04:荒れ地に草生やす
村長はそれきり口を閉ざして、何も喋らなくなってしまった。クロエは対話を諦め、畑から引き上げる。
村の中央まで戻って、周囲を見渡した。数えるほどのあばら家と、村の周囲を取り巻く小さな畑。そしてその先に見えるのは、どこまでも続くひび割れた大地だった。
「こんなにひどい状態だったなんて」
クロエは王女として様々なことを学んできた。統治と政治のあり方、税の適切な設定と使い道など。
セレスティア王国には救民制度がある。飢饉が起きれば国の備蓄を放出して人命をつなぐ。災害時には復興支援がある。
クロエが物心ついて以来、大きな災害や飢饉、戦乱などは起きていなかった。それでも制度として存在するのは学んでいたし、有事には機能すると信じていた。
クロエ自身も王都周辺の農地を視察したり、国立孤児院の運営をしたりした。彼女が見聞きした範囲では、大きな問題は起きていなかった。
それがどうだろう。王都から遠く離れた辺境の土地では、見捨てられた民たちが辛うじて日々を生きている。
「私……何も見えていなかったんだわ」
クロエの小さな独白を、レオンは黙って聞いている。
「王都の近くの豊かな場所だけ見て、分かった気になっていた。……でも、国の支援は受けられるはず。今からでも担当官に訴え出れば」
「無駄でしょうね」
レオンはきっぱりと言った。
「どうして!?」
「この土地はエレウシス王国に近い。村人たちにもかの王国人の特徴がいくつかあった」
エレウシス王国は十五年ほど前に滅亡した小国である。クロエの故国、セレスティア王国と長らく戦争状態にあったが、ついに首都が陥落。王は討ち死に、王妃と幼い王子は自害して王家の血統は途絶えた。エレウシス王国の王都は破壊されて瓦礫の山になり、住民たちは強制的に移住させられた。その多くは鉱山や僻地の開拓などの過酷な労働に従事している。
「セレスティアにとっては旧エレウシス人は奴隷も同然。働かせて成果が出れば良し、そうでなければ使い潰す。暗黙の了解です」
「…………」
レオンの平坦な声に、クロエは唇を噛んだ。
エレウシス滅亡は彼女が生まれた年の出来事。物心ついた頃には戦後処理が終わっていて、戦争の実感はなかった。
セレスティア王都にエレウシス人はほとんどいない。クロエにとってこの問題はどこか遠く、自分自身に関わるものと思えなかったのだ。
「私は旧エレウシス人も、セレスティア人と同じ権利を持つべきだと思っている。でも……正面から官吏に訴えても無駄ね」
旧王国人を明確に差別する法律はない。けれど人々の心に根付いた『敵国』への敵意と嫌悪は、今でも根強く残っている。まともに訴えたところで握りつぶされるだろう。
ましてやクロエは追放された王女。発言権はないに等しい。――全ては無駄なのだ。
心に一点、黒い染みのような絶望が落ちた。
けれど。
「無駄……。無駄ですって? 冗談じゃないわ!」
荒れ果てた村の真ん中で、クロエは叫んだ。心に染み込んできた絶望を振り払うように。
「私は領地を豊かにするために来たの。いずれ王都に舞い戻るためにね! でも、それはこの村が新しい基盤になってこそ。だから民たちは、幸せにならないといけないのよ。私の民がこんなに苦しんでいるなんて、許さない! 絶対に今この状況を変えてみせる!」
「心意気は立派ですが、具体的には?」
レオンの冷静な声にクロエはぐっと言葉に詰まった。拳を握りしめて答える。
「――草を生やすわ」
「雑草をですか?」
「そうよ! 草一本生えない荒れ地だもの、まずは緑で覆わないと。その後のことは、それから考える」
「いやはや。何とも行き当たりばったりだ」
レオンの嫌味な笑みを無視して、クロエは腰に両手を当てた。すうと大きく息を吸い込む。
「おーっほほほほ! 草生えるわ! 生えて、生えて、大草原! おーっほほほほほほほ!」
ぴょこん!
高笑いに反応して、小さな草の芽が顔を出した。未だ凍った地面を貫いて、確かな芽吹きだった。
「刮目しなさい。これぞ私の唯一無二の力!」
「……あ、枯れましたね」
「え、ちょっと待って。早くない!? 今芽吹いたばかりよね!?」
少しばかり地面から飛び出した芽は、みるみるうちに元気をなくしてしおれてしまった。王宮で実験をした時は、そのままぐんぐん育っていたのに。そのおかげで庭師から「姫様! 雑草増やすのやめてください!」とクレームが入ったほどだったのに。
そもそも芽を出した草の数も少なかった。スキルとは魔法の一種で、魔力を使って発動させる。先程、クロエはかなりの魔力を込めて高笑いした。それこそ周囲が雑草畑になるくらいの勢いで、だ。それなのに生えた草はほんのちょっぴりだったのである。
「どうして……」
クロエは地面に膝をつき、ドレスの裾が土で汚れると気付いて一瞬だけ動きを止めたが、すぐに首を振った。このドレスは王都から持ち出した数少ない貴重品。けれど今、華美なドレスなど何の役に立つというのか。
(冷たい)
枯れた雑草の芽に触れれば、手袋越しにも凍った土と同じくらいの冷たさを感じた。
「気温が低いのもあるけど、それだけじゃない。スキルの反応が鈍すぎる……!」
クロエは手袋を外して素手で土に触れた。後ろではレオンがぎょっとしている。
草生えるスキルに目覚めてからも、クロエは土を触ろうとはしなかった。ドレスや手が汚れるのが嫌だったし、虫も苦手だったからだ。
「殿下、土には虫がいるかもしれませんよ」
レオンが嫌味な口調で言えば、クロエはぱっと手を離した。振り返って護衛騎士を睨む。
「うるさいわね。せっかく忘れていたんだから、いちいち言わないでちょうだい」
「主に悪い虫がつかないようにするのは、騎士の務めですから」
「虫の意味が違うでしょ! いらないから、その務め!」
雑草魂だの虫よけだの、ちっとも面白くない冗談ばかりである。
クロエは憤怒の形相で両手を地面につけた。凍った土の感触が指を冷やしていく。それに負けず、手指から魔力を放出した。
「おーっほほほほ! 草よ、生えなさい!」
ぴょこ、ぴょこん! 先程よりも多めの草が芽吹いて――やはり枯れた。
「……やっぱり。この土地は魔力の流れが悪すぎるわ。不自然なほどに」
立ち上がって手の土を払い落とし、クロエは唸った。
「王宮の庭は魔力が整えられていたし、王都の周辺は豊かな土地だった。それに比べてもおかしいわ。魔力量がひどく少ないだけでなく、そう、まるでわざと魔力の流入を防いでいるような……?」
クロエは追放される以前は優秀な学生だった。スキルに目覚める十五歳までは本格的な魔法は扱えない決まりであるものの、魔法理論の講義では常に首席を取っていた。だからこそ彼女には分かる。これは自然の状態ではありえない、と。