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50/69

50:問答


 真夜中。

 サルトはもちろん、他の大人たちも寝静まった頃。

 クロエはそっと天幕を抜け出して、村はずれまで行った。遠くに見える火山の影。その影に埋もれるようにして、一人の人物が佇んでいた。


「……ヴェルグラード」


「おやおや、クロエ殿下。ずいぶんと夜ふかしですね」


 空にかかる月は細くて、彼の表情はよく見えない。


「よく言う。あなたが呼んだのでしょう」


 クロエの答えに、ヴェルグラードは低く笑った。


「いいえ? 私は少しばかり刺激しただけですよ。殿下の中にある世界樹の種を」


「…………!」


 見透かされている。クロエは一歩後退り、レオンを連れてこなかったことを後悔した。

 ヴェルグラードはゆっくりと身体を巡らせて、北の川辺を見た。


「水の精霊」


 次に南の火山を見る。


「火の精霊」


 そして、手にした錫杖で大地を突いた。


「大地の精霊、ですか」


 錫杖の輪がしゃらりと鳴る。


「まさかたった一年で、三つもの封印が解かれるとは思いませんでした。困りましたねぇ」


 ふと夜風が強く吹いて、彼のフードを落とした。その下にあるのは、二十代後半の青年の姿。艷やかな黒髪を長く伸ばし、鋼色の瞳を丸眼鏡で覆っている。


「……どうするつもり? 私を殺す?」


 クロエが唸る。救世教の精霊に対する処し方を見れば、その可能性は大いにあり得た。

 大司教は困ったように微笑む。


「そうしたいのは山々なのですが。昼間も申し上げた通り、殿下は私の理想でもあるのですよ。蔑まれて故郷を追われながら、心を強く持ち続け、努力を惜しまずに物事を成し遂げた。今、殺してしまうにはあまりに惜しい」


 いつもの慈愛に満ちた聖職者の顔で、ためらいもなく殺すと口にする。奇妙なギャップにクロエは奥歯を噛んだ。


「精霊の力を借りたといっても、ギリギリ許容できる範囲です。できればこの土地は、人の力だけで耕して欲しかったのですが。それでもまぁ、依存するというほどではない」


 ――『守り人』の存在も不明ですしね。不明である限りは、殿下を始末しても解決にならないかもしれない。


 口の中で呟かれた言葉は、クロエの耳には届かなかった。


「ここまでなら良いでしょう。……ただし、これ以上はいけません。万が一にも世界樹の種を芽吹かせる事態となれば、私は貴女の『始末』を実行します。もっとも種を発芽させるには、あと一つ。風の力が必要だ。風は少々複雑な封印でしてね、これまでのように偶然に解けることはないでしょう」


「ずいぶん詳しいのね」


「伊達に大司教はやっていませんから。クロエ殿下、私は警告に来たのですよ。これ以上は決して、精霊の力を頼らぬよう。過度に依存するようであれば、世界樹の種が芽吹かずとも、貴女の命は終わると思ってください」


「……どうしてそこまで精霊を毛嫌いするの? 私が出会った精霊たちは、救世教で言われるほどに邪悪には見えなかった」


「邪悪ですよ」


 ヴェルグラードの口調は静かだったが、どこかで何かが切り替わったとクロエは感じた。


「あれらは人を籠絡し、堕落させ、人類の進化の芽を潰す存在。楽園に見せかけた地獄に引きずり込み、人が自らの足で歩く機会すら奪い、最終的には無為な死をもたらす。これを邪悪と呼ばずして、何と呼ぶのか……!」


 クロエは眉をひそめた。救世教の教義では、精霊は人を堕落させる悪魔とされている。しかし彼の言い分は聖典に書かれている内容よりもさらに踏み込んだものだ。


「まるで見てきたかのように言うのね」


 クロエが言うと、大司教は皮肉な笑みを浮かべた。


「はは、そうですね。こんな話があるんですよ。精霊の与える恵みに過度に依存し、滅びてしまった愚かな国の話です。尽きぬ恵みは人から労働と努力の意味さえ奪い、ただ生きているだけの状態へ追いやりました。人々は享楽にふけり、やがてそれすら飽きて、無気力に死んでいきました。衰退ですらない、まさに退化です。あんな状態は許されるはずがない……」


 呟くような言葉だった。クロエは眉をひそめる。


「それは、どこの国の話なの?」


「……私の故国です」


「え」


 そういえば、彼はどこの生まれなのだろう。巨大な宗教組織である救世教のトップなのに、個人の情報がほぼ出ていない。

 クロエはさらに言葉を重ねようとしたが、ヴェルグラードは先んじて口を開いた。


「少し喋りすぎたかもしれません。クロエ殿下は聞き上手ですね。せっかくですから、もう一つだけ秘密を教えてしまいましょうか」


 ヴェルグラードは人差し指を唇の前で立てた。茶目っ気のある動作は、もう普段の彼のものである。


「クロエ殿下のスキル。私にとって都合が悪かったので、少し改竄かいざんを施しました。貴女の本来のスキルは【大地の精霊の祝福】。もう何百年も現れなかった、精霊の加護が得られる稀有なスキルです」


「……そうだったのね」


 クロエが冷静に頷くと、彼は意外そうに首を傾げた。


「驚きませんね?」


「火の精霊がそんなことを言っていたから」


「あぁ、なるほど。あれはお喋りですから。なーんだ。せっかく秘密を教えて差し上げたのに、空振りしちゃいました」


「軽く言うわね」


 クロエは低い声で言った。


「おかげで妙なスキルになって、さんざん苦労させられたのよ」


「ははは、すみません。けれど救世教の影響が強いあの国で、精霊の祝福なんて出たら大騒ぎですよ。処刑は避けられないところです。むしろかばったと思ってほしいですね」


「どうして殺さなかったの? あなたにとっては憎むべきスキルでしょうに」


「無差別な人殺しのように言われるのは心外ですね。クロエ殿下が努力家なのは知っていました。そのような人物をただ殺すのは、あんまりだと思っただけです」


「お優しいのね」


「ええ、おかげさまで」


 皮肉を言っても手応えがない。


「さて」


 ヴェルグラードは錫杖をしゃらりと鳴らした。


「冷え込んできました。そろそろ天幕に戻るとしましょうか」


「まだ聞きたいことがあるけど、答える気はなさそうね」


「はい。私の伝えるべきことは、もう伝えましたので」


 ――警告。クロエがこれ以上精霊の力を使うのであれば、暗殺を辞さないとの表明。

 悔しいが今のクロエに対抗策はない。従うしかない、今は。


「それでは、おやすみなさい、殿下。良い夢を」


 去っていく男の後ろ姿を眺めて、クロエは息を吐いた。それでようやく、自分が息をするのすら苦しいほどの重圧を受けていたと気づいた。


 夜空には細い月。微かな光で地上を照らしている。




これにて第5章は終了です。ここまでお読みくださりありがとうございます。

次章は少し雰囲気が変わって、村に近づく悪意と戦うお話がメインになります。


「面白そう」「続きが気になる」と思いましたら、ブックマークや評価ポイントを入れてもらえるととても嬉しいです。

評価は下の☆マーク(☆5つが満点)です。よろしくお願いします。

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