86:皇帝
皇帝が着席を促し、ささやかな茶会が始まる。
話題はムーンローズやクロエの領地の様子の他、帝国の当たり障りのないニュースなどが続く。交易についてはヘルフリートの権限で輸出入が決まっているため、雑談程度のものだった。
「ほう。セレスティアでは去年も豊作だったのか。我が国は地域によってばらつきがあってね。穀倉地帯に当たる地域が不作に襲われると、途端に小麦の調整に苦労する。魔道科学の農業分野が、もっと精度を上げられるよう研究中だ」
「恐れ多いことですわ。私の領地は長年、荒れ地でした。水脈が見つかって息を吹き返し、領民たちが一丸となって畑作に勤しみました。彼らのおかげです」
「はは、クロエ殿は慎み深い。……ヘルフリートの報告書によると、貴殿の領地は魔力的に特異な場所のようだ。記録上は何百年、あるいはそれ以上、荒れ地は不毛の土地だった。それがたったの一年でこれほどまでに豊かになるとは」
皇帝は静かに茶に口をつける。
「ところで、貴殿は四大精霊の存在を信じるかね?」
「え」
不意打ちを受けてクロエは固まった。隣ではヘルフリートがはらはらしている。クロエは必死に頭を動かして喋った。
「我がセレスティアは救世教の信徒が多い国。救世教では精霊は悪魔そのものとされています。王女である私が信じるわけにはいきません」
「ふむ、模範的な回答だ。では私の意見として聞いてくれ。荒れ地に点在する古代王国の遺跡には、世界樹と精霊の森、四大精霊に関する記述が多く見受けられる。世界樹は四大精霊によって保護され、精霊の森を形作る。精霊の森では数多の精霊が暮らし、魔力で満たされている。ここまでは研究によって間違いないとされている。そこで私は思うのだよ。森であったはずのかの土地は、何故荒れ地と成り果てたのか。それは精霊の力を失ったからではないのか。そして近年の急激な復興は、その力を取り戻したからではないのか」
「興味深いご意見ですわ」
クロエはゆったりと微笑んだ。不意打ちでなければ心は武装できる。
「セレスティアの王女として、精霊を表立って肯定はできません。ですがヘルフリート様から、精霊とは魔力を持つ生き物だと学びました。であれば豊かな水も土も、精霊のおかげで成り立っているのかもしれませんね」
皇帝の言葉にやんわりと同意しながらも、実質的に意味のあることは言っていない。
「水と土、か。四大精霊の水と大地、彼らは特に重要な存在だ。火と風もなくてはならないものだが、何よりも水と土は麦の実りに直結する」
「そうですわね」
「ゆえに魔道帝国としては、その力が欲しい。荒れ地では最初に水が流れて、大地が豊かになった。荒れ果てた土地をあれほど繁栄させる力だ。クロエ殿。是非とも協力してくれないだろうか」
皇帝の言葉にクロエは笑みを崩さない。
「協力と言われましても。私はただ、領民たちと必死に日々を生きてきただけです。ようやく少し豊かになったけれど、魔道帝国の富にかなうはずもありません。何よりも我が国と貴国では距離がある。ヘルフリート様は来てくださいましたが、例外的な出来事です」
(直接的に言えば、帝国に口出しされるいわれはないってことよ!)
クロエの心の声が聞こえたわけではないだろうが、皇帝は穏やかな笑みを浮かべた。捉えどころのない表情だった。
「そう、ヘルフリートだ。うちの孫は貴殿にご執心らしい。年齢と身分が釣り合う上に、孫との婚姻はクロエ殿に大きな利益をもたらすだろう。彼の思慕の念に応えてやってくれないか」
「申し訳ございませんが……」
ここへ来てクロエは心を決めた。いくら利益が大きくとも、帝国の干渉を受けるのであれば全てが帳消しになる。
魔道帝国は救世教と違った意味で精霊を狙っている。新たな資源として、あればあるほど欲している。
四大精霊が人間にどうこうされるとは思えないが、使い捨ての道具のように精霊を『消費』する魔道科学のあり方に賛同はできない。
「お断りいたします」
きっぱりと言った。
皇帝は表情を変えず、また一口、茶を飲んだ。
魔道帝国は強大な国だが、他国に介入するには口実が要る。セレスティアはれっきとした独立国であり、属国などではないのだから。たとえ皇帝といえど、この状況で無理強いはできない。
「残念だ。だが、私は気に入ったよ。もしも我が国の力が必要になった時は、遠慮なく頼るといい」
頼る時は、相応の対価を用意した上で。当然だが対価はそれなりに高く付くだろう。
「ありがとうございます。そう言っていただけただけでも、参上したかいがあったというもの」
それでも皇帝と個人的なつながりができた。手紙にしろ訪問にしろ、今後は門前払いの可能性が下がる。
こっそりとヘルフリートを見れば、さすがに意気消沈していた。クロエは少しだけ罪悪感を持ちつつも、結論は変えない。
と、そのヘルフリートが目を上げた。まっすぐに祖父へと視線を向ける。
「お祖父様。この機会に話しておきたいことがございます」
「ほう、何かね」
「昨日の温室の事故はお聞き及びでしょうか。あれは魔道回路の暴走による事故で、魔力の逆流が起きました」
ちらりとクロエを見て頷いてみせる。秘密は守るから安心して――そんな声が聞こえた。
「温室の植物が一部、急速に枯死しました。生命とは魔力がなければ生きていけないもの。万が一にも同様の事故がもっと大規模に、地脈を巻き込む規模で起きれば大惨事になります。精霊は魔力の多い生き物ですが、生態を含めて不明点も多い。魔晶核の製造と魔道回路の開発は、今後もっと慎重に行うべきと提言いたします」
「温室の件は聞いた。ヘルフリート、お前がクロエ殿とともに居合わせたそうだな」
「はい」
「枯死が途中で止まった際には、クロエ殿が何かしたという報告もあるが」
さすがに皇帝は事態を把握していた。ヘルフリートが身を強張らせる。
「ええ、そうです」
今度はクロエが答えた。
「私のスキルは【草生える】。植物たちに干渉する力があります。急激な魔力の枯渇と逆流を感じて、植物たちを護るように障壁の魔法を使いました」
半分が本当で半分は嘘。相手を騙すためというよりも、必要な情報を伏せてクロエは話した。この点はヘルフリートと打ち合わせ済みだ。




