82:魔晶核の正体
声を抑えられず、声量が上がる。部屋にいた人々が彼女を見た。
けれどヘルフリートは冷静だった。むしろ戸惑ってすらいる。
「そうだよ、精霊は分類上は生命になる。だがそれの何に問題が? 僕らは牛や豚を加工してソーセージを作るし、木々を伐採して薪にするじゃないか。それと同じだよ」
クロエは言葉に詰まった。人が命を奪って生きるのは太古の昔から変わらない。その事実は動かないし、ましてやそれそのものが悪ではない。
「精霊はこの世の理を司るもの。浪費は許されない」
代わりに答えたのはレオンだった。ヘルフリートは肩をすくめる。
「護衛騎士くんは哲学者だね。この世の理? その考えはどこから来たのやら。精霊はこの大陸にあまねく栄える命の一種類だよ。牛馬と同じで有用だから、利用する。違いは新しい技術かどうかだけだ。そして、魔晶核はいずれこの世さえ変えるだけの力を秘めている」
「精霊は魔力の運び手。消費し尽くせば魔力の流れが滞り、土地と生き物に悪影響が出る」
「おぉ? 斬新な視点だ。きみは本当に変わった考え方をするね!」
ヘルフリートの口調に嫌味なところはなく、純粋に感銘を受けているようだ。
クロエがレオンを見上げると、彼は軽く顎を引く。今の一連の考えは、エレウシス王国のものだろう。
エレウシス王国は古代王国の末裔。古代王国は精霊の力で大いに繁栄した国だったという。エレウシス王家には既に失われた精霊に冠する知識と魔法の技が残っていた。
けれどエレウシス滅亡時、レオンは五歳。伝えられた知識はごくわずかで、ほとんどが歴史の闇に消えてしまった。
「でも精霊は、ほとんど無尽蔵に存在するよ。今までかなりの数を捕獲したが、しばらくすればまた数が増えている。人工的な繁殖こそ成功していないけれど、今のところ絶滅する気配はない」
「……本当に?」
「本当に! ちゃんと数を観測しているもの」
そう言われてしまえば、これ以上の反論はできなかった。
「それにしても、魔力の運び手かぁ。いい視点だ。魔晶核を使った回路の行き詰まりも、この観点から進めれば打開できるかも」
ヘルフリートは熱心に頷いてメモを取っている。その姿に悪意はなく、ただ学問への研究心だけが見て取れた。
だからこそ、クロエはそれ以上言うべき言葉を見つけられずに黙り込んでしまった。
それからも研究所の見学は行われた。魔晶核の正体に気づいてしまったクロエとレオンは、重苦しい気持ちを拭えない。
しかしヘルフリートは気にしていないようで、彼の自慢の研究成果を披露していた。町で見かけた自動車に組み込んである回路は見事な出来で、クロエが学生時代に学んだ魔道工学のはるか先を行く。ヘルフリートの得意分野は魔道回路の設計と開発だった。
「より効率よく、より高出力で小型のものを。理論と原材料を考え抜いて作っているよ」
「……素晴らしいわ」
精霊の件を抜きにすれば素直な称賛に値した。ヘルフリートはいくつかの研究室と工房を案内して、一つ一つ説明する。
「ここの工房では機織り機を開発中だ。今までの手織りよりも何倍、いや、何十倍ものスピードで布が作れる。そうなれば布が安価になって、冬の寒さで震える人がいなくなるよ」
「原料の糸はどうするの?」
「最近は羊毛より綿花が人気だね。綿花は畑で栽培できるから、計画的な増産が容易なんだ。我が国の温暖な気候と合っている」
また別の研究室では、いくつもの歯車を組み合わせた機構が作られていた。
「直線運動を回転運動に変える機構は、非常に汎用性が高い。古くは水車や風車がそうだったが、今では魔晶核のエネルギーで動くんだよ」
「石臼の粉挽きね」
「そうそう。それから自動車のエンジンとかね。自動車や、もっと大容量の運送を可能にする『鉄道』も構想中だ。これから先の何年、何十年で世界は変わっていくだろう」
ヘルフリートが示してみせた未来図は壮大で途方もない。クロエとレオンは夢の大きさに呑まれながら、技術の見学を続けていった。
軽い昼食を挟んで午後のことである。
研究機関の立ち並ぶ中庭では、ガラスの温室が作られていた。今の季節は春の後半。南に位置する帝都は既に初夏の様相だが、温室の中の植物はさらに南方のものが多かった。
「ここの温室は南の大陸のジャングルから採取した植物が多い。今は外も温かいけど、冬の間もしっかり温度調整されているよ」
ヘルフリートに続いて中に入ると、むっとする熱気が漂ってくる。湿った土と青臭い植物の匂いで満たされていた。
見たこともない大きな花や変わった葉っぱの植物が並んでいる。
「初めて見る植物がいっぱいあるわ」
「きみの草生えるスキルに役立つといいなと思って」
「ふふ。けど、私のスキルの草は気候が合わなければ芽生えても育ってくれないの。北の土地では無理そうね」
「そっかぁ」
ヘルフリートは残念そうに肩を落としたが、クロエは首を振った。
「いいえ、役に立つわ。同じ種類の系統で寒さに強いものもあるかもしれない。何よりこうして新しい草に触れられるのが嬉しいの」
「それは良かった!」
ぱっと顔を輝かせた彼にクロエはちょっと苦笑して、レオンは渋い表情である。
クロエは膝を屈めて土に触れてみる。水分を含んで湿った黒い土だった。
(これだけの草木を茂らせている土だから、栄養豊富なのだと思うけれど……。何だろう、違和感がある)
土からは魔力を感じる。けれどそれは、いつも感じている大地の精霊のものと少し違う気がした。
クロエが土から指を離し、隣の植物に目を移したところで、ズン! と地響きがした。
横合いから殴られたような、揺さぶるような揺れが襲ってくる。
何事かと周囲を見渡せば、温室の外から悲鳴が上がっている。ガラス越しの向こう側、すぐ近くの建物から火の手が見えた。炎は異常な勢いで燃え上がり、人々が必死に消火活動を始めている。




