97:希望
「風の精霊なら心当たりがある。帝国が研究中の遺跡に、恐らく封じられている」
「何ですって?」
「……実は、今回の事故の間接的な原因でもある。風の精霊の魔力の一部を吸い出して、魔晶核に加工した。その魔晶核が使われているのが、例の麦畑の施設だ」
「そう。それなら遺跡へ行くわ。案内して」
それからクロエは数歩歩いて、レオンの腕を取った。
「レオン。一緒に来てくれる? 守り人の力がなければ、きっと封印は解けない」
「あなたが救う必要はあるのか?」
ヘルフリートがいるのは知っているが、レオンは言動を取り繕う余裕がなくなっていた。
「帝国の事故にあなたは何の責任もない。大地の精霊は、狭い範囲ながらも守ると言ったじゃないか」
「北の土地以外は全て眠ってしまうのよ。それに私が死んだ後は、あの土地ですら保障がない。ペリテや子どもたち、これから生まれる子らのためにも、私は行かなくてはならない」
レオンの脳裏に、結婚したばかりの村人の姿が浮かんだ。エレウシス人とセレスティア人の夫婦で、互いの違いを乗り越えて結ばれた人々だった。彼らの間に子が生まれれば、きっとみんなに愛される存在になるだろう。
だが、彼はその光景をあえて思考から追い出した。
「それでもだ。救世教が敵に回り、セレスティアが味方するとも限らない。世界樹を芽吹かせる前に暗殺される恐れもある。あなただけが危険を冒す必要はない」
「……ねえ、レオン」
クロエは彼の手を握り、真っ直ぐに見上げた。
「あなたが心配してくれているのは分かる。けど、やらないわけにはいかないの。もしあなたの大事な人に危機が迫っていて、助けられるのがあなただけだとしたら。助けに行くでしょう?」
「それは」
「私は王女として育ってきた。女王にならずとも、国と国民のために生きるのだと思ってきたわ。王女の生まれは選べないけど、生き方は自分で決めたの。ここで行くのをやめたら、自分で自分を否定することになる。私が私でなくなってしまうのよ」
「…………」
止められないとレオンは思った。
彼の復讐の呪いなどとは違う、彼女は自分の意思で選び取っている。その選択は誰にも阻めない。
クロエはレオンの瞳を覗き込むようにして、続けた。心の深いところまで見透かすような目だった。
「だからレオン、あなたも決めて。自分の心に問いかけて。セレスティアに復讐したいのなら、今が一番の機会かもしれない。国が崩壊してしまえば、その望みは叶うから。だから私はあなたに決めてほしい。もしも来てくれなくとも、何とかするから。あなたの意思で選んでほしい」
「……俺は」
左胸の紋様が熱を帯びる。セレスティアに復讐を――亡き両親の声が響いている。
故郷を焼く炎、同胞たちの悲鳴。かつては夜毎見ていた夢の残滓がまとわりついて、彼の心を締め上げる。
(どうするべきなのか)
長らく心を縛っていた復讐の呪いは、今でも彼を蝕んでいる。セレスティア王国が憎い。国王を殺してやりたい。
国が滅びるならば、願ったりだ。亡国の苦しみを彼らも味わえばいい。苦痛と悲嘆のうちに死ねばいい。彼の故国、彼の両親がそうしたように。
だが同時に、移民としてやって来たセレスティア人との時間を彼は覚えている。いさかいがあって、それでも乗り越えた。遊牧民やミルカーシュ人をも巻き込んで、北の村はみんなで力を合わせて大きくなった。
一人ひとりを見れば、セレスティア人だから悪人というわけではなく、エレウシス人が必ず善人でもない。彼らはただの人間。無力と思えば強かで、愚かに見えて気高い時もある。
自らの手で災害を起こした魔道帝国は、許しがたいと思う。けれどヘルフリートは尽力していた。それを疑うつもりはない。
そして、彼女。絶望の中にあって光を失わない、セレスティアの王女。
(どうしたいのか)
指にクロエの温もりを感じて、彼は決意した。本当は考えるまでもなく、最初から決まっていたのかもしれない。
「あなたと共に行くよ。クロエ」
だから彼は言った。自らの心に問いかけて、返ってきた答えに従って。一番大事なものを選び取った。
「俺の力は、全てあなたのために使うと誓おう。守り人の血も魔力も剣も、全てあなたに捧げる。そう決めた」
「レオン……。ありがとう」
クロエは胸の前で彼の手を握る。その手が震えていた。彼女も不安だったのだと、レオンはようやく気づいた。
見上げる若草の瞳は、今度こそ迷いも恐れもない。
決意と、大切な人と共に歩いていける喜びで満ちている。
「さあ、行くわよ。ちゃっちゃと風の精霊を解放して、世界樹の種を芽吹かせなければ!」
クロエが振り返ると、ヘルフリートは何故か地面に突っ伏していた。
「ヘルフリート? 何やってるの?」
「レオンとそういう仲だったなんて、ひどくない? 僕、これでも失恋して間もないんだけど。なんで見せつけられてるの?」
「そういう仲だなんて……!」
クロエは慌ててレオンの手を離す。レオンは彼女の体を後ろから抱きすくめた。
「そういうわけだ、皇孫殿下。婚約の話が流れて残念だったな」
「ちょっとレオン、離しなさいよ!」
暗い中でも分かるほどクロエの頬が赤い。そこだけ切り取れば年相応の少女のようだ。
「少しくらいいいだろう。もう騎士はやめだ。あなたに全てを捧げる以上、多少の見返りを望む」
「うわーっ! きみたち、本気でやめろよ!! 見たくないーっ」
夜の森はにわかに賑やかになって、若者たちの声が響く。
(彼女であれば、きっとやり遂げる)
絶望的な未来の中の小さな明るさに、レオンはそっと微笑んでいた。
読んでくださってありがとうございます。
これにて6章は終わりです。次は最終章、ようやく終わります。
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