39:遅れた訪問
朝、クロエが起床して身支度をしていると、何やら地響きの音がした。何事かと外に出てみると、音は北の方角から聞こえてくる。
「みんなが来た!」
アオルシが叫んで天幕から飛び出してくる。彼は村の北側まで走っていって、大きく手を振った。
クロエもそちらを見ると、遠くに雪煙が見える。だんだんと近づいてくれば、羊と馬と人の群れだと分かった。遊牧民たちだった。
「父さん! 母さんと兄さんも!」
「久しいな、アオルシ。元気にしていたか?」
馬から降りた族長にアオルシが駆け寄る。
「約束じゃあ村に来るのは秋だったのに。もうすっかり冬だよ? 心配したんだから」
「すまんな。少々事情があったのだ」
族長はクロエを見て礼をした。
「クロエ殿もご無沙汰している。アオルシは役に立っただろうか?」
「もちろん! 色々助けてもらったわ」
クロエも笑顔で応じる。
「寒い中で立ち話も何だから、家に入って。あぁ、東側に草地があるから、羊たちに食べさせていいわよ」
「なんと、この冬の季節で草があるのか。さすがクロエ殿だ。助かる」
「父さん、家に入る前に草地を見ていってよ。魔牛がいるんだよ!」
アオルシがにやりと笑いながら言うと、族長は目を見開いた。
「何……!? 魔牛スラビーか? あの気性の荒い魔物を飼い慣らしたというのか」
「まあね、ちょっとコツがあってね?」
アオルシは得意満面だ。
族長を連れて東の草地へ行くと、魔牛と魔羊たちがいつも通りもこもこの塊になっている。魔羊の毛に包まれてのんびりとしている魔牛を見て、族長と他の遊牧民は声も出ないほど驚いていた。
「それで族長。ちょっと商談をお願いしたいのよ」
遊牧民たちが自分の羊に草を食べさせるのを見ながら、クロエは族長を自宅へ来るよう促した。部屋に入るとイルマがやって来て、白湯を出してくれる。お茶は高級品なので、まだ村にはないのだ。
クロエ、レオン、アオルシ、族長でテーブルを囲む。
「あなたたちの移動天幕を譲ってほしいの。対価は魔牛のつがいでどうかしら」
「なるほど……。それはこちらにとってもいい話だ。三軒、いや、クロエ殿への恩義を考えれば四軒でもいい。渡そう」
「助かるわ」
クロエはほくほくとした笑顔になった。天幕が四軒あれば村の人口の半分近くの住居になる。春以降、北の畑近くに村を移転する際に大きな助けになるだろう。
「父さん、四軒も出す余裕があるの?」
アオルシが少し意外そうにしている。族長は腕を組んだ。
「一軒ならば予備がある。もう二軒程度であれば、他の氏族のツテを当たって譲り受けられる。もう一軒は、そうだな……。この村の空き家の木材を利用すれば間に合うだろう」
「それって結局、うちの村の資材じゃないの」
クロエがジト目で言って、族長は苦笑した。
「その分、他の物を上乗せしよう。今年はクロエ殿の草のおかげで、羊たちがよく育った。春に生まれる予定の仔も多い。何か欲しいものはあるか?」
「それじゃあ、毛織物の服はある? 冬用の服が足りなくて寒い思いをしているの。あと毛布も」
「もちろんだ。それならば在庫が十分にある」
「何なら織る前の羊毛も欲しいわ。この村でも羊を育てたいと考えているから、毛を刈って布やタペストリーに加工できれば、名物になるもの」
「なるほど……」
族長は少し言い淀んだ。
「何よ。問題ある?」
「羊毛紡ぎと機織りは、相応に技術が必要になる。道具も必須だ。だから学びたいのであれば、村の人間を我らの元へ寄越す方がいい、とは思うのだが……」
「はっきりしないわね」
族長はため息をついた。
「この村に訪れる時期が遅れただろう。その件と関係のある話でな」
「そういえば約束の時期よりだいぶ遅かったよね。俺、心配したんだよ。何があったの?」
「……荒れ地で拾いものをした」
「へ?」
重々しい族長の言葉に、クロエとアオルシは首を傾げた。
「拾いもの? 何を拾ったの?」
「人間だ」
部屋の中に少しの沈黙が流れた。
「人間を拾ったなんて……捨て子でもいたの?」
クロエは眉を寄せたが、アオルシは事情が分かったようだ。はあと息を吐いた。
「クロエ様。荒れ地はね、たまに人間が捨てられているんだ。捨て子って意味じゃないよ。何て言ったっけ……」
「棄民、だな」
棄民とは、戦争や災害で難民になってそのまま国に見捨てられた人々を指す。
「今回拾ったのは、ミルカーシュ王国の民たちだ」
ミルカーシュ王国は荒れ地の南東に位置する小国で、救世教の本拠地である聖都市と強国の魔道帝国に挟まれている。双方からの圧力を受けながらも国としてはそれなりに機能していたが、今年の秋は不作のため飢饉が起きたのだという。
「荒れ地は豊作だったし、セレスティアも普通の出来高だったのに。あちらは不作だったのね」
「まあ、相応に距離が離れているからな。作っている作物も違うのだろう。……それで、我らは遊牧の途中で棄民たちに出くわした。正直、去年までであれば見捨てていたのだ。我々とて暮らしに余裕があるわけではなく、他人を養っては生きていけない。わしの役目は一族を食わせること。やむを得なかった」
族長の言葉にアオルシが目を伏せた。彼にも『見捨てた』経験があるのだろう。
「だが、今の我らにはいくばくかの余裕があった。加えて、クロエ殿の村が豊作だったのは風の噂で聞いていた。それで、その……」
「棄民を私の村に押し付けようってわけ?」
クロエが身も蓋もなく言うと、族長は慌てて付け加えた。
「いや。村が大きくなるなら、人手として使ってはどうかと思ってな。ミルカーシュ王国も農耕の民だ。知識や技術の交換ができるだろう。それにクロエ殿の村で引き取る余裕がないのであれば、我らが隣町まで送り届けようと思っていた。……棄民たちは年寄りと子どもが多く、馬にも乗れない。それで旅の足が遅くなり、到着が冬になってしまった」
「隣っていうと、アトゥン伯爵の町かしら。あんなところに連れて行っても、追い返されるのがオチよ」
「む……。では、何とか引き取りを頼めないだろうか」