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66:裁判1


 レオンがまぶたを開けると、見慣れた天幕の天井が目に入った。ぼんやりとした視界は徐々に焦点を結ぶ。


「レオン! 良かった、目を覚ましたのね……」


 すぐ近くには、クロエの豪奢な蜂蜜色の髪。若草の瞳を潤ませて、彼を覗き込んでいる。


「熱も下がってきてる。もう安心よ」


 彼女の白い手が額に触れた。ひやりと冷たくて心地よい。


「まったく、姫様の薬草は大したものですなぁ」


 横合いから老婆の声がした。薬師のザフィーラだ。

 クロエの手が離れてしまったのを惜しく思いながら、レオンは老婆の言葉を聞く。


「わしの見立てから解毒の薬草を何種類も生やして。おかげでまぁ、天幕が草まみれですが」


 レオンが視線を横にやると、確かに天幕の床が草だらけである。ほとんど草のじゅうたんだ。


「レオンが助かったんだから、草むしりくらいいくらでもやるわよ。というか、この薬草も名物になりそうね」


「……ふふ」


 クロエの言い草が可笑しくて、レオンはつい笑った。


「殿下は、転んでもタダでは起きませんね」


 熱にかすれた声で言えば、クロエはコップに水を満たして飲ませてくれた。喉を滑り落ちる水の感触が心地よかった。

 その様子を見ながら、クロエはおずおずと言った。


「あのね、レオン。悪いとは思ったのだけど、あなた汗がすごかったから、服を脱がせて拭いたの。それで、左胸のあざを見てしまって……」


「あぁ」


 彼は息を吐いた。


「あれは生まれつきです。別に害はないし、何でもありませんよ」


「でもあれ、古代文字じゃない? 何か魔法的なものでは?」


「偶然でしょう。それにしても、ずいぶんとじっくり観察したようで。男の体が珍しいですか? 殿下ともあろうお方が破廉恥では?」


「なっ……!」


 皮肉っぽく言われて、クロエは咄嗟に言葉に詰まった。それなりに意識してしまっていたのだ。


「い、医療行為よ! おかげで助かったんだから、感謝して欲しいわね!」


「ええ、理解しています。ありがとうございました。殿下は命の恩人です。もちろん、ザフィーラも」


 話を向けられた老婆は苦笑している。

 レオンは起き上がろうとして、体に力が入れられずに眉をしかめた。


「暗殺者は、どうなりましたか」


「……村はずれで死体で見つかったわ。腹部に深い怪我があって、逃げ切れないと思ったみたい。自害よ」


 盗賊を解き放って混乱を起こせば、もっと面倒なことになっただろうとレオンは思う。そうしなかったのは、先にクロエを始末しようとしたのか、それとも村人の見張りや草での施錠が万全で手を出せなかったのか。


「そう、ですか。また証拠を逃してしまいましたね……」


 レオンが目を伏せたが、クロエは今度こそ不敵に笑った。


「そうでもないわ。証人が見つかったのよ。それも決定的な証拠と一緒にね」


「どういう意味ですか」


 クロエが手を叩くと、天幕に人影が入ってきた。

 ロイドだった。

 かつては整えられていた水色の髪は乱れて、身なりも薄汚れてしまっている。けれど決意に満ちた目をしていた。


 レオンは何とか起き上がり、彼の瞳を正面から見る。


「ゴルト商会を裏切ったのか?」


「はい。もはや忠誠を尽くす理由がなくなりましたので」


「お前は忠実な秘書に見えたが」


「……ゴルト商会に忠実なのではなく、金と権力におもねっていただけです。けど……この村を見て、考えが変わりました。セレスティア、エレウシス、ミルカーシュ。異民族が手を取り合って生きるこの村に、賭けてみたくなったのです」


「賭ける? 何をだ」


「僕の――俺の過去と未来の全てを、でしょうか」


 ロイドは寂しく笑った。


「俺は今まで、金さえあれば幸せになれると思っていた。ですが出世を重ねてそれなりの財産を手にしても、満たされることはありませんでした。ところが、この村でもらったハチミツ飴は違った。あの甘さと優しさが、俺の心を救ってくれたんです」


 ロイドは自らの生い立ちを簡単に語ってみせた。

 貧しい農村の生まれで、妹を早くに亡くしたこと。十歳になるかどうかの年齢で親に売られ、ゴルト商会の丁稚になったこと。死に物狂いで努力して、それなりに出世したこと。その過程でライバルを蹴落とし、商売相手を騙すことすら厭わなかったこと……。


「こんな人間が許されるとは思っていません。ただ、最後にあの飴のお礼がしたくて。ゴルト商会を告発した後は、俺も刑に服します。妹を死なせてしまった罪悪感が、俺の生き方を歪めてしまった。ただ分け与えるだけで良かったのに――、自分で自分に呪いをかけたようなものでした」


 呪い。その言葉にレオンはぎくりとした。


「ロイドは貴重な証拠をいくつも持ってきてくれた。これだけあれば、確実に告発ができる」


 クロエが力強く言った。


「あとはどれだけ効果的に、ゴルト商会を叩きのめせるか。舞台をよく整える必要があるわね」


 クロエとレオン、ロイドは、そのための打ち合わせを始めた。







 それから約一ヶ月少々。

 夏も後半のセレスティア王都に、クロエたち一行の姿があった。

 クロエは暗殺者事件からすぐに動いて、弟王子宛てに手紙を書いた。商業監査と治安監督のためと銘打って、公開裁判を行うためだった。

 弟王子のサルトは姉のために動いて、裁判の手続きを取ってくれた。

 クロエは本来ならば追放された身。国王の許可なく王都に入ることはできない。サルトは上手く取り持って、裁判のための帰還として許可を取り付けた。


 公開裁判の場は、追放された無能姫ことクロエが乗り込んできたとあって、貴族から平民まで傍聴者が大勢詰めかけている。


「静粛に!」


 裁判長が大きな声を上げると、傍聴者のざわめきが小さくなった。

 訪れた静寂の中、クロエが登壇する。


「王都のみなさん、お久しぶりです。今回私は、交易における不正取引、および王国の安寧を脅かす扇動行為について報告するためにこの場を設けました」


 周囲の反応は冷ややかだ。被告であるゴルト商会は黒い噂があるとはいえ、国内屈指の大商家。しかも後ろ盾は次期国王たる王太子である。

 対してクロエは追放された王女。今年になってから評判を挽回しているが、一度押された無能の烙印は未だ根強く残っていた。

 クロエへの冷淡な空気を感じ取り、被告席のゴルトは偉そうに腕を組んでいる。


「こんな茶番に付き合うほど、わしは暇ではないんだがな。さっさと済ませてくれ」


 しかしその大きな態度は、証人として現れたロイドを見た途端に崩れた。


「ロイドと申します。ゴルト商会には子どもの頃に丁稚として入り、先日まで会長の秘書を務めておりました」


「ロイド、貴様、どうしてここにいる!」


「静粛に。被告人は証人の言葉をさえぎってはいけません」


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