が握られており、中では水にしか見えない液体が揺れている。
ビルの中にあった”水もどき”の一部を採取したものである。三人とも二個ずつ持っている。
この事件の唯一にして最大の手がかり。魔力が潤沢に含まれたこれを使えば、犯人に近づける可能性はかなり高い。
魔力は”魔”に携わる者にとって情報の塊である。魔力はDNAのように本人の情報を山ほど含んでいる。
使用された属性、込められた魔力量、適性の高さ等が分析可能だ。
今回の本人の創造したであろう水もどきなど、参考にしたいレベルの品である。分析に長けた者が見たら、使用者の情報を丸裸にできるであろう。
「分析か……早くできるようになりたいな」
瑠愛は同じようにサンプルを見つめる。彼女の目には他二人と違って、水もどきに含まれる魔力が見えていた。
目を凝らすと魔力を見ることができる、瑠愛の特技。瑠愛は紫と緋色と黄色が混ざり、ガラス細工のようみ見えていた。
彼女は魔力分析の才能があると琴羽に太鼓判を押されている。しかし、今は分析できない。
単純に経験が足りていないのだ。分析のいろはは琴羽に仕込まれているが、まだまだ誤った判断が多い。
だから、瑠愛の判断は当てにできない。中途半端な理解は、ときに無知より恐ろしい。
破壊属性の赤と創造属性の緋色を間違えたことは、瑠愛の記憶でも比較的新しい。
魔力光こそ似ているが、破壊と創造は逆の属性だ。もし間違った認識で扱っていたら、大事故が起きかねない。
口惜しく思いながらも、彼女たちは引き上げるつもりでいた。水もどきの魔力が霧散しないうちに、琴羽のもとへ届けるため。
それを見ていた者たちがいた。黒地に金の刺繍が入った、目立つ服を着た三人の男たちだ。
虚ろな目をして、ビルから出た三人を見つめている。まるで、肉を見つけたゾンビのように。
男たちはのそのそとした歩みで瑠愛たちに近づいていく。腕をだらりと下げたまま、影の伸びる方向へ少しずつ。
やがて、瑠愛たちも男たちの存在に気づく。最初に反応を見せたのは緋真だ。
「あら、その制服……。あなたたち、魔術協会の魔術師ね」
裏社会の中では目立ちすぎる制服から所属を推測する。彼女の古巣だけあって、その制服は見慣れたものだ。
「このビルの生き残り?それとも、派遣された調査員かしら?」
緋真は微笑みを携えて男たちに近寄る。彼女の機嫌は今日一番よくなっていた。
慣れない”魔女の家”の中でも最も嫌いな存在とチームを組まされる不快感。生まれたときから見てきた制服はそれを少し忘れさせた。
彼女はわずかだが心を開いていた。針の筵になった過去を忘れ、会話を楽しもうとしていた。
それがいけなかった。もっと冷静に状況を判断すべきだった。
「ハカイ」
意思のない無機質な声。全ての属性の中で最も攻撃的な属性が、機械音のように口から出た。
男の一人が緋真に向けて指を向ける。真っ赤な光で術式が描かれる。
「え?」
緋真は反応できなかった。仲間とまでは言えなくても、親近感を持った相手にいきなり術式を向けられた。
それは緋真に強い精神的衝撃を与えた。身体は地面に縫い付けられたかのように動かなかった。
その光はまっすぐに緋真の心臓に向けて伸びていく。あらゆるものを破壊する一条の光は、緋真の命を奪わんとしていた。
このままであれば、緋真の命は奪われていたかもしれない。しかし、代わりに反応した者がいた。
「九條さん!」
瑠愛は破壊魔術の行使を見てすぐ緋真の方に向けて動き始めていた。だから辛うじて間に合った。
瑠愛は前に出ていた緋真の肩をつかみ、無理矢理斜め後ろに引っ張り倒す。緋真は射線から外れたが、代わりに瑠愛が身をさらす。
真っ赤な光は直進し、瑠愛の胸を貫く。
「くっ!」
瑠愛は激しい痛みを感じ、表情をゆがめる。
