09:小さな原っぱ
クロエが生やした草は徐々に広がって、今ではそれなりの原っぱになっていた。
草の種類もヒシメバだけでなく、他の草が増えつつある。ただしどれもが雑草で、薬草や作物と呼べるようなものは一つもない。食べられる草、小さな実を結ぶ草はあるが、とても村人の腹を満たす量ではなかった。
それでも村人たちは喜んでいた。赤茶けた荒れ地に広がる緑の原っぱは目にも優しく、絶望してばかりだった彼らの心を明るく照らしてくれた。
ただ、全てが順調なわけではない。クロエが生やした草は一定の広がりを見せた後、頭打ちになってしまった。
村の周囲は緑地になったものの、荒れ地全体から見ればごくわずかな範囲でしかない。乾いてひび割れた大地、養分の乏しい土。加えて魔力すらひどく薄いこの土地では、草生えるスキルの魔力が届く範囲に限りがあった。無理に広げようとすると、今までの草地の魔力が薄まって枯れそうになってしまうのだ。
魔力からの生命創造の可能性も、未だ可能性に過ぎない。魔力から草が生まれたのであれば、その草が根づけばどうなるのか? 新しく種ができた時、どうなるのか? 【草生える】などというふざけたスキルにどれほどの力があるのか、クロエ自身も測りかねていた。
「どうしたものかしらね……」
今日も今日とて草を生やした後、裸足のままでクロエは腕を組んだ。
「こんなところでつまづいていては、村の発展なんか夢のまた夢だわ」
「そーお? あたし、草がいっぱい生えてうれしいよ、王女様」
原っぱに寝転んでいたペリテが身を起こした。クロエは苦笑する。
「王女様じゃなくて、名前で呼びなさいと言ったでしょ。私はもう、お城に閉じこもってばかりのお姫様じゃないんだから」
「あ、そうだった! クロエ様!」
ペリテはにっこり笑うと、手に持っていたクローバーの花冠を差し出した。
「クロエ様、レオン様、見て! 上手に編めたよ」
「ふむ。上達したな」
レオンは花冠を受け取って薄く微笑んだ。
花冠の編み方をペリテら子どもたちに教えたのは、レオンである。クローバーはいつの間にか原っぱに生えていて、最近はなかなかの勢いで増えていた。この荒れ地に適性があったのだろう。
クロエは呆れた顔になる。
「騎士とは無関係なことばかり得意なのね、レオン」
「子どもの頃の手遊びで覚えましてね」
「子爵家の出身だったわよね。仮にも貴族なのに、雑草で遊ぶわけ?」
「家の風習はそれぞれでしょう」
「まあ、そうだけど」
言い合う二人の間を荒れ地の風が吹いていく。春の訪れで冷たさこそ和らいだものの、人を拒絶するような乾いた風だった。
「せめて水が豊富にあれば……」
クロエの小さな呟きは、風に吹き散らされて誰にも届かなかった。
村の食事事情は、食べられる草のおかげでほんの少しだけマシになっていた。
クロエが王都から持ち込んだ物資は、もうほとんど残っていない。村は貧しくて備蓄が少なく、冬を乗り切った今は倉庫の中身はごくわずか。作物が実る夏や秋の季節まで、どうにか食いつなぐ必要があった。
雑草の中では、小さな豆のような実をつける草が人気だ。豆集めは最近の子どもたちの主な仕事になっている。他にも植物図鑑で『食用可』の記載がある草を調べては、刻んで麦粥に足している。
村では食料と薪の節約のため、複数の家族が合同で煮炊きをしていた。クロエも呼ばれるようになったので、主に村長宅へ行っていた。
「草や小さい豆とはいえ、冬を越したこの時期に食料が増えるのはありがたい。おかげでいつもより体力に余裕がある」
粗末な麦粥の鍋を囲んで、村長がしみじみと言った。村長の妻が続ける。
「他の場所なら、春になれば山菜やらが採れるのでしょうが。ここはこの有り様ですから」
「家畜はいないの?」
クロエが聞くと、村長は首を振った。
「ニワトリが少しいるだけで、牛や豚はいませんや。エサを集めるだけで一苦労でね。あぁでも、今なら草地があるのか」
「無理よ、あなた。牛や豚を買うだけのお金がないわ」
「そうだよなあ……」
村にはたまに行商人がやって来て、最低限の生活用品を取引している。ただし村は貧しいので、払えるお金はほとんどない。物々交換にしてもありふれた作物しか対価に出せないため、商人にとって旨味のない場所だ。それでもやって来る行商人は、どうやら儲けは半ば諦めて村に付き合ってくれているようだった。
(商人なんてがめついだけだと思ってたけど。見どころがある人もいるのね)
今度村に来たら会って話をしてみよう、とクロエは思った。
それからも雑談をしているうちに、畑の話になった。
「種まきは終わりました。あとは雨が降ってくれれば、水やりが楽になるんですが」
乾燥した荒れ地だが、雨が全く降らないわけではない。けれどたまの雨はすぐに土を流れていって、大地を潤すには足りない状態だった。
「雨が降らないとどうするの?」
「地道に井戸から汲み上げて、水やりしますよ」
「あの枯れかけた井戸で?」
「他にありませんから」
「川や湖はないの? 貯水池でもいいわ」
「ありませんねぇ」
村長夫妻はため息をついた。
「枯れた川の跡なら、村の北側にありますが。相当昔に枯れ果てたようで、水が流れているのを見た奴は誰もいません」
「川の跡……」
クロエは呟いた。
「たとえ今は枯れていても、昔は川が流れていたのよね。どこかに水脈が残っている可能性はないかしら」
「さあ、そう言われましても。昔、村の若者が川跡を遡ってみたが、どこまで行っても水はなかったそうですよ」
「そう……」
たとえ地下水脈があったとしても、井戸を掘る資金も人員も持たないこの村では、ないも同然の話だ。
何も良い考えは浮かばず、クロエは黙って薄い麦粥を口に運んだ。
新章です。
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