78:冬の間
「お悩みのご様子ですが……」
控えめな態度で口を開いたのは、ロイドだ。
「ヘルフリート殿下の言い分はごもっともであるかと。魔道帝国の後ろ盾が得られれば、これ以上心強いことはありません。かの国は荒れ地、もう荒れ地ではありませんが、この北の土地と国境を接する隣国でもある。政治上、商業上のどちらの面でも利益が大きいと愚考します」
「だが、それだけに付け入れられる可能性が高い」
レオンが反論した。
「この領地を足がかりに、帝国が侵略の手を伸ばしてこないとどうして言い切れる? 侵略とは何も戦争だけではない。援助と引き換えに領地の主導権を取られれば、今までの努力が水の泡に帰す」
「ヘルフリート殿下は騙し討ちをするお人柄ではないように見受けますが」
「人柄?」
レオンは鼻で笑った。
「彼に悪意はなくとも、皇帝と元老院にその意図があればいくらでも操られるだろうよ。ヘルフリート殿下は研究者としてこの土地が気に入ったご様子。であれば当然、帝国本国も価値を見出す。ロイド、お前は火種を呼び込めと言うのか?」
「レオン様、ご心配は理解できますが、今の段階で帝国が強硬手段に出る可能性は低いかと。その理由がありませんから。例えばクロエ様とお子をなして、その子経由で帝国に取り込むなどは考えられますが、それならば穏健な手です。その頃には村人たちも世代交代が進んで、真の意味で融和がなされているかもしれません」
「子をなすだと……?」
レオンがぎろりとロイドを睨んだので、クロエは慌てて間に入った。
「ちょっと待って、二人とも話を進めすぎよ。結婚の話が出たばかりなのに、その、子どもとか」
「もちろん僕も、クロエ様のお気持ちが第一です。ただヘルフリート殿下の話は、クロエ様を守ると感じたものですから」
ロイドが眉尻を下げている。ゴルト商会時代に王太子の圧力を受けた彼は、中央権力をかなり警戒していた。
「……ヘルフリート殿下が国王陛下に婚約を打診するケースも考えられるな。外堀を埋められる」
レオンが唸った。
「あー、あるかもね。というか、本来はそれが筋でしょう。そうなると父上はどう返事をするかしら。やっかいな娘が片付いたと喜ぶか、それともこの領地が帝国と結びつくのを警戒するか」
クロエはちらりとレオンを見る。
「確かにヘルフリートの話は、私にとって悪くないわ。魔道帝国は救世教と距離が近くないし、そちらの牽制にもなる。レオンの進退も安定するはず」
ロイドの手前明言できないが、この土地は四大精霊のうち三つが住まう。そしてレオンは亡国エレウシスの王子で、精霊と結び付きが強い血を持っていた。
現状でこれらの件が明るみに出れば、レオンは間違いなく処刑される。帝国の後ろ盾はその危険を遠ざけるのに役立つとクロエは考えた。
「どちらにしても、即答する話ではないから。よく考えて決めるわ」
「ええ。そうですね」
情けないが、クロエはうろたえている自覚がある。他人からあんなにはっきりと恋心を向けられたのは初めてだった。どう応えていいのか分からない。
無意識にレオンを見上げるが、視線は逸らされてしまった。
それがどうしてか、悲しかった。
ヘルフリートは冬の季節いっぱいをクロエの村で滞在して過ごした。
毎日魔力観測をしてデータを取りながら、村人たちと気さくに交流している。クロエの友人である彼は村人からも受け入れられて、今では差し入れなどももらっていた。
冬は農閑期になる。火の精霊が目覚めて以来畑は凍らなくなったが、雪は積もる。寒さのために育つ作物も限られるため、農業は半分以上お休みだ。
村人たちはその時間を生かして、様々な仕事に取り組んだ。
一つは羊毛織り。村の羊の毛を刈って保存しておいたので、糸紡ぎから始めた。
ミルカーシュの老婆と遊牧民の女性を指導者に、それぞれに違った技術で織る。今の余裕がある村であれば、織り機の購入も無理なくできた。行商人から仕入れた染料を使って、塞ぎがちな冬の季節をカラフルに彩っている。
今はまだ練習段階だけど、もっと技術が上がればいずれ村の新しい名物になるだろう。
次にムーンローズを使った商品開発。
クロエとザフィーラはムーンローズから精油を抽出して、各種の化粧品を作っていた。温泉の湯治客は美肌を目指す女性が多くて、要望が上がっていたのだ。
ヘルフリートが持っていた水の魔道具から生み出される水は、純度が高く腐りにくい。ムーンローズ自体にも腐敗防止効果があって、瓶詰めすると長持ちした。
これらの材料や村の蜜蝋、ベニバナ油を配合することで、肌を健やかに保つ化粧水やクリームが完成した。
「蜜蝋はクリームにいい材料になるわね」
「蜜蝋を溶かしたものを肌に塗る者もいるくらいですじゃ。ムーンローズやベニバナ油と相性もいい」
試作品を村の女性たちに配ったところ、大好評。温泉客向けに売り出せば、あっという間に売り切れる事態になった。
商人たちからの引き合いも強い。特にクリームは日持ちがするので、王都まで運んでも余裕がある。
クロエのブランドの新たな商品として、確実に浸透しつつあった。
さらに灌漑設備と街道整備。
こちらは人手が足りなかったので、付近の村から人足を募集した。もちろん報酬はきちんと支払う。
灌漑設備は村人たちが主となり、街道は人足たちが担った。人足への報酬の一環として温泉を開放したところ、とても好評。
「一日の終りは温泉だよなぁ」
「疲れが溶けるようだ」
リフレッシュした人足たちは、意欲的によく働いてくれた。おかげで予想よりも工期が短く済んで、仕事が終わった人足たちは残念そうに故郷に帰っていった。
「これで隣領まで街道が整備できたわ」
できたての道を魔牛車に乗って進み、クロエは満足そうに笑う。隣領の伯爵に挨拶をして、さらなる連携を頼んだ。
伯爵は辺境暮らしが長い小人物だが、ここのところのクロエの村の発展で恩恵に預かっている。当初はクロエを追放された王女だと侮っていたけれど、ここへ来てすり寄るようになった。




