はじめて、立った日の魔法
母さんの腕の中は、やっぱりあったかい。
お昼の光が窓から差しこんで、部屋の中をやわらかく照らしていた。
母さんのクリーム色の髪が、きらきらと光って見える。
(なんか、こうしてると……眠くなるなあ)
そう思って目を細めていると、部屋の奥の方から、なにやら声が聞こえてきた。
「ルミエラは大雑把すぎる」
「はあ!? 魔法ばっかり頼ってるくせに偉そうに言うなっての!」
(……姉さんたち、またやってる)
母さんの胸に抱かれたまま、そっと首を動かして見てみると、ルミエラ姉さんとエルミナ姉さんが、真正面からにらみ合っていた。
ルミエラ姉さんのポニーテールが、怒りでピョコピョコ揺れている。
その手には、また木剣。
「やってやるわぁぁ!!」
ルミエラ姉さんが叫ぶと同時に、地面を蹴って突っ込もうとする!
エルミナ姉さんはため息をついたように目を閉じて、手を前にすっと出す。
その指先から、ふわっと風が集まり――
「そよ風の精よ、我が頬を撫でたまえ
静けき羽音と共に――『ウインドショック』」
次の瞬間、ビュオッと突風が生まれ、ルミエラ姉さんの体が浮き上がった!
「うわっ!? ちょ、バカエルミナァッ!!」
吹き飛ばされてゴロンと転がったけど、すぐに起き上がって剣を構え直す。
しかしエルミナ姉さんは、追撃の手をゆるめない。
「潤いを携える水の精よ、いま滴りたまえ
ひとしずくの恵みをここに――『ウォーターボール』」
エルミナ姉さんの声と共に、水球がふたつ、ふわっと宙に浮かび――そのままルミエラ姉さんに向かって発射された!
「なめんなぁぁぁあああっ!!」
ルミエラ姉さんが叫びながら木剣を振り抜くと――二つの水球はきれいに真っ二つに割れて、しぶきになってはじけ飛ぶ。
「よし、ぶっとばすっ!」
水をものともせず、一気にエルミナ姉さんの懐へ!
(うおお……すげぇ、なんかアニメみたいだ……)
俺は母さんの腕の中から、まばたきもせずその光景を見ていた。
まるで魔法と剣のバトルシーン。
いや、実際そのまんまなんだけど。
だけど――
「……ふふっ」
母さんが、小さく笑って、すっと背筋を伸ばした。
そして、少しだけ深めの咳払いを一つ。
「ゴホン」
……それだけだった。
なのに、
「うっ……!」
「や、やば……」
二人とも、ピタリと動きを止めた。
そして、ゆっくり、ものすごーくぎこちない動きで、母さんの方を見る。
(……あー、こりゃ怒られる)
予想通り、母さんの顔はニコニコしているけど、その目はまったく笑ってなかった。
「ルミエラ、エルミナ。どういうつもりかしら?」
「えっと、その、軽い遊びで……!」
「そ、そう、風でちょっと転がしただけで……」
「家の中で武器と魔法は使わないって、何度も言ったわよね?」
「ごめんなさい……」
「はい……すみません……」
ぺこりと頭を下げる双子姉妹。
なんというか、これがいつもの流れらしい。
母さん、やっぱりこの家で一番強い気がする。
そんなやり取りを見ているうちに、ふと頭の中に引っかかった言葉があった。
(ルミエラ、エルミナ……うん、これは姉さんたちの名前だ)
そして、俺は言語をほとんど理解できるようになっていた
母さんの名前は「アメリア」
父さんの名前も、この前の食卓で呼ばれていた。「ギルベルト」。
そして、兄弟の一番下の男の子が、「オルリック」
(ようやく……家族全員の名前が、わかってきたな)
名前がわかると、なんだか急に身近に感じる。
自分がちゃんと、ここに“いる”って、そう思えるような気がする。
その日、夕方――
父さんと母さんが、そろってリビングにいた。
俺は、ちょこんと座布団の上に座らされていた。
最近はもう、かなり動けるようになってきて、ハイハイもスピードアップしてる。
だけど、この日は……なんか、いけそうな気がした。
(よし……今だ)
ぐっと手を握り、ぐらつく体を一度前に傾けて、反動をつける。
そして――
「んっ……!」
ふらつきながらも、俺の足が床にぺたりとついて、
ゆっくり、ゆっくり……体を起こした。
「……ヴァル!?」
母さんの声。
「おお……立ったぞ……!」
父さんの低いけど嬉しそうな声。
俺は、ふらふらと体を揺らしながらも、なんとかその場に立ち続けていた。
数秒。
でも、ちゃんと“自分の足”で立てた。
母さんがうるうるした目で近づいてきて、俺をぎゅっと抱きしめてくれた。
「すごい、すごいわ……ヴァル!」
その声が、心にじんわり染みる。
(……よかった。ちゃんと、この世界で生きてる)
そう思った。