58:金色の飴
それから数日後のこと。隣領から戻ってきたレオンは、クロエの天幕で報告をしていた。
天幕の中にはフリオもいる。情報収集を頼んでいたのだ。
「予想通り、ゴルト商会の手のものが接触していました」
行商人を隣町に置いた後、レオンは帰るふりをして途中で町へと戻った。すると傷だらけの行商人のもとにゴルト商会の商人がやって来て、宿屋に運び込んだのだという。
「あの行商人は、アトゥン伯爵の農村に年老いた両親がいるんです」
フリオが言った。行商で回る地域がかぶっているので、以前から多少の付き合いがあったという。
「親御さんに話を聞いてきました。なかなか話してくれませんでしたが、それとなく教えてくれました。やはりゴルト商会の手が回っていたようです。お金を握らされて、何かあっても黙っているようにと」
「買収と脅迫が同時に行われていたわけね。あの行商人はさしずめ、親を人質に取られていたのでしょう」
クロエは首を振る。
「フリオ。両親に話を聞いたのはバレていないかしら?」
「大丈夫です。小さな農村ですから、村人以外がいればすぐに分かります。部外者はいませんでした」
「そう。……それにしても、今の段階ではゴルト商会の告発は難しそうね」
巣箱の破壊はそこまで大きな罪ではなく、行商人は脅迫されて口を閉ざしている。レオンとフリオが集めた情報だけでは、しらを切られればどうしようもない。
「村の警備を強化しましょう。冬の間に訓練した若者たちは、気構えができている。戦力になるはずです」
と、レオン。
「分かったわ。夏の間に灌漑工事を進めたかったけど、足元をすくわれては元も子もないものね。警備はエレウシス人だけでなく、セレスティア人の移民も組み込むようにしてちょうだい。できるだけ結束を高めるの」
「分かりました。すぐに手配します」
「フリオは引き続き、情報を集めてくれるかしら。王都は遠いけど、あちらの動向も分かると助かるの」
「はい、もちろんです。行商しながら噂話を集めるのは、元々得意ですよ」
次の事件は遠からず起こるだろう。三人はお互いの役割を確認すると、動き始めた。
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ゴルト商会の秘書ロイドがクロエの村に滞在し始めてから、一ヶ月ほどが経過した。
夏の村は活気にあふれている。ミツバチの巣箱破壊事件の影響は小さく、村人はすぐに養蜂を再開した。ロイドとしては目論見が外れてしまった形だ。
(もっと不信感を煽って、新旧の村人を対立させる手筈だったのに。無能姫の手腕に遅れを取ってしまった)
彼は村の広場を見渡した。
クロエの村の野菜は評判で、行商人の他にも隣町のレストランや食堂のオーナーたちが買付けに来ている。鑑定スキルを持つ部下が確認した所、それなりの割合で祝福が施されているらしい。少し前から小さな市場が立つようになって、村はにぎわっていた。
火山の温泉も人気がある。行商人らの口コミが広がり、腰痛や持病がある人がよくやって来るようになった。
クロエは村の宿屋を拡張したり、温泉地近くに宿泊所を作って対応中だ。遊牧民の移動式天幕が利用されて、必要に応じて移築されている。天幕は数時間で解体・組み立てができるので、日によって変わる宿泊客の数に柔軟に対処していた。
温泉の効能はもちろんのこと、村人たちの心尽くしのもてなしが好評を博している。
「この村は、豊かだな……」
「そうでしょう! クロエ様のおかげなんですよ」
つい声に出た呟きを拾われて、ロイドは振り返った。見れば料理人のイルマが、ニコニコと笑顔を浮かべて立っている。
「ロイドさん、お昼は済みましたか? まだだったら食べていってよ。今日のおすすめは茄子と鳥肉のビネガー風味だよ!」
「それはおいしそうだ。いただこう」
イルマの食堂に入ると、こちらも賑わっている。行商人や湯治客たちが思い思いの席に座って、料理を楽しんでした。
お昼時はそろそろ終わりに近いので、客足は引き始めている。ロイドはカウンターの席に座った。
「はい、お待ちどうさま!」
コトリと音を立てて置かれたのは、素朴な素焼きの皿である。茄子料理にかけられたビネガーの香りが漂って、ロイドは食欲を刺激された。
「うん、おいしい。イルマさんは若いのに料理がとても上手だ。どこかで修行をしたのかい?」
「あはは、まさか! あたしみたいなただの村人が、そんなことしないよ。おばあちゃんのレシピがあって、レオン様と一緒に練習しただけだよ」
「おばあちゃんのレシピ?」
「あたしのおじいちゃんとおばあちゃんが料理人で。エレウシスではけっこう有名なお店だったんだって」
「あぁ……」
ロイドは茄子を噛んだ。とろりとジューシーな感触が口に広がる。
「きみはエレウシス人だったか。今まで苦労も多かっただろう」
「まあ、そうかな? でもあたし、エレウシスのことは何も覚えていなくて」
イルマは今年で十八歳だ。故国の滅亡当時は二歳だった。彼女の年齢を察して、ロイドは無言で頷く。
「で、物心ついてからはずっと貧乏で。おばあちゃんの思い出話を聞いても、そんな夢みたいなごちそうが本当にあるもんかって思ってた。でも、あったんだよねえ」
イルマはキッチンに並んだ食材をうっとりと眺める。豊富な野菜とチーズ、お肉類。最近では行商人から手に入れたスパイスやハーブも豊富だった。
ロイドがさらに質問を重ねようとしたところで、食堂に子どもたちが駆け込んできた。
「イルマおねーちゃん! 今日もお塩、ちゃんと採ってきたよ。ごほうびちょうだい!」
ペリテが塩を入れた小袋を差し出す。イルマは笑顔で受け取った。
「ご苦労さま。はい、ハチミツ飴」
「やった! ありがとう!」
「おいしー!」
金色に輝く飴を口に放り込んで、子どもたちは実に楽しそうに笑う。元の村人の子もミルカーシュの子も、移民の子も混ざりあって、区別がつかないくらいだった。
ロイドは無言で彼らを見つめた。ペリテに目を留めて、ふと思う。
(妹が死んだのは、あのくらいの年だった)
ずっと胸の奥に封じ込めていた思い出が、ちりちりと小さな火花のように散っていく。
貧しい農村の風景。飢え死にしてしまった幼子。食い詰めて口減らしに子どもを売る家。売られた子は家族と世の中とを恨みながら、それでも生き抜くために出世と金にしがみつく――。
「ロイドさん?」
イルマの声で、ロイドは我に返った。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いよ」
「何でもないですよ。料理、ごちそうさまでした」
席を立った彼に、イルマは金色のひとかけらを差し出した。
「良かったらどうぞ。甘いものを食べると、心が落ち着くから」
「いえ、僕は……」
「おにーさん、食べないともったいないよ! とってもおいしいもん」
ためらうロイドの服の裾を、ペリテが引いた。イルマもペリテも子どもたちも、ただ善意だけで食べ物を分け与えようとしている。
――彼の生まれ育った村では、たとえ身内の間でも奪い合いをしたというのに。
押し付けられるようにもらった飴を、ロイドは口に入れた。
舌の上でゆっくりと溶けていく飴は、とても甘くて……美味しかった。