51:春の訪れ
弟王子と大司教の一行が去った後、ほどなくして。北の土地に春がやって来た。
日に日に暖かさを増す陽の光は、新しい一歩を踏み出す村を優しく包んでいる。その明るい光のもとで村人たちは働き始めた。
井戸を掘り、トイレを整備する。残りの家屋を組み立てた。
これで今の村人はもちろんのこと、新しくやって来る移民団を受け入れる準備も整った。
春になってすぐ遊牧民たちが村を訪れて、残り二軒の移動式天幕を引き渡してくれた。おかげで住民全員の住居が整った。
「助かるわ。この天幕、もっと数が欲しいのだけど、可能かしら?」
移民団は仮設住居の資材を持ってくると聞いているけれど、この天幕はとても便利だ。多めに確保できればそれに越したことはない。
「木材があれば新しく作れる。天幕の布は予備があるのでな。一年に一、二度はこの村に立ち寄るつもりでいるから、材料を調達したら教えてくれ」
族長はそう言って、一族と羊たちを引き連れて去っていった。
村人たちは去年は牧草地だった場所を耕し始めた。かなりの広さがある上に、今まで畑として使っていなかった場所だ。耕すのは相当な手間がかかると予想された。
そこで魔牛たちの登場である。魔牛は通常の牛よりも体が大きく、力が強い。クロエの草をたっぷり食べて、体力もみなぎっている。魔牛に牛用の農具を取り付けて土起こしをさせた。
「ぶもぉ~~!」
魔牛たちは張り切っている。鼻息荒く畑を歩けば、木枠で取り付けた犂が深く土に食い込んで、すごい勢いで耕されていった。
魔牛に取り付けた牛用の鋤はフリオが調達してきた。魔牛には小さすぎたので、鍛冶屋の老人がサイズ調整を施した。
「手作業ならかなり時間がかかると思ってたんだがよ。すげえな」
ほんの数日ですっかり土起こしが終わった畑を見て、村長が腕を組んだ。
「姫さん、牛どもにご褒美の草をたっぷり食わせてやってくれ」
「もちろんよ」
魔牛に作業を教え込んだアオルシも得意げだ。
もっとも畑耕しはこれで終わりではない。今はまだ土をざっくりと起こしただけだ。これから土に混じった小石を取り除いたり、土をほぐすために鍬を入れたり、肥料をすき込んだりしなければならない。まだまだ道のりは長い。
人と牛は協力しながら、春の仕事を進めていった。
一方でクロエと子どもたちは、畑の隣に草地を作り始めた。今年は牧草地として利用して、来年は二圃制の畑にする予定である。
「さぁみんな、やるわよ。おーっほほほほ!」
「へっへっへー! 草生える!」
「羊さんと牛さんのご飯の、草生える!」
「大草原! きゃははっ」
ぴょこ、ぴょこん! わさわさ! 春の大地に次々と緑が芽吹いていく。
元々の村の子どもたちは、もうすっかり慣れたものだ。棄民の子らは最初こそ戸惑っていたけれど、すぐに笑い始めた。
裸足になって輪になって、草を踏む感触が心地よい。春風が吹いてクロエの蜂蜜色の髪をなびかせた。
「今年は畑を大きくして、いっぱい作物を作って、名物を増やして。もうすぐ移民団が来るから、人手が増えるわ」
「人がふえるの? ミルカーシュの人が来たみたいに?」
クロエの手を握ってペリテが問いかける。
「そうよ。私の弟が人を呼んでくれたのよ。今年はいよいよ、飛躍の年になるわ。人手が増えれば畑を耕すのも楽になる。今まで作った料理や石鹸を売り込んで、お金を稼ぐ。暮らしが豊かになるの」
「すごーい!」
「子どもも来る? 友だちふえるかな?」
「ええ、きっと来るわ。みんな仲良くしてあげてね。頼んだわよ」
「うん!」
子どもたちの明るい笑い声が響く。この幸せを守るために力を尽くそうと、クロエは思った。
春は魔羊と魔牛の出産シーズンでもある。魔羊は六頭、魔牛は二頭の赤ちゃんが誕生した。
出産の対応も遊牧民は慣れたもの。アオルシを中心にテキパキと介助をして、全員が無事に生まれてきた。
遊牧民との取り決めでは、新しく生まれた羊は村のものになる。財産が増えた形である。
アオルシは魔羊の毛刈りも始めた。専用のハサミで器用に毛を刈っていく。彼に教えられて、牧童になったミルカーシュの少年と少女もおぼつかない手つきでハサミを使っている。
「ミルカーシュにも羊毛織りの技術があるんだろ?」
アオルシが言えば、少女が頷いた。
「うん。道具さえあれば婆ちゃんが織るって言ってたよ」
「それなら、今年は織り機を調達しないとね」
彼らの話を聞いていたクロエが言う。
刈った羊毛は川で洗われて、干されて、倉庫に入れられた。いずれ糸紡ぎから始める予定である。
「赤ちゃん、かわいいねぇ」
ペリテたちは牧草地に来ては、小さな羊と牛をニコニコ笑顔で眺めている。
村を移転したおかげで牧草地との距離が近くなった。子どもたちは気軽にやって来ては遊んでいく。塩の採取や畑の手伝いはあるものの、子供らしく遊び回る姿は見る者の心を和ませた。
アオルシが言った。
「六頭も生まれたなら、一頭は肉にしてもいいな。仔羊の肉は柔らかくてうまいし、胃液はチーズを固める材料になる」
「ちょっとアオルシ。子どもたちの前でそんな言い方しないで。ショックを受けたらどうするの」
クロエは眉を寄せたが、ペリテは首を傾げた。
「クロエ様、どうして? かわいいのとお肉がおいしいのはカンケイないよ?」
「えっ」
他の子どもたちもそうだ、そうだと頷いている。
「あたし、前にニワトリを飼っていたよ。卵を産むかわいい子だったの。でも食べ物がなくなって、お肉にして食べちゃった。こう、首をぐるって回して」
ペリテはあっけらかんとしていた。棄民の子を含めて子どもたちはみんな農村育ち。命をいただくことに対し、尊敬の念はあっても忌避感や恐怖はないらしい。
(なんてこと。温室育ちは私だけだったなんて……)
以前クロエは兄王子に対して温室育ちだと嫌味を言ったことがあったが。遅効性のブーメランとして返ってきてしまった。
「みんな、たくましいな」
レオンが言った。クロエは仲間を見つけたとばかりに言い募る。
「都会住みだと食材になる前の命に触れる機会、ないものね。仕方ないのよ」
「いえ? 私は前に言った通り、騎士見習い時代に食事番をしていました。ニワトリを締める程度ならしましたし、狩った獲物を捌くこともありました」
涼しい顔のレオンにクロエは目を剥いた。
「なっ、この……裏切り者!」
「何も裏切った覚えはありません。殿下が勝手に期待して勝手に落胆しただけでは?」
正論だった。クロエは言い返せなくて、内心で地団駄を踏む。
「もういい! 草を生やすわ。クローバーと風タンポポと、他にも新しい草をたくさん!」
畑がしっかりと準備できたら、そちらでも生やす予定でいる。けれど練習は必要だろう。
冬の間に読み込んだ植物図鑑を思い出しながら、クロエは思いっきり高笑いをしたのだった。