「空弾!」
破壊魔術を使用していた男が急に顔をのけぞらせる。ストレートパンチでも食らったかのように。
見えない何かに何度も身体を殴られ、男は吹っ飛んだ。
「大丈夫ですか、ご主人様!」
瑠愛のもとに理愛が駆け寄る。
瑠愛が攻撃されたことで、理愛は取り乱していた。人前ではしないように気を付けていた、本当の呼び方を言ってしまうくらいには。
「大丈夫。生命魔法で治してるし、急所も外れてる」
瑠愛は全身から緑色の光を放つ。その光は瑠愛の肉体を活性させ、先ほどの傷を癒している。
身体に開けられた穴が徐々に塞がっていく。普通の人間では考えられない回復力だ。
とはいえ、瑠愛の息は荒い。治療には少し時間がかかるかもしれない。
「ご主人様はそこで休んでいてください。後は私がやっておくので」
理愛は愛おし気に瑠愛の身体を軽くなでる。瑠愛の状態を確認して、自信が治療する必要はないと判断した。
そして、身体を百八十度回転させながら立ち上がった。瑠愛のため、彼女にできることを。
「よくもご主人様を。殺して差し上げます」
男たちを見た瞬間、目を細めて無表情になる理愛。彼女の心は殺意に染まっていた。
理愛は魔力を放出させる。その魔力は剃刀のように鋭く研ぎ澄まされている。
大量の魔力を使えない理愛は魔力を一切無駄にできない。淀みのない魔力の流れは理愛の強い怒りを形にしていた。
彼女の戦闘スタイルは最小限の魔力で最大限の死体を生み出すことに特化している。
「破壊魔術など、贅沢な術を使いますね。魔力の無駄です」
理愛は男の使用した破壊魔術が嫌いだった。攻撃力は高く、あらゆるものの防御力を無視して破壊する。
一方、魔力が湯水のように消費される。先ほどのレーザーを数回使用すれば、並みの魔術師は魔力が完全に空になってしまう。
その他、裏の世界では割と対策法が知られている。理愛はほとんど選ばない選択肢だ。
ならば、理愛ならどうするのか?その答えは目の前で現実になる。
「空弾――【穿】」
ぽつりとつぶやいた瞬間、ことは終わっていた。
破壊魔術を使った男の頭が吹っ飛ぶ。まるで熟しすぎたトマトのようにあっさりと。
真っ赤な血が夕方のビル街に飛沫を散らす。
首から上がなくなった男は力なくばたりと地面へ倒れこむ。そのまま、首からは血が溢れアスファルトを絨毯のように染め上げた。
魔術師ならほとんどの者が使える、空気を圧縮して放つ魔術”空弾”。その圧縮率をはるかに向上させたが”穿”だ。
ソフトボール大に凝縮された空気は人間の頭蓋をたやすく吹き飛ばす。人間へ致命傷を与えるには十分すぎる威力だ。
繊細な魔力操作を必要とするが、簡単に数多の命を刈り取ることができる。理愛の得意とする魔術の一つだ。
「ア、アア」
「ウァ」
仲間の死にざまを見て、残りの男二人も反応を見せる。錆びついたロボットのように不自然な動きで理愛に注目する。
各々の術式を展開して、理愛に反撃しようとする。
しかし、それを許す理愛ではない。掌の先に竜巻が発生している。空気の流れを物理魔術で微調整して、圧縮しているのだ。
新しい弾ができるまで数秒。すぐにでも、その弾丸は放たれるであろう。
そんなときであった。
「止めて!」
その声を聞いて、眉をひそめながら声のもとへ目を向ける。そこには、先ほど瑠愛に助けられた緋真がいた。
「なんですか、緋真さん?まさか、『殺すな』などとおっしゃるつもりでしょうか?」
温度のない瞳で緋真を刺し貫く理愛。緋真もあまりの殺意についひるんでしまう。
「相変わらず、あいつ以外の人間が見えていない!」
「光栄ですね。ご主人様以外の人間に見る価値がないなんて、当たり前の話じゃないですか」
