92:王都へ
村に合議制を少しずつ取り入れる傍ら、今年の冬も村は忙しい。各種の工事や手仕事が行われている。
そんな折、王都の国王から書簡が届いた。
「呼び出しだわ」
天幕で書簡を読むクロエに、レオンが問いかけた。
「何か問題が起きたか?」
今は二人きりなので、護衛騎士の仮面は取り払われている。クロエはどちらかというと、素の顔の彼が好きだった。
「そうじゃないみたい。秋の食糧援助の礼をしたいんですって」
「ふむ……? もしや、あなたの王位継承権復帰を告げるつもりが?」
「そうかもね。サルトからの手紙じゃ、兄上の領地も相当な不作だったみたいなの。この村の援助を回したと書いてあった」
クロエは一つ頷いて、書簡を封筒に仕舞った。
「行きましょう。そろそろ話し合いが必要だと思っていた。予定より少し早いけれど、恩を売ったタイミングは悪くないわ」
「では、付き添おう」
「ええ、お願いね。護衛騎士さん」
クロエが笑うとレオンも微笑んだ。
村長とロイド、移民のリーダーを天幕に呼んで、王都行きを告げる。
「留守にしてばかりでごめんなさいね。けど、今回は国内だから。王都への道のりは街道整備のお陰で短縮できたし、往復で二ヶ月程度かしら」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ、クロエ様」
ロイドが丁寧に頭を下げる。村長とリーダーも口々に了承の旨を言った。合議制は少しずつ根付いて、村人たちは自分たちで物事を解決する方法を覚えつつある。以前よりも心配は少ない。
「念のため、食料は多めに持っていきましょう」
そうしてクロエは再び村を出発した。
北の土地と王都は以前は一ヶ月の距離だったが、今では二十日程度まで短縮されている。もう何度も通った道をクロエは南下した。
通り過ぎる町の様子を見ると、やはり活気がない。主食である麦が高騰し、人々の暮らしは苦しくなっている。餓死者が出ていないのが不幸中の幸いだった。
「クロエ殿下。殿下の領地からの援助で助かりました」
道すがら、各地の領主や民たちがそんなことを言ってくる。状況はかなり深刻で、もしクロエの土地が豊作でなければどうなっていたことか。
援助があっても食いつなぐのがやっと。しかも不作は終わりが見えない。誰もが表情を暗くしていた。
「少ないけど、麦以外の作物を持ってきているの。みなで分けてちょうだい」
クロエは馬車に積んでおいたカボチャや玉ねぎ、チーズなどの食べ物を分け与えた。移動用の馬車にそこまで多くの荷物は積めない。その場しのぎにしかならないが、それでも民衆たちは感謝していた。それだけ追い詰められていたのだ。
痩せて暗い表情の民衆たちに、つかの間の喜色が戻る。
その様子を見て、クロエは首を振った。
「思ったより深刻ね……。残りの食物を配る手配を」
「はい」
同行していた村人に指示をして、追加で食料を手配する。既に麦を供出した後なので、クロエの村も余裕は少なくなっている。
それでもクロエも村人も援助をためらわなかった。
エレウシス人の村人はもちろん、セレスティア人の移民も元は貧しい農民。飢えの苦しさはよく知っている。
できる限りのことをしようと、クロエとレオン、村人たちで決めた。
王都に到着してみれば、大通りから人が消えていた。いつもは多くの店が軒を連ねているのに、半ばほども戸が閉められている。たまにすれ違う人々は、皆不安そうな顔をしていた。
閑散とした通りを進み、入城する。城門では弟のサルトが待っていてくれた。
「姉さま、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「サルトも元気そうで良かったわ」
「父上がお呼びです。身支度が済んだら、すぐに玉座の間へ来るようにと」
クロエは頷いて、かつて使っていた自室へ行った。追放と同時に閉鎖されていた部屋だが、最近はまた手入れがされている。
去年、一昨年と王都で活動する機会があった。正装のドレスを何着か用意してある。クロエはそのうちの一着を選んで着替えた。
(村では動きやすい服ばかり着ているけれど。こういうドレスを着ると気合が入るわ)
ドレスは彼女にとって政治上の戦闘服だ。身の引き締まる思いを感じながら、部屋を出た。
玉座の間で父王と相対するのは、追放を言い渡されたあの時以来になる。壇上の玉座に座る父は思ったよりも老け込んで見えた。傍らには兄である王太子が立っている。サルトは臣下たちと一緒に脇に控えている。大司教ヴェルグラードの姿も見えた。
「クロエよ。久しいな」
王が口を開いた。まだそんな年ではないのに、しわがれてかすれた声だった。一連の不作が重圧としてのしかかり、王の心身を蝕んでいる。
「ご無沙汰しております」
それだけ答えて礼の姿勢を取る。
「お前の領地から供出された麦のおかげで、大勢の民が飢えを免れた。見事に王族の責務を果たしたと言えよう」
「恐縮にございます。わずかなりとも国の力になれたと思えば、苦労が報われる思いです」
(苦労のスタートは父上が宣言した追放なんだけどね!)
と、心の声は出さないでおく。
「領地運営の成功と、一昨年のゴルト商会の裁判。お前のスキルは無能だったが、お前自身は能力を示した。……ゆえに、本日を以てクロエ・ケレス・セレスティア第一王女の王位継承権復活を宣言する」
臣下たちからざわめきが起きたが、その声は大きくない。ある程度予想されていたのだ。




