55:取り引き
ゴルトたちはそれからも村を見て回って、温泉もしっかりと味わった。
村の宿屋ではイルマが腕を振るい、村の食材を使った料理を出す。
「夏野菜たっぷりの羊肉グリル。茄子、アーティチョーク、ブロッコリーにアスパラ。もちろんお肉もね、全部この村で採れたものですよ!」
「おお、これは素晴らしい。野菜が羊の脂を吸って、臭みも消してくれていますな。エレウシス人の女が作ったとは思えない」
と、ゴルト。イルマは微妙な顔になった。
「このチーズが魔牛のものですか。さっぱりとして食べやすい」
ロイドが言って首を傾げた。整えられた水色の髪がさらりと揺れる。
「しかし何でしょう、風味がいいですね。食材はもちろんですが、塩の味わいが違う……?」
「若い商人さん、正解! うちの村では塩も採れるんだ」
イルマは機嫌を直してニコニコとする。そうしてしっかりと村の名産を味わった商人たちは、食事を終えると居住まいを正した。
「クロエ王女殿下。あなた様の領地の名産品、しかと確かめさせていただきました」
ゴルトが言う。
「非常に魅力的なものばかりでした。つきましては、是非我が商会と取り引きをさせていただきたい。――具体的には、我らの流通網を使った独占取引です」
周囲にいた他の商人たちがざわついた。
「独占だって……?」
「そりゃ、ゴルド商会の力があれば全国的な展開も可能だろうが……」
そのざわめきをゴルトは唇を歪めて聞き流している。
「我々は王都はもちろんのこと、セレスティア王国の隅々にまで行き渡る物流網を構築しています。クロエ殿下の素晴らしい商品の数々を、数多の顧客に届けることができるのです。ここにいるような零細の行商人とは、比べ物にならない規模で」
ゴルトはいかにも見下した表情で軽く周囲を見た。視線が合った商人たちは、誰もが目を逸らしている。ゴルト商会に目をつけられたらひとたまりもないと、理解しているのだ。ロイドはやや目を細めただけで何も言わない。
「いかがです? クロエ殿下、あなたは頷くだけでいい。そうすれば富を約束しましょう。簡単でしょう?」
ゴルトの粘つくような目を正面から受け止めて、クロエは答えた。
「私の答えは――」
「私の答えは、否、よ」
「なぜ!?」
きっぱりと答えたクロエに、ゴルトは椅子を蹴立てて立ち上がった。苛立ちがあらわになっていたが、すぐに舌打ちをして表情を切り替え、猫なで声を出す。
「まあ、まだ準備が整っていませんからね。では我が商会の資本を投入し、この村まで街道を敷きましょう。隣のアトゥン伯爵様も理解を示しておられます。伯爵領と街道がつながれば、今より行き来がはるかにやりやすくなる。それから――」
「いらないと言ってるのだけど?」
クロエは冷たく言った。
「あなた、さっきから聞いていれば耳触りのいいことばかり言うのね。それだけの労力を提供しておいて、見返りは何を望むわけ?」
「ですから、商品の独占取引を……」
「それで足りるの? 取引の次は村の商品を全て寄越せ、さらに次は村そのものを寄越せと言うつもりでは?」
「そ、そんなことは」
クロエは鼻で笑った。
「ここで違うと言われたところで、はいそうですかと信じるわけがないでしょ。お前は今日一日で、ずいぶんと私の領民たちを軽んじてくれた。そんな人間と独占取引? 冗談じゃないわ。村の未来を売り渡すような真似、領主としてできるわけがない」
「はっ! エレウシス人や遊牧民を抱えている方がおかしいんですよ! これほど譲歩してみせたのに、まさか断るとは。無能王女の呼び名通り、愚かなお方だ!」
ゴルトはもはや取り繕うこともせず、怒りをむき出しにしている。
クロエは取り合わずに肩をすくめた。
「無礼討ちにしてもいいけれど、それじゃ話がややこしくなるわね。さっさと帰りなさい。……ああそうだ、『兄上によろしく伝えておいて』」
「…………!」
ゴルトはぎょっとした顔で立ちすくみ、次に足音も荒々しく宿屋を出ていった。ロイドも続く。
クロエはため息をついた。周囲を見渡せば、商人たちが不安そうに彼女を見ている。
「やれやれ。みな、騒がせて悪かったわね。聞いての通り独占取引は断ったわ。今まで通りの付き合いを続けてくれると助かるけれど」
クロエの呼びかけに反応は鈍い。
(まあ、そうよねえ。ゴルト商会みたいな大商家を敵に回すとなると、圧力もかかるでしょう。でも……)
表面的に取引を受け入れて、裏で他の商人たちと関係を構築しておく手もあった。だがクロエは、村人たちを軽んじてはばからないゴルトをこの村に置いておきたくなかったのだ。
それに最後のゴルトの態度。カマをかけてみたが、兄王子の意を受けているのは確実だろう。となれば早晩の対決は必至だった。
「いいわよ。受けて立とうじゃない」
村に人が増えれば、問題が起きるのは避けられない。クロエは決意を新たにした。
翌日、朝一番にクロエの天幕に来客があった。
ゴルト商会の秘書、ロイドだった。
「帰るように言ったはずだけれど?」
クロエの冷たい目にロイドは頭を下げる。水色の髪がさらりと揺れた。
「昨日の会長の態度をお詫びさせてください。王女殿下と村人の皆さんに失礼な言動を取った上、疑いを持たれるような取り引きを持ちかけました。申し訳ありませんでした」
ロイドは頭を下げたままでいる。
「もしお許しがいただけるのであれば、僕をこの村に置いてください。誠実な取り引きと村への尽力を約束いたします。手土産として、家屋用の木材を手配しました。どうかお願いいたします」
「…………」
クロエは内心で唸った。家屋用の建材は是非とも欲しい。移民は未だに半分程度が仮設住居に住んでいる。早めにしっかりとした住処を用意する必要があった。木材があれば遊牧民の移動式天幕を増やせるだろう。
(でも、足元を見透かされている気がするわ)
彼女が欲しがるものをぶら下げて、村に取り入ろうとしているのではないか。そんな疑念が湧く。
「……いいでしょう。滞在を許可します」
それでもクロエは言った。ここでロイドを排除したところで、ゴルト商会は形を変えて入り込んでくるだろう。であればロイドという分かりやすい人間の方がまだマシだ。そう判断してのことだ。
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる若い商人を見て、クロエは内心でため息をついたのだった。