緋真は毒づくが、理愛はむしろその言葉に機嫌をよくする。彼女にとってそれは倫理よりも優先する常識だ。
このままでは理愛は残りの二人も殺してしまう。そんな結末を防ぎたい緋真は必死に考える。
理愛を止められる大義名分。それを探すため、自分の知識を掘り返した。
「その人たちを殺したら貴重な情報が失われるわ!その人たち、きっと”傀儡”にされているもの!」
そしてついに辿り着く。理愛の怒りを鎮められそうな言い訳を。
「”傀儡”とは、”魂魄”の魔女の先兵と言われてる、あの”傀儡”でしょうか?」
理愛もその言葉を聞いて、撃ちかけていた空弾を止める。ひとまず、殺しを止めさせる目的は達した。
しかし、空弾は未だ圧縮されてまま。この後の展開次第ではすぐに放つだろう。
「そうよ、さっきから様子が変だったもの。あの人に利用されているに違いないわ」
「ふむ」
理愛は空弾を盾の形に変える。その盾で男たちの魔術をさばきながら、敵の観察を始めた。
改めて思い返すと、人間らしい言葉を発していない。それに動きがぎこちなくて、まるで機械仕掛けの人形のようだ。
あらかじめ指示されたプログラム通りに動くロボット。そのような印象を抱かせる。
「多分、九條さんの言う通りだよ。その人たちの魂、なんか変だし」
瑠愛が緋真の後押しをする。魔法の力で傷は既に癒えている。
「詳しく説明していただけますか、ご主人様?」
「あの人たちの魂、紫色の魔力がこびれついてるんだよね。その魔力がぐにぐにって、魂を無理矢理動かしてる感じ」
「紫色の魔力は魂魄属性。何者かがあの人たちの魂に干渉しているようですね」
瑠愛の感覚任せな言葉を瑠愛が考察に落とし込む。この二人の目と頭脳があれば、大抵のことは解明できてしまう。
「”傀儡”の可能性は高いですね」
三人の共通目的である”魂魄”の魔女への手がかり。そう判断するだけの材料がそろっていた。
「なら、決まりね。あの人たちを捕縛するわよ」
緋真が嬉しそうに立ち上がる。魂魄へのヒント――というより、魔術協会の人間を助けられたことが嬉しいのだろう。
少なくとも、理愛はそう思った。
「……それで、どうするのですか?」
それを見て、理愛は目を細めて緋真に問いかける。緋真の言う通りになるのは面白くないが、瑠愛のためなら大人しく従うのが理愛だ。
「少しでいいから、動きを止めてくれない?僕が触れたらそれで大丈夫だと思う」
瑠愛が手を挙げて傀儡を戻す役目を買って出る。その顔には自信が満ち溢れている。
不得意分野では何もできないが、得意分野ならとことん強いのが瑠愛だ。それを受けて、緋真も動く。
「私が動きを止める。あんたたちは邪魔だからギリギリまで引いてて。空納解除」
その言葉と同時に空間に小さな藍色の亀裂が入る。手首から先しか入らないような小さな断裂。
その中から顔を出すのは日本刀だ。異なる次元に物質をしまっておく、緋真の、いや九條家の定番魔術だ。
九條家に代々伝わる魔術で創造された刀『九天』。その力は魔術師の力を最大限引き出す。
緋真はベルトに刀を差して、鞘から刀を抜く。鏡のように美しい刀身が姿を現す。
「纏雷」
緋真が峰をなぞると、刀が黄色の輝きを放ち始める。やがて、バチバチと音を立て始めた。
刀に巻き付く青白い光。雷が彼女の刀に宿っていた。
刀に様々な魔術を纏わせる九條流剣術。その中の一つ、纏雷。
「少し痛いかもしれませんが、お許しください」
これから斬りつける相手に向けた謝罪。その言葉が届くと信じて緋真は動き出す。
緋真は一瞬で陽炎のように消えたしまった。直前に放った足音だけが彼女のいた証だ。
傀儡たちも周りをきょろきょろと見渡すが、何も見つけられない。手品のような光景だ。
光を操って自分を見えなくさせたのか?それとも、催眠でも使ったのか?
