95:意外な再会
(少しだけ、父上がどういう人か分かった気がする)
身を守るために戦争という罪を犯して、恐ろしい光景をいつまでも悔いている人。思い詰めるあまり勘違いを犯してしまうような――ごく普通の人だ。
精霊についての考えは、結局聞けなかった。だが彼の中の救世教への不信感を思えば、答えは聞いたも同然だろう。クロエにとって成果である。
背後から小さな嗚咽が聞こえる。クロエは聞こえなかったふりをして、会議の間を出て行った。
何度かの会議が終わり、一通りの情報収集も済んだ。
最大の問題は食料確保になる。となれば、クロエは領地に戻ってしっかりと農地を監督する必要があった。
大規模な開拓団の編成も提案されたが、開墾地や住宅地の問題がある。北の土地は豊かになったとはいえ、まだまだ荒れ地だった頃の不毛の土地が多く残っている。クロエが準備していた耕作予定地は、そこまで大人数を受け入れられるものではない。段階的な受け入れが精一杯だった。
そして、受け入れる以上は領主が指揮を取らなければならない。
「一度、北の領地に戻るわ。何かあったら早馬で手紙を」
「はい、姉さま」
サルトと派閥の貴族を集めて、方針を打ち合わせる。
国の備蓄分配は国王が中心となって決定しており、今のところは公正である。
王太子派は力を失っていて、目立った動きはない。
救世教は各国への援助の余力をなくし、やはり大きな動きはなかった。大司教ヴェルグラードが各地を巡り、飢えかけた民に励ましを与えているくらいか。
それぞれが役目を果たしながら、情報共有することとなった。
そうして王都を出発して数日のこと。夜、宿泊していた宿屋の扉が乱暴に叩かれた。
「ここにクロエ王女が滞在していると聞いた!」
切羽詰まった男性の声は、聞き覚えがある。レオンを伴って宿屋の入口に行くと、一人の青年が立っていた。
「ヘルフリート!?」
それは魔道帝国で別れたはずのヘルフリートだった。いつもは整えられた赤毛が乱れて、服装も汚れが目立つ。随伴者はほんの数人で、皇帝の孫にふさわしくない出で立ちだった。
彼はクロエを見つけると、駆け寄って膝をついた。
「良かった、クロエ、ここで出会えて……」
「一体どうしたの。中に入って」
レオンが手を貸して抱え起こす。ヘルフリートは護衛たちを入口で待機させて、部屋の中に入った。
「大変なことが起きた」
開口一番、彼は言う。
「ミルカーシュとの国境近くの、あの麦畑。きみも見たあの場所だ。あそこの魔道回路が暴発事故を起こした」
「…………!」
クロエとレオンは目を見開いた。
「正確には事故は以前から起きていた。だが管理者が……叔父上が報告を誤魔化していたんだ。小手先の修理を繰り返して様子見をしていたが、最悪の結果になった。温室で起きたあの枯死の事故が非常に大規模に、あの土地だけでなくミルカーシュをも巻き込んで再現された」
「まさかこの数年のミルカーシュの飢饉は、あの装置が原因?」
「叔父上は否定しているが、可能性は高いと思う。――クロエ、こんなことをきみに頼むのは筋違いだと分かっている。だが頼む、助けてくれ! 帝国は総力を上げて対策を調べているが、何も成果がないんだ。温室の事故を止められたのは、きみだけだった。このままでは帝国とミルカーシュだけじゃない、聖都市もセレスティアも、この大陸全土を巻き込んで大地の死が始まってしまう……!」
ヘルフリートは跪いた。下を向いたままはらはらと涙をこぼして、床に小さな染みを作る。事故を止められなかったことに対する責任感が見て取れた。
「……私に助けを求めに行くと、皇帝陛下はご存知なの?」
ヘルフリートを見下ろしながら、クロエは冷静に問うた。
「知っている。あの事故の被害を食い止めるためならば、帝国は全力で助力する。その約束を取付済みだ。少しでも早く伝えなければと思って、僕がまず伝令に走った。ここできみに出会えたのは、幸運だった」
「大地の精霊の話を?」
「すまない、皇帝陛下にだけ話した。きみに被害を止めるだけの力があると、説得しなければならなかったから。他言無用の約束を交わしている」
「…………」
クロエは答えず、窓のカーテンを開けて東を見た。夜の暗闇は大地を覆い隠して、見えるのは星明かりばかり。
「殿下。如何しますか」
レオンが問いかける。その声には怒りが滲んでいた。警告を無視して危険な研究を続け、ついには重大な事故を起こした帝国と魔道科学。利用された精霊たち。
目の前のヘルフリートが悪いわけではないと分かっていても、抑えられるものではない。だが見捨てれば、命を落とすのは罪のない民たちだ。
「そこまで大規模な破壊であれば、私に止められるかどうか分からない」
クロエは振り向いて、静かに言う。
「いいえ、元々私に力はないの。できるのは大地の精霊と話すことだけ。愛し子と呼んでくれるあの存在が、どこまで力を貸してくれるのか……」
「…………」
ヘルフリートは下を向いたまま唇を噛んだ。
「だから、聞いてみましょう。大地の精霊に問いかけて、助けてもらえるかどうか。人間の愚かな行いを、どこまで許してもらえるかどうか」
ヘルフリートが視線を上げた。
「さ、行くわよ。大地の精霊は土の魔力が強い場所によく出てくる。近くに森があったわね。そこで呼びかけてみましょう」




