93:王都での活動
「父上!」
王太子が声を上げた。青ざめて必死の表情だった。
「追放と王位継承権の剥奪は、父上ご自身が行われたこと。簡単に翻しては国王の権威にかかわります!」
「黙れ。お前の領地はことのほか酷い不作だったではないか。クロエの援助でどれだけの民が餓死を免れたか、知らぬわけではあるまい」
「豊作、不作は天の気まぐれ。人の身で操ることはできません! 余裕のあるクロエが援助するのは当然で、功績ではありません!」
王太子が食い下がるものの、王は深いため息をついた。
クロエはここぞとばかりに口を出す。
「天候や作物の病は、確かに操れるものではありません。しかし、私の領地では豊作を目指して種々の方策を行いました。緑肥、灌漑工事、魔牛と魔羊を利用した三圃制の導入。限られた人手で最大限の努力をしたつもりです。兄上はどのような施策を?」
「う……うるさい! 農業政策は従来のもので十分だ。平民どもは怠け者ばかり。指示しても怠けるばかりで働かないのだ」
クロエはやれやれと肩をすくめてみせた。
「指示の方法、方向性に問題があるのでは? 私の領民は勤勉ですわ。きちんと話し合ってお互いを理解すれば、彼らは応えてくれます」
「平民を理解など、ふざけたことを!」
「もうよい」
国王が疲れた声で言った。
「クロエの王位継承権復帰は、既に決定した。王子よ、お前が王太子の身分を失いたくなければ、国の役に立ってみせろ」
「くっ……」
「ありがとうございます。身に余る光栄でございます」
クロエは深々と礼をする。けれど継承権の復帰は、兄とクロエの継承争いが再開されたということ。相手を追い落とさなければ自分が破滅する。ここまで仲がこじれている以上、兄が王になればクロエに対して容赦しないだろう。
(さて。宣戦布告のタイミング、先手を取られてしまったわ)
クロエはちらりと横を見る。大司教ヴェルグラードのフードの奥の視線と目が合った……気がした。
(大いに争ってみせろって? ふん、いいじゃない。受けて立ってやる!)
「用件は以上だ。クロエよ、王位継承権を再び得た以上は、国政に参加する義務がある。今後は会議の招集に応じるように」
「はい」
望むところだ、とクロエは思った。正式な発言権があれば力を発揮できる。正規ルートで情報にアクセスもできる。
クロエは正面から兄を見た。憎々しげな視線が返ってくる。
こうしてクロエは、名実ともに『追放された王女』ではなくなった。
クロエはそれからしばらくを情報収集に努めた。
十五歳の成人と同時に国政から締め出されていたのだ。現状を把握する必要があった。
判明したのは、各地の麦の出来高が思った以上に悪いということ。今年も不作が続けば、ミルカーシュのような飢饉になりかねない。
もはや聖都市もミルカーシュ王国に援助をする余裕はなく、麦の奪い合いの様相を呈している。クロエの村が例外的だったのだ。
(北の土地の豊かさは、間違いなく精霊たちが関与している。けれど公にはできない)
セレスティアでは精霊は邪悪視されている上に、クロエの領地だけが恩恵にあずかっているとなれば、羨望と嫉妬に晒されるだろう。兄から糾弾を受ける糸口になる。
どこまで情報を公開して、どこから隠すか。よく考えなければならない。
そうして臨んだ最初の会議では、意見が紛糾していた。誰もが食料不足に陥っていて、国庫やクロエの備蓄を回せと言ってくる。
中立派や王太子派の貴族たちが声を上げた。
「だいたい、どうしてクロエ殿下の領地だけが豊作なのですか。あの地はつい最近まで不毛の荒れ地だったのに」
「何か理由が?」
「水源が見つかったことによる川の復活と、農業施策の成功と言っているでしょう」
クロエは言うが、貴族たちは納得しない。
「王女殿下は、魔道帝国の皇孫殿下と親しい間柄でしたな。まさか、かの国から特別の技術提供を受けているとか?」
「あの魔晶核は素晴らしい技術だ。帝国では土壌改良に使っているというではないか」
クロエの派閥の貴族たちは目を見合わせた。クロエの指示で魔晶核を使わないように言われているからだ。
「ヘルフリート皇孫殿下とは、確かに学友です」
クロエは言う。
「しかし、セレスティア王国として受けた以上の技術提供はありません。先日私は、彼の招待で魔道帝国の帝都まで商談に赴きました。その際に触れた魔道科学の技術は非常に高いレベルでしたが、それゆえに我が国では使いこなせないと感じたのです。原理の分からないものを与えられるままに使えば、重大な事故が起こるかもしれない。保留を勧めています」
温室の枯死事故は軽々しく口に出せない。他国の機密であるし、ヘルフリートに秘密を守ってもらっているためもある。クロエだけが約束を破るわけにはいかない。
だが貴族たちは疑いの目を解かなかった。
一方でクロエの派閥の結束は固い。勢力を盛り返したクロエについていけば、将来が明るいと考えている。それだけ王太子の権威が失墜しているのだ。
クロエのそばにいれば、麦の援助を受けられるとの目論見もある。三圃制は新しい農法で、従来の二圃制を進化発展させたもの。ノウハウを教わり、不作を脱したいと考える者は多かった。
「私の領地の豊作は、第一に水源が見つかった幸運。第二に村人たちの努力。次に三圃制の成功です。大きな川に水が満ちたことで、土地に魔力が戻りました。自然の力です。天佑と人の営みが上手く噛み合った結果ですわ」
クロエはできるだけ『自然の力』を強調して、豊作の説明をして回った。精霊の名は出せないが、北の土地が豊かな魔力を内包していると説く。