どちらでもない。
「相変わらず、速いですね」
何が起こったか見えていた理愛はつぶやく。理愛の言う通り、緋真は魔術によって強化した肉体で動いただけだ。
長年鍛えた魔術と足さばき。それが目にもとまらぬ速さを生み出していた。
これ以上なくシンプルで強力な戦法。これが九條緋真の最大の武器だ。
「ふっ」
そのまま男たちの背後を過ぎ去る。二人の太ももをわずかに斬りつけて。
緋真はそれを見て刀を鞘に納める。剣道ならいざ知らず、実戦でわずかに斬りつけて終了とは甘すぎる。
「アァ、アガ?」
傀儡たちも襲い掛かろうとする。しかし、足が動かなかった。
傀儡たちの足は一歩も動かない。むしろ、力が抜けて倒れてしまう。
「九條さん、何したの?」
戦いに全くついて行けなかった瑠愛が緋真に問いかける。
「神経の電気信号を狂わせただけ。それより、早くなんとかしなさい」
それに緋真は端的すぎる答えを返して、洗脳の解除を命令する。その言葉に手をポンと叩いて納得しながら、瑠愛は傀儡にされている男たちの元に寄った。
「うん、これは面倒くさそうだね」
瑠愛は二人の頭に触れて、魂の状態を直接感じ取る。遠目で見て確認した通り、他人の魔力が絡みついているのがわかった。
コールタールのように魂にべっとりくっついている。魔術師はもちろん、大半の魔女はこの状況を対処できない。
しかし、瑠愛は並みの魔女ではない。一芸においてはほとんどの魔女を圧倒する実力の持ち主だ。
天才外科医が脳腫瘍を取り除くように、魂に絡みつく魔力を取り除く。境目に瑠愛自身の魔力で作ったメスを入れて、分離させる。
十秒もしないうちに傀儡から魔術師を救い出した。
「ふぅ、疲れた~」
瑠愛はアスファルトも気にせず寝転がろうとする。
短いながらも高い集中力を要する、脳が疲れる作業だった。アスファルトの上でもいいから身体を休めたい気分だった。
「お疲れ様です、ご主人様」
それを先回りして、理愛がクッション代わりになる。慣れた感触に安堵を覚え、身体を完全に預ける。
「ありがとね、理愛」
柔らかな胸に頭をうずめて、瑠愛は気持ちよさそうに瞼をおろす。そのまま眠ってしまいそうな顔だ。
「この人たちをホテルに連れて帰りましょう」
夕暮れどきとはいえ、人の往来で遠慮なくくっつく瑠愛と理愛。そんな二人を無視して、緋真は男たちを担ぎ上げようとした。
そのときだ。
「即興の贋物だけど、そんなあっさり解除されるとは思わなかったな」
突如響く女の声。その言葉に瑠愛たちは強い危機感を走らせた。
「あなた、いったい何者?」
緋真が刀を構えて応対する。その目は女の一挙手一投足を逃さんとしている。
瑠愛と理愛も同様に警戒を最大レベルに引き上げた。
疲れた身体に鞭打たないといけない相手。そう、本能が訴えかけてきたから。
上品な白黒の水玉模様のワンピースを着た女性。髪にはウェーブがかかっており、手入れを欠かしていないことがよくわかる。
町で歩いていたら、きれいだなと思う程度だっただろう。しかし、その振る舞いは異質でしかなかった。
戦闘訓練を重ねてきた三人の警戒網をあっさり出し抜く気配の隠蔽技術。それだけで警戒するには十分すぎる。
それに、気配を現した瞬間から常に放たれている不気味な魔力。”水もどき”から感じたのと同じ種類のものだ。
無論、その気配は比べ物にならない。まるでそのまま深海に引きずり込まれるような、精神を犯す魔力。
自身の魔力で身を守らないと正気ではいられない。それだけ、圧倒的な実力差を感じていた。
「初めまして、九條緋真さん。私は九條澪音。あなたの敵よ」
優雅にスカートのすそをつまみ、舞踏会の令嬢のようにきれいなお辞儀をする澪音。その笑顔は不気味なほどきれいだった。
その姿を見ているだけで、悪寒が停まらない。この世界でも指折りの魔女が立ちはだかっていた。