69:決着の後
一ヶ月の旅路を経て村に帰ると、一行は村人たちの大歓迎を受けた。
伝令を走らせて裁判の勝利は伝えていたのだが、彼らは領主の帰還を待ちわびていたのだ。
「おかえり、姫さん、ペリテ!」
村長が言えば、村人たちも口々に言う。
「レオン様も、おかえりなさい!」
「フリオさんもご苦労さま!」
「ロイドもいるのか。まぁ話は聞いてるよ、おかえり」
それぞれに歓迎の言葉を受け取ると、今度は宴会が始まった。イルマが大張り切りで料理を作り、行商人から手に入れた酒が回される。
「みんな、大丈夫? 秋の収穫で忙しいでしょうに」
クロエが言えば、村長はにやりと笑った。
「収穫も大事だが、領主様のお帰りはもっと大事だろうが。明日二倍働くから、平気ってやつよ」
とか言いつつ、けっこうな勢いで酒が出されている。明日は二日酔いでふらふらしながら働く人が多そうだ。
「ペリテおねーちゃん、王都ってどんなだった?」
「すごかったよ。建物がおっきくて、馬車がいっぱい走ってて!」
「へぇー!」
子どもたちはそんな話をしている。エレウシス人と移民のわだかまりはすっかり解けて、もう見分けがつかないくらいに入り混じって宴会を楽しんでいた。
広場で焚き火が焚かれて、宴会は夜遅くまで続いた。クロエも村人たちも大いに飲み食いして、歌を歌い、踊ってみせる。
エレウシスの歌、セレスティアの歌、ミルカーシュの歌。それに遊牧民の歌。それぞれ違った旋律で、それぞれに味わい深い歌が披露された。
エレウシスの歌では精霊が登場する。けれどセレスティア人はさほど嫌悪していない。
元々彼らも農民である。自然と共に暮らし、自然の恵みと厳しさを知る人々だ。
「精霊というけれど、この自然そのものと思えば、そんなに違和感はないですよ」
完全に受け入れているわけではない。だがそれ以上に、隣人の心を認めてくれている。
(あぁ、幸せだなぁ……)
賑やかな空気の中で、クロエはふとそんなことを思った。今年の様々な苦労を乗り越えて今がある。
辛いことを乗り切って絆が深まった。立場や考え方が違っても、互いに互いを思いやることができる。
この幸せを、みんなの笑顔を守っていきたい。そう、思った。
歌い疲れて宴はお開きになり、クロエも天幕に戻る。そうしてまどろみ始めてしばし、天幕からレオンが出ていく気配で目が覚めた。
わざとだ、と思った。レオンであればもっと上手に気配を消すことができる。意識的にしろ無意識にしろ、クロエに気づいて欲しいのだ。
だから彼女は彼を追った。秋の月がさやかな光を降らせる中、畑を抜け、牧草地を抜けて北の川岸へと。
月下に水が流れるほとりに彼は立っていた。手にはムーンローズの花束を持っている。ほのかに光る花びらに指をかけ、一枚ずつ丁寧にちぎっては川面へと流している。
紫の花弁はくるくると水に飲まれては浮かび上がり、流れていく。
「……私の故郷では」
振り返らないまま、彼は言った。白い髪に月光が降り注いで、青く揺らめくような色が映っている。
「紫の花は葬送の花でした。特にこのムーンローズは、貴人と精霊に捧げるもの。こうして川に流すのが、故人の魂の慰撫になると――教わりました」
もっともムーンローズに関しては、もう知る人がいないのですが。彼は呟くように続けた。
紫の花を葬送の花とするのは、エレウシスの習慣。そう思い出して、クロエは問うた。
「誰に教えてもらったの?」
「両親です。……かつて、エレウシス王と王妃だった人ですよ」
「じゃあ、あなたは」
十六年前のエレウシス戦争で、五歳で死んだという王子。
「自害したと言われていたけれど、生きていたのね……」
「セレスティアに嫁いだ貴族の縁を頼って、秘密裏に子爵家の養子になりました。名前を変えて、身分を偽って。それ以来ずっと……」
また一枚、花びらが川に散っていく。
「ずっと、復讐のために。セレスティア王家を、あなた方の家族を殺すことだけを望んで生きてきた」
静寂が満ちる。さあさあと流れていく川の音が、紫の花弁を呑み込んでいく。
クロエは思い出した。レオンは国王の護衛騎士になりたがっていた。守るためではなく、殺すためだったのか。
「どうして私を殺さなかったの?」
意味のある問いではないと自覚しながら、それでもクロエは聞いた。
「本命は国王陛下だった。あの方がエレウシス戦争の首謀者ですから。皆殺しにできるのならばともかく、殿下だけを殺しても意味はない」
「今でもまだ、父上に復讐したい?」
「……ええ」
少しの間が開いた。それがどんな意味を持つのか、クロエには分からない。
一枚、また一枚、ムーンローズの花びらが川に流れていく。故人へと捧げる葬送の花が。
「守り人というのは――」
ふと彼が口を開いた。
「エレウシス王家の血に封じられた、世界樹の守り人という役割のことです。エレウシス王家は古代王国に連なる家系。古代王国の時代は世界樹が何本も生えていて、広大な精霊の森があったとか。精霊の森には数多くの精霊たちが住まい、その力を古代王国に分け与えていた。世界樹と精霊の森こそが精霊たちの力の源なのだそうです。『いつの日か世界樹を復活させて、古代王国の栄華を取り戻すべし』。エレウシス王家に伝わる言い伝えです。――幼い頃の記憶なので、もう定かではないですが」
「世界樹と、精霊の森」
大司教ヴェルグラードが言っていた。世界樹を発芽させれば容赦はしないと。
「世界樹の守り人は、精霊と強い結びつきを持つ。だが、世界樹の種はクロエ殿下に宿った。恐らく俺の血はもう薄すぎて、あるいは呪いが邪魔をして、守り人としての役目を果たせないのでしょう」
彼は薄らと笑った。
「この血を拠り所に、復讐だけを念じて生きてきたのに。俺の思いは、呪いは、何だったのだろう」
また一枚、花びらが水に舞う。彼の手の花束は、もうほとんど花弁を散らしてしまった。
「この荒れ地は、精霊の力で豊かになった。だがそれは古代王国の栄華などとは関係のない、市井の人々の営みのためにあるもの。であれば守り人は、俺は、もう必要がない。古代王国などという過去の亡霊に囚われて、復讐の呪いに取り憑かれている。もうたくさんだ。終わりにするべきだ!」
彼は花を散らしたムーンローズの残骸を、川に投げ捨てた。その手に小さな傷が多くできているのを見て、クロエは胸を痛めた。ムーンローズのトゲを気にも留めず、流れる血に気づかず、握りしめていたのだから。
「クロエ・ケレス・セレスティア。お前の命を以て終わりにしよう。お前だけでは意味がないが、無意味な俺の生にふさわしいだろう」
彼は剣を突きつける。クロエの首筋へと。




