98:風の遺跡
風の精霊が封印されれている遺跡は荒れ地の東側、魔道帝国領に当たる山々の上にあった。
ヘルフリートの先導で遺跡に向かったクロエとレオンは、激しい風の吹きすさぶ山頂を見上げる。まるで山肌に刻まれるように、その遺跡は佇んでいた。
「あれが風の精霊の遺跡。あそこを発見したのはもう何年も前のことだ。帝国の各地で魔力測定をしていたら、異常な数値が出て」
山道を登りながらヘルフリートが言う。山は険しいが登山道が整えられており、途中までは馬車で来られた。
「強い風の魔力が周辺に満ちていた。検証の結果、あの遺跡に風の精霊がいて、魔力が漏れ出していたと分かったんだ」
その後、魔道帝国の研究者は様々な手で封印を解こうとしたのだという。漏れ出した魔力は強力で、大きな魔晶核が何個も作られた。風の精霊本体であればどれほどの魔力があることか。研究者たちは色めき立った。
だが封印は解けなかった。遺跡の内部は古代王国時代の術式が厳重に張り巡らされており、千年の経年劣化を経てもなお強固だった。
「遺跡内部では『世界樹の守り人』のワードが頻出していてね。他の遺跡の記述と照らし合わせた結果、古代王国の王家に関係することまでは分かった。だが千年も前に滅びた王国の人間など、行方を探せるはずがない。そう思っていたんだけど……」
ヘルフリートはレオンを見る。レオンは肩をすくめた。
「守り人の末裔がいたなんてね。盲点だったよ」
「俺の知る限り、世界樹の守り人とは精霊の力を借りて恵みをもたらす者。古代王家の血に封じられた精霊との契約だと聞いている。封印の話は最近になって知った」
「最初は水の精霊だったわね。遊牧民の水場に封印地のヒントが書いてあった」
クロエが口を挟む。
「大地の精霊は勝手に出てきたけれど、火の精霊は封印の石碑のところにいた。東からの干渉で目が覚めたと言っていたわ」
「それは、例の土地に張り巡らせた魔法陣のことかもしれない。報告以上に大規模に展開していて、他国まで影響が届いていたから」
枯死した麦畑を思い浮かべて、ヘルフリートはうつむいた。
風の精霊の封印を解き、死にゆく大地を救うと決めてから、クロエとヘルフリートは情報を共有している。
魔道帝国の皇帝と元老院の全ては信用できない。だけどヘルフリートは信じて良いとクロエは考えている。だから隠すのはやめて、現状で打てる最善手を探していた。
冬風の吹き荒れる山道を登り、三人は風の遺跡へと辿り着く。
入口にいた帝国兵はヘルフリートを見て一礼し、扉を開けた。
途端、山道よりも強い嵐のような風が吹き渡り、クロエはよろけた。レオンが支える。
「――行こう。封印の魔法陣は奥にある」
寄り添う二人を一瞬だけ寂しそうに見つめて、ヘルフリートは遺跡へと足を踏み入れた。
遺跡は入口こそ石造りの無骨なものだったが、奥に行くに従って様子が変わっていった。
材質は石から金属へ。次いでガラスを思わせる、透明度の高い不思議なものへ。
どこかに灯る光が乱反射して、室内にもかかわらずまぶしいほどだ。
ヘルフリートはその中を進み、一番奥の扉の前で立ち止まった。
扉には複雑な紋様が描かれていた。幾重にも重なるガラスの奥は、時折走る小さな火花が見えるのみ。
『ここに風が眠る。その眠りが永遠に続くよう、術を以て封じる。眠りを覚ますのは、守り人の血のみ』
要約すれば、そのようなことが書いてあった。
「水の精霊が封印されていた場所と、同じね」
クロエが指を伸ばして扉に触れた。ひやりとした感触があるだけで、何も起こらない。
「レオン。お願い」
「ああ」
レオンは剣を抜いた。彼は右利き、右手に剣を持って左手のひらを軽く切る。滲んだ血を扉に押し付けようとして――。
「!?」
心臓に痛みを感じ、レオンは思わず膝をついた。
左胸に刻まれた黒い術式が熱を帯びている。亡き母が刻んだエレウシス王家の呪いが。
「レオン、どうしたの!?」
クロエの声が遠い。レオンは気力を振り絞り、扉に触れて。
バチッ!
青い火花が飛んだ。
途端に走った激痛に、悲鳴をこらえるのが精一杯。かすむ目で見上げた扉は――閉じたままだった。
「何故だ……」
呻くように言う彼に、クロエも戸惑いを隠せない。水の精霊の時は上手くいったのに。
「今の反応は……でも……」
青い火花の余韻が残る扉をヘルフリートが調べている。
「何か分かった?」
「うーん。確かに反応はあったよ。クロエも僕も、他の帝国の研究者たちも、触れるだけでは何も起こらなかったから」
ヘルフリートは考え込んだ。
「封印解除の術式が途中までは動いたようだ。だけど何かの不具合で、最後まで進めなかった。なんでだろう?」
「俺の血が薄いせいではないか。古代王国はもう千年も前の国。当然、血は薄まっているだろう」
「どうだろう……。でも、水の精霊の封印は解けたんだよね? なら資格はあるはずだけど」
「ええ。水の精霊の時は何の問題もなかったわ」
「ううーん。そこの術式は見てないから何とも言えないけど、風の遺跡は保存状態がかなりいい。施された封印は、当時のままに強固だろう。何せ千年経ってるんだ、元は同じ術でも今の強度はまちまちじゃないかな。……レオン、もう一度頼む」
ヘルフリートが魔力計測器を取り出す。
レオンは再度扉に触れるが、結果は同じだった。
「妙な反応だなあ。血が触れるだろ、で、解除術式が起動。だけど途中でノイズが入ってキャンセル。このノイズが分かれば対処できそうなんだけど」
レオンは右手で左胸を掴む。扉に触れるたび、黒い痣が熱と痛みを帯びていた。




