60:真夜中の事件
(何だろ? みんなして、トイレ?)
ペリテは好奇心を刺激されてそっと近づいた。足元は暗かったけど、毎日行き来している村の中。そんなに不自由はしなかった。
近くの倉庫の陰から見てみれば、荷車に色々な商品が積まれている。商人らしき男が二人と、移民の村人が数人。村人は商品を物色していた。
「今回はいつもより早かったんだね」
「ええ、ちょうどいい商品が入荷しまして」
「服か。助かるぜ。子どもの服が破けちまってさ」
「次はお鍋を頼みたいわ。村の公営店のは高くって」
村人たちはこそこそと小声。買い物をしているようだ。思い思いの商品を手に取って、受け取っている。お金は払ったり払わなかったりだ。
「同じセレスティアの仲間ですからね。お安くしますよ。あなた方だけです、エレウシス人なんかには売りません」
その言葉を聞いてペリテはムッとした。大人たちの間で微妙な空気が流れているのは、彼女も知っている。クロエがその解消のために心を砕いているのも。
だからペリテは子ども同士は仲良くしようと頑張ってきた。それをこの商人は堂々と台無しにしている。
(クロエ様は、あたしに『仲良くしてあげてね、頼んだわ』って言ったのに! このおじさん、嫌い!)
ペリテが物陰から様子をうかがっていると、移民の村人たちが帰っていった。商人たちは別の移民を呼びにその場を離れる。
誰もいなくなったので、彼女は荷車に近づいた。
「……お洋服だ」
ペリテは荷から服を引っ張り出した。農村で着る服としてはなかなか上質な手触りで、襟元には花の刺繍が施されている。
彼女の心の中に疑惑が湧いた。
というのも、この花の刺繍に見覚えがあったからだ。少し前に村に出入りしていた商人が扱っていたもので、ペリテはこの服を欲しがったが、高価なために買ってもらえなかった。だから覚えていた。
「あの商人さん、後で盗賊に襲われて荷物を全部盗まれたって言ってたけど……」
どうして盗まれた品物がここにあるのだろう。誰かが取り返したのだろうか。
考えても分からなくて、ペリテが首を傾げた時。
「むぐっ!?」
急に後ろから口を押さえられて、彼女は手足をばたつかせた。ツンと薬臭い嫌な匂いがして、頭がクラクラする。手から力が抜けて服が落ちる。爪に刺繍糸が引っかかったけど、強引に剥ぎ取られた。
バサリと音がして目の前が暗くなる。袋をかぶせられたのだ。ペリテの意識はそこで途切れた。
+++
まだ夜の闇が色濃く残る早朝、村ではさらに異変が起きた。
いくつかある倉庫のうちの一つが燃え始めていた。
「火事だ! 倉庫が燃えているぞ!」
「早く水を!」
村人たちの騒ぎ声に気づいて、クロエは飛び起きた。寝間着から着替えるのもそこそこに天幕を出る。
夜明け前の薄暗い光景の中、炎に炙られた倉庫が赤々と浮かび上がっていた。
(対応が遅かったのだわ)
夜の見張りをもう一日早めていれば、火事は防げたかもしれない。そう思えば歯噛みするほど悔しかった。
だが今は後悔している場合ではない。村人たちはバケツで必死に水をかけているが、炎の勢いは強かった。
「任せなさい! おーっほほほほ!」
笑えない時でも思いっきり笑うのは、もう慣れたものだ。クロエの声とスキルに反応して、倉庫の周りに急激に草が伸びていく。
「クロエ様、草を生やしたら燃えてしまいます!」
「いいえ。見ていなさい」
村人の悲鳴を押し留めて、クロエはできるだけ冷静な態度を取ってみせた。
倉庫を包み込むように生えた草はさらに伸びて、一階の屋根ほどの高さに達する。
その草は、炎に触れても燃えなかった。それどころかシュウシュウと水蒸気を立てて火を消し止めていく。
「な、これは……」
「本来は川岸に生えるアシの仲間よ。地中からたっぷり水分を吸い上げて、茎と葉に蓄えるの」
クロエはバケツの水を地面に撒くように指示した。草が急激に水を吸い上げたので、放置しておくと地盤沈下などが起きるかもしれない。土に水分を与えておけばマシになるだろう。
やがて火が消し止められると、後には焼け焦げた倉庫が残った。倉庫は石とレンガで作られたもの。不幸中の幸い、建物自体は無事である。
「殿下。お怪我はありませんか」
消火活動を終えて、レオンが駆け寄ってくる。
「平気。でもどうして、急に火事なんか」
「盗賊の放火でしょうか」
「それが一番ありそうな線だけど……」
盗賊は村に様々な被害を及ぼしていた。行商人への襲撃と畑の作物の窃盗が主なやり口だ。あとは魔牛や魔羊の窃盗未遂。
逆に言えば村人や村の建物に直接危害は加えていなかった。窃盗が危害といえばそうかもしれないが……。
「急に方向転換したのが気になるわ」
「確かに」
レオンは松明の明かりを倉庫に向けた。焼け焦げた壁とぬかるんだ地面が見える。地面のぬかるみは先ほど水を撒いたのと、昨日の雨のせいだろう。消火しようと大勢の村人が入り乱れたため、足跡がたくさんついていた。
「どうも後手後手に回っているわね。何とかして盗賊の根城を叩いてやりたいけれど」
「先日の仕込みが上手く行けば、あるいは?」
「ええ、そう」
火は完全に消し止められて、怪我人がいないのを確認できた。
火事の原因を調べる必要があるものの、今は夜明け前で薄暗い。よく調べるのは明るくなってからの方がいい。
「戻りましょう。これ以上はできることがないわ」
そう言って天幕に戻ったクロエだったが、朝、さらに事件に直面することになる。
ペリテが行方不明になったのだ。
「何ですって! ペリテが見当たらない?」
早朝、血相を変えてやって来た村長の話を聞いて、クロエは声を上げた。
「あんな小さな子が、いつ消えたというの?」
「たぶん夜だ。あの子は母親と一緒に寝るんだが、朝起きたらいなくなっていた」
「そんな。母親に気づかれないで、いなくなるなんて」
最初は盗賊による誘拐を疑ったが、その状況では無理がある。しかし村長は首を振った。
「いや……、もしかしたら便所にでも起きたのかもしれん。あの子は最近、妙に大人ぶるようになってな。親を起こさずに一人で行ったかも」
「夜中」
レオンが顔を上げた。
「レオン?」
「気付いた件があります。殿下、村長も一緒に来てください」
レオンが向かった先は火事が起きた倉庫だった。明るい日の光の下で見る焦げた倉庫は無惨で、ため息が出る。
しかしレオンは倉庫は見ずに地面を指差した。水でぬかるんでいた地面はそろそろ乾き始めていたが、足跡は残っている。
「やはり間違いない。ここを見てください。足跡だけでなく荷車の車輪跡がある」
多くの足跡にまぎれて消えかけていたが、よく見れば車輪の跡が見て取れた。