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【受賞・書籍化】無能だと追放された王女、謎スキル【草生える】で緑の王国を作ります  作者: 灰猫さんきち
第6章

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89:枯れた麦


 翌日、朝のうちに宿泊所を出たクロエは、一度馬車を止めて麦畑の土に触れてみた。

 ヘルフリートが問いかける。


「どう? 何か感じる?」


「温室と似ているわ。魔力は十分だけど、大地の精霊と隔たりを感じる」


「あの事故がまた起こり得るということですか?」


 眉を寄せるレオンに、クロエは苦笑してみせた。


「それはさすがに短絡的でしょう。魔力の逆流は感じられないし、ヘルフリートが事故防止に動いてくれているんだもの」


 そうしてさらに馬車を進めると、道の先に検閲所ができている。


「何事だ?」


 ヘルフリートが馬車を降りて聞いた。


「この先、農薬の散布が行われておりまして。馬車の迂回をお願いしております」


 衛兵の格好をした兵士が丁寧に頭を下げた。セレスティアではやっていないが、帝国は魔道具を使って農薬の散布を実験的に行っているとのことだった。


「遠回りになるが、散布が終わるまで待つのは駄目なのか?」


「今日いっぱいかかる予定でして」


 ヘルフリートはため息をついた。


「仕方ない。クロエ、ちょっと時間はかかるけど迂回しよう。次の宿場町に到着するのが夜になってしまうね」


 クロエは頷きかけて、ふと道の先を見た。ぞわぞわと胸騒ぎがする。


(何かがおかしい)


 見えるのは、どこまでも続くかのような麦畑。初夏の青空の下、青々と茂っている。

 クロエは立ち上がって馬車を降りた。


「クロエ?」


「おーっほほほほ! 草ですわ!」


「クロエ????」


 突然高笑いを始めた彼女に、ヘルフリートが戸惑っている。

 草はクロエの足元からぴょこぴょこと生えて、みるみるうちに道の先の方まで茂っていき――。


 枯れた。







 青々と茂る麦畑の向こう側、陰になった部分。何人もの人が息を潜めながら作業をしている。


「どうだ?」


「こっちも駄目だ」


「またか。病気ではないのに、どうして枯死が相次ぐんだ」


 それらの声をかすかに聞いて、クロエは足を踏み出した。


「おやめください!」


 衛兵が止めてくるが、レオンが押し留める。ヘルフリートが身分を明かして黙らせた。

 まだ青い麦をかき分けて進んだ先は、一面の枯れ草。麦畑だったものの成れの果てが、無惨な姿を晒している。

 枯れた麦を検分している人の何人かに見覚えがある。研究施設の研究員だ。


「ヘルフリート殿下……。何故ここへ」


 そのうちの一人が青ざめた顔で立ち上がった。


「質問はこちらがしたい。この状態はどうした? いつから起こっている?」


 枯れ果てた畑の周囲を見やれば、青く茂った畑の中に点々と枯れ草が交じっている。まるで緑と茶色のまだら模様のようだ。


「ただの軽い不具合です。麦は病気にかかりやすい作物ですから、枯れることもあるでしょう」


「衛兵は農薬散布と言っていた。何故嘘をついた?」


「殿下に余計なご心配をかけてはいけないと思いまして」


 ヘルフリートは無言で枯れた麦を拾い上げた。


「クロエ。どうだい?」


「……魔力が消えている。温室と同じね。ただ、逆流が起きているかどうかまでは分からない」


 クロエの言葉に、彼はさっと顔を強張らせた。


「すぐに調査する! クロエ、すまない。一度研究施設まで戻ろう」


「それには及びません」


 研究員の一人がヘルフリートの前に立った。


「皇孫殿下といえど、勝手は許されません」


「僕はお祖父様から事故調査の許可を得ている。文句があるなら皇帝陛下に言え」


「それは帝都の温室についての許可でしょう。ここの施設は別のお方の管理下にあります」


 研究員が皇族の名前を挙げると、ヘルフリートは顔を歪めた。


「叔父上か……。最近帝都で姿を見ないと思ったら、こんなところで活動していたのか」


 ヘルフリートによると、彼の叔父は皇帝の子の一人で高名な研究者。元老院の支持も厚く、ヘルフリートの権限では手出しできないという。


「叔父上に会いたい。施設にいるのか?」


「今はご不在です」


 そっけない答えが返ってくる。


「では書簡をしたためる。少し待て」


 ヘルフリートは馬車に戻ってペンを取った。パピルス紙――帝国では羊皮紙よりもパピルス紙が流通している――に書きつけて丸め、封をして研究員に渡す。


「これを渡してくれ」


「承りました」


「……クロエ。これ以上はできることがない。先に進もう」


「ええ」


 麦の枯死は気にかかる。だがヘルフリートが口出しできない相手ならば、クロエには何もできない。

 振り返った先は枯れた麦畑。行く手は緑。そして緑に交じる枯れ草が生命と死の対比を際立たせていた。







 ヘルフリートとは、魔道帝国とミルカーシュ王国の国境で別れた。


「最後まで不安にさせてすまない。これ以上の間違いが起こらないよう、もっと頑張るよ」


「ええ、頼んだわ。期待してる」


 最後に握手を交わす。クロエの手が離れた時、一瞬だけ彼は名残惜しそうにしたが、すぐに飲み込んだ。


「じゃあ、元気で」


「きみこそ。レオン、彼女を頼んだぞ」


「言われずとも、守るのが私の使命です」


 クロエとレオンは馬車に乗り込み、西へと出発した。

 馬車が見えなくなるまで、見えなくなってもなお長い間、ヘルフリートはクロエの去った方角を眺めていた。







 セレスティア王都を経由した際、クロエは弟王子のサルトや派閥の貴族たちを王城の私室に呼び出して、帝国訪問を報告した。とはいえ、温室の事故や麦畑の枯死は公にできない。他国の機密情報に当たる。


「魔道科学は素晴らしい技術だった。ただ、まだ不安定なところもある。特に魔晶核の取り扱いは注意しなさい。当面は使わないのを勧めるわ」


 その程度の言い方が関の山だ。貴族たちは不思議そうな顔をしていたが、クロエがそう言うのであれば――と、新技術の慎重な取り扱いを約束してくれた。

 貴族たちが退出した後、サルトが姉に問いかける。


「姉さま。魔道帝国の皇帝はどんなお方でしたか?」


「穏やかで、あまり考えの読めない人だったわ。とても頭の良い人で、誰よりも国益を重んじていた」


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