77:突然の告白
「うーん、美味しい! やっぱりここは自然が豊かで水も食べ物も美味しいね」
「魔道帝国にも美味しいものはたくさんあるでしょう」
「もちろんそうだけど、僕が住んでいる帝都は人口過密でさ。水道橋を作って水は確保しているが、色々問題も多いんだよ。もっとも大容量の水の魔道具が完成すれば、その心配もなくなるかもね」
「ふぅん。ま、残念だけど拠点の許可までは出せないわ。遊びに来るなら歓迎するけどね」
「そっかぁ」
ヘルフリートは残念そうに肩をすくめて、ハチミツ水を飲んだ。
「この村はいい村だ。とても気に入っている」
「うん、ありがとう」
「ところでクロエ、きみは王位継承権を取り戻したんだっけ?」
「何よ急に。まだだけど?」
クロエの立場は大きく回復したが、王位継承権は剥奪されたままだ。クロエとしてはどこまで本気で取り戻すべきか悩んでいる。
本格的に王位争いをするとなれば、領地に負担をかけるだろう。兄の王太子との仲はこじれているものの、これ以上攻撃されないよう協定を結べるのであれば兄の王位を認め、クロエは半独立の形で領地に専念するのもいいと思っている。
とはいえ兄の性格を考えれば、何事もないと考えるのも難しい。
先制攻撃をするか否か。それだけの理由があるかどうか。
その判断をいつやるのかが問題だ。
クロエがそんなことを考えていると、ヘルフリートが続けた。
「立太子しないのであれば、僕と結婚なんてどうかな。僕は皇孫だが皇位継承権は低い。でも皇族として十分に機能するだけのパイプを持っている。他国に婿入りするのは問題ない。きみは帝国の後ろ盾を得て、兄君の干渉から逃れられるだろう。僕はこの土地に住んで、存分に研究ができる。良いこと尽くしだ。どう?」
結婚。
急に飛び出た言葉にクロエはしばらく答えられなかった。
「どう、って……。急に何を言い出すの」
ようやく言葉を返してみれば、ヘルフリートはしごく真面目な顔をしていた。
「僕は本気だよ。きみと再会すると決めてから、ずっと考えていたんだ。この村に来てその思いは強くなった。……クロエは知らないだろうけど、僕は昔からきみのことが好きで……」
クロエがまじまじと見つめると、彼はさすがに顔を赤くした。ハチミツ水のゴブレットをもてあそんでいる。
「学生時代、よく学問の討論をしただろう。僕と同レベルで語れるのは、きみくらいのものだった。当時の僕は魔道帝国こそが大陸の、いや世界の中心地だと思っていて、セレスティアなんていう片田舎に留学させられて不満だったんだ。けどその考えをきみが変えてくれた。どこにだって優秀な人はいるんだと」
ヘルフリートはふうっと息を吐く。
「僕は皇帝の一族だが、学問以外にあまり興味を持っていない。ところがきみは学業も優秀なのに、王族としてきちんと展望を持っていた。無能スキルが出て追放されたと聞いた時は耳を疑ったよ。無能だなんて、きみと最も遠い場所にある言葉じゃないか」
「……無能ではないかもね。でも無力は思い知らされたのよ」
クロエがゆっくり言うと、ヘルフリートは驚いたように目を上げた。
「学生の頃の優秀さは、最初は何の役にも立たなかったわ。色々な人や存在に助けられて、どうにか村を立て直せた。私はあなたが言うほど優秀ではない。毎日悩んで困り果てて、時には無様に失敗して、それでようやくここまで来たの」
「…………」
少しの沈黙が落ちる。
ヘルフリートはハチミツ水のゴブレットをテーブルに置いた。コトンと涼し気な音がした。
それから彼は立ち上がって、クロエの前に跪いた。
「その言葉を聞いて、きみという人がますます好きになったよ。この村を見て感じたんだ。クロエは領民に慕われている。いくつもの民族が同じ場所に住んでいるのに、みんな心を一つにしている。きみの功績だ。――ねえクロエ、僕の求婚、受けてくれないか。そりゃあ僕は政治上の問題ではあまり頼りにならないが、後ろ盾にはなれる。きみのような人と生涯を過ごせたら、どんなに素晴らしいかと……」
戸惑うクロエの手を取って、指先に口付ける。彼女はぎくりと身を強張らせた。
相手が体を固くしたのを感じ取って、ヘルフリートは寂しく笑った。
「きみの心が僕に向いていないのは、分かってる。でも入口は政略結婚でも、愛と信頼を築いた人はたくさんいる。これからゆっくり時間をかけて、僕を見てくれないだろうか。必ず報いると約束するから」
彼の眼差しは真摯で、クロエは返す言葉を見つけられないでいる。
クロエの背後でレオンが身動きする気配がした。その動きに後押しされるように、彼女はようやく口を開く。
「ごめんなさい、すぐには答えられないわ。あまりに急すぎて……」
「そうだよね。こっちこそごめん。でも僕が本気だということだけは知っていて欲しくて。――時に護衛騎士くん。そんなに睨まなくても、今すぐ手出ししたりしないから」
クロエがそっと振り返ると、難しい顔をしたレオンと目が合った。
「さてと。温泉も楽しんだことだし、今日は帰ろうか。あぁ、僕は自分の馬車に乗るよ。さすがに今すぐクロエと距離を詰めるほど、無遠慮ではないつもりだから」
ヘルフリートは少し笑って、宣言通りに自前の馬車に乗り込む。帝国の人々が続いた。
残されたクロエは深く息を吐いた。ヘルフリートのことは友人だと思っていたのに、こんな話になるとは。




