73:訪問客
「うちの村が豊作だったとはいえ、まだまだ小規模で備蓄も少ないもの。ミルカーシュに援助できるほどの余裕があるかどうか」
「この村から出荷された小麦を、セレスティア経由で聖都市が買い付けていましたよ。援助はできていますとも」
フリオが微笑んだ。
「そう。去年、棄民として村に合流したミルカーシュの民たちは、かけがえのない仲間だから。できる範囲で手助けしたいわ」
あくまでできる範囲で、だ。村人の故国をないがしろにしたくないが、クロエにとってはこの村が第一である。
「連合国や魔道帝国の一部でも不作が続いていると噂になっています。どうも東の方がひどいらしいですね」
ロイドが書類をめくっている。
「東……」
ふと、火の精霊の言葉が脳裏に蘇る。封印の石碑を破壊した力は、東からやって来たと精霊は言っていた。
(何かが起こっているのかもしれない)
クロエは胸騒ぎを感じた。
冬になったある日、北の村に馬車の一行がやって来た。
発展しつつある村では、馬車の来訪はもう珍しくない。だが今回は少々風変わりなデザインで、しかも立派なものだった。
掲げられた紋章も、多くの村人たちにとっては初めて目にするものだ。そんな馬車が何台も村に入ってきたものだから、ちょっとした騒ぎになった。
村人たちの声を聞きつけて、クロエは広場へと出る。馬車のデザインはともかく、紋章は見知ったものだった。
「やあ、クロエ。久しぶり」
馬車から降りてきた赤毛の青年を見て、彼女は目を丸くした。馬車に乗っているのは他国の貴人だと当たりをつけていたが、まさかクロエの知る本人が来るとは予想外だった。
「ヘルフリート皇孫殿下!?」
「やだなぁ、他人行儀に呼ばないでくれよ。学生時代のように気楽に呼び捨てしてにしてくれると嬉しいな?」
あはは、と明るく笑うヘルフリートを見て、村人たちは戸惑っている。
赤い髪に緑色の瞳をした彼は、聡明そうな整った顔立ちに邪気のない笑みを浮かべていた。
「ヘルフリート・アグリピウス・アイゼン殿下よ。魔道帝国皇帝陛下の孫で、何年か前までセレスティアに留学していたの。王立学園でクラスメイトだった」
「ヘルフリートだ。ご紹介の通り、クロエとは学友になる。旧友に再会したかったのと、この村の評判を聞きつけてね、是非訪れてみたいと思っていたんだ」
ヘルフリートは親しげにクロエの肩に触れた。するとレオンが二人の間に入り、引き剥がす。
ヘルフリートは苦笑した。
「やあどうも、護衛騎士くん。そんなに警戒しなくても、ちょっと挨拶しただけだよ」
「失礼。ご学友とはいえお互いお立場のある身です。誤解を招いては大変だと思いまして」
レオンはさり気なくクロエを抱き寄せた。クロエが睨んでも素知らぬ顔だ。この護衛騎士は、夜の川辺の一件以来微妙に距離が近いのだ。
ヘルフリートは眉を寄せる。
「……なんかきみ、印象変わったね?」
「一介の騎士を覚えてくださり、恐縮です」
クロエの学生時代からレオンは護衛騎士だった。当然ヘルフリートとも面識がある。ただし従者や護衛は気に留めない貴族も多い。ましてや大国の皇帝一族である。
ヘルフリートはそれ以上追求せず、村を見渡した。
「冬だが活気のあるいい村だ。色んな名物を開発中だと聞いたよ。是非紹介してほしいな」
「もちろんよ。商品の他にも、温泉も自慢なの。一通り楽しんでいってちょうだい」
歩きながら、ヘルフリートは訪問の目的をクロエに語った。
「理由は二つ。一つは交易品の選定だ。きみの村のムーンローズやハチミツは、我が国にまで評判が届いている。どちらも唯一無二のものだから、輸入したいと考えている」
「それはこちらもお願いしたいわ。セレスティア国内では流通網が確立つしつつあるけれど、国外輸出はまだだったから」
「いい商談がしたいよね。で、二つ目の理由はこの土地の測定をさせてほしいんだけど」
「測定?」
クロエは慎重に答えた。国土の詳細は他国へ渡すような情報ではない。例えば精緻な地図が相手に渡っていたら、戦争になった際に大きく不利になる。
ヘルフリートはクロエの警戒を察して、にっこりと微笑んだ。
「我が帝国で魔道科学の研究が盛んなのは知っているだろう? 最近、非常に有用な発見がなされてね。その情報と引き換えに、この土地の魔力を測定させてほしいんだ。ほら、ここはほんの一、二年前まで不毛の荒れ地だったのに、水源が見つかってから急激に緑を取り戻している。ということは、土地の魔力が上がっているはず。帝国の領土である東側の土地はまだ荒れていて、魔力もひどく低い。その違いを分析して、さらに研究に生かしたいんだ」
ヘルフリートは足を止めてクロエを見た。
「ちなみに、セレスティア国王陛下の許可は取り付けているよ。ここへ来る前に王都へ寄ってきたんだ。帝国の研究成果は引き渡し済みだね。もちろん、クロエ個人にも開示するけれど」
(はぁ~~~~!? 父上、何を勝手やってるの! 私の領地なんだけど!)
クロエは思わず心の中で毒づいた。
「救世教の大司教殿も後押ししてくれたよ。かのお方は魔道科学に関心が薄いと思っていたが、そうでもないのかな。まぁそれだけ今回の件が画期的だったとも言える」
(ヴェルグラードまで!)
この北の土地にはかつて三体の精霊が眠っていた。その秘密があるのに、他国の要人に魔力測定を許可するとは。
大司教の真意を測りかねてクロエは渋い顔になる。
彼女の表情に気づいて、ヘルフリートは困ったように肩をすくめた。
「きみの領地だものね。気持ちは分かる。ただ今回は互いに利益のある話なんだ。魔道科学のさらなる発展のために、協力してもらえるととても嬉しい。きみも絶対に興味を持つよ」
ヘルフリートの瞳は少年のように輝いていて、クロエは思わずため息を吐いた。
「変わっていないわね。私たちもう大人なのに、あなたは学問のことばかり」
「あはは。まぁ僕は皇帝の孫とはいえ、皇位継承権は下位で気楽な身分だから。というか、お祖父様が元気すぎてまだまだ代替わりしそうにないんだよね。というわけで、恵まれた環境で研究に打ち込んでいるよ」




