08:生えた草広がる
意識を失ったクロエの体がぐらりと傾ぐ。だが、彼女が地面に倒れることはなかった。レオンが途中で抱きとめたのだ。鋼色の目に浮かぶ皮肉の色は薄くて、困惑のような光が滲んでいた。
「やれやれ、奇跡の結末としては何とも締まらんな。まあ、草生える時点で格好をつけても無駄か。……殿下は気を失っただけだよ。休ませれば元通りになるから、安心しなさい」
レオンは子どもたちに笑いかけた。少し不器用な笑みだった。
「ほんとに? 大丈夫?」
「ああ、本当にだ。みんなもこの人がしぶといのは知っているだろう? 明日になればまた、元気に笑っているさ。だから今日はもう、家に帰ろう」
「うん!」
全員が村に戻ったのを確かめて、彼も自宅に入る。藁のベッドに主を横たえ、薄い毛布をかけてやる。
「おやすみ、殿下。今日の小さな奇跡が何を導くのか、俺も興味が出てきたよ」
語りかけた相手は眠っている。レオンは苦笑を漏らすと、部屋を出ていった。
それからというもの、クロエと子どもたちは毎日輪になって笑い続けた。
当初、大人たちは怪しい宗教儀式でも見るかのようなドン引きした目で見ていた。だが『草を生やす』『根付かせる』効果があると分かってからは、むしろ協力してくれるようになった。子どもたちが熱心に説明したおかげでもある。
「おーっほほほほ!」
「わっはっは!」
「えっへへへ!」
みんなで手をつないで輪になって、ぐるりと回りながら笑い声を上げる。冷静に見ればイカレているとしか言いようがないものの、不思議なもので、無理にでも笑うと心が明るくなる。輪の中でどんどん育っていく雑草は、荒れ地の小さな希望のように見えた。
だが、雑草は所詮雑草である。特にヒシメバは食べられるわけでも、薬効があるわけでもない。
「もっと役に立つ草が生えればいいのだけど」
輪になって踊りながらクロエが言うと、村長が首を振った。
「そんなことはない。この雑草だって土にすき込めば緑肥になるからな」
「緑肥?」
「緑が茂っている状態で土にすき込んで肥料にするやり方だ。緑肥に向く植物は確かにあるが、この草でもないよりゃマシ。立派な進歩だよ」
「なるほどねぇ。ちなみに今まで、肥料は何を使っていたの?」
「人間のクソだが?」
「えっ」
クロエは思わず足を止めて、村長のいかつい顔を見た。
「冗談よね?」
「本気だ。この村じゃ家畜は少ないからな。一番の肥料は人間が出すんだよ」
「不潔じゃない!」
「そうでもねえよ。肥溜めを作って発酵させりゃあ、熱で寄生虫は死ぬ。安全で栄養たっぷりだ、がはは」
「信じられない……」
クロエはわなわなと震えて、横手にある畑を見つめた。
背後でレオンがため息をついている。村人が笑い声の輪に参加する中、彼だけは頑なに加わろうとしなかった。
「殿下は農学は学ばなかったのですか?」
「あーそうね、農学はちょっとかじった程度だったわ……。私、虫とか苦手だから。その代わり経済学と統治学は首席だったのよ!?」
「今は役に立ちませんね、どちらも」
「ぐっ」
言い返せずに歯噛みしていると、輪の向こう側でペリテが手を振った。
「王女様、笑って! 笑わないと草生えないよ!」
「ああもう、レオンのせいよ! おーっほほほほ!」
ヤケクソで笑えば、見慣れたヒシメバがぴょこんと芽吹いた。最初のヒシメバが根付いて以来、同じ草が生える可能性がどうしてか高くなっている。おかげでここはちょっとした草むらになっていた。
村長も笑った。
「おお、いいねえ。この調子でどんどん緑を増やそうぜ。そうそう、もう春だから姫さんのクソも肥溜めに入れておいてくれよ。草生やす姫のクソなら、さぞいい肥料になるだろう」
「嫌よ!!」
即答したクロエに、レオンがやれやれと肩をすくめる。
「殿下。村長の言う通り、ここでは人糞は貴重な資源なのです。ワガママを言っているようでは、王族の資格がないのでは?」
「ぐぐぐぐっ」
やはり言い返せず、クロエはまたもやヤケクソの高笑いを響かせることとなった。
村長の孫のペリテが子どもたちを引き連れて、大人は村長が説得したことで、村人たちは徐々にクロエに心を開いていった。
クロエはドレスを脱ぎ去って質素な服に着替え、毎日裸足で荒れ地に草を生やし続けている。明るい笑い声と、諦めない姿に心を打たれた村人は多い。
風になびく蜂蜜色の髪と、大地に根付く草を思わせる翠緑の瞳の乙女。いつしか村人たちは、クロエに希望を見出すようになっていた。
春の訪れと共に、クロエが生やした草は徐々に広がっていく。ヒシメバに混じってテミア――やはり乾燥した寒冷地に適性のある雑草――が生えるようになり、さらにじわじわと草の種類が増えていった。
今日も荒れ地の村では、クロエと人々の笑い声が響いている。
これで第1章は終わりです。お読みくださりありがとうございました。
次の章では新しい出会いと旅が待っている予定。
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