38:王都での一幕
クロエたちが忙しい冬を過ごしていた頃のこと。
セレスティア王都では、北の荒れ地の噂話が広がっていた。
「王女様が追放された荒れ地があるだろう。あの草一本生えないと評判の」
「聞いた、聞いた。何でも地下水脈が見つかって、川が流れるようになったと言うじゃないか。おかけで去年はえらい豊作だったとか」
「クロエ王女様の手腕もあるんじゃないの? あのお方は変なスキルが出て追放されたけど、それまでは優秀だったじゃない」
「スキルは無能でも統治の腕前は優秀だったのかもな」
「惜しいなあ。スキルが有用なら次期女王もあり得ただろうに」
そんな話が平民・貴族を問わずに流れている。
王城で噂話を聞きつけて、クロエの兄である第一王子は舌打ちをした。
「くだらん。あれは無能スキルの持ち主、すなわちただの役立たずだ! あんな無能が次期女王であってたまるか」
イライラと爪を噛む。
王太子である彼も領地を与えられているが、昨年はやや不作だった。大きな問題が起きるほどではないものの、妹と比べられているようで腹立たしい。
だいたい、報告役としてつけた護衛騎士がろくに情報を上げてこないのも気に入らなかった。あまりにも何も音沙汰がないから一緒に野垂れ死んだと思っていたら、これだ。
「あの騎士風情め。王子である俺の命令を無視するとは、罰してやる」
気分転換をしようと執務室を出れば、庭師たちが話をしているのが聞こえてきた。
「今年は花も木もちょいと元気がなかったな」
「ああ。春の頃、クロエ殿下が雑草を生やしていたのが懐かしいよ」
またクロエの話だ。王太子は内心で歯噛みをしながら歩いていく。
神殿の入口近くまで行くと、大司教ヴェルグラードと弟王子のサルトが連れ立って出てくるところに出くわした。
「ごきげんよう、兄上」
弟は丁寧に、大司教は略式の礼を取った。王太子も返す。
「サルト、お前が神殿にいるとは珍しい。どうしたんだ?」
「大司教様に相談があって、お話を聞いていただいておりました」
「ほう。どんな内容だ?」
サルトの視線を受けて大司教は頷いた。
「クロエ殿下の領地に援助をしたいと相談されましてね。かの村は元々希望のない開拓地でしたが、水脈の発見で事情が変わった。クロエ殿下の手腕もあって発展しつつあるようです」
「それで、人手を出したいと思ったんです。王都周辺は安定していて、人口に余裕があります。追加の入植団を組織して、姉さまの村に送り届けてはどうかと」
「……なんだと」
王太子は考える。大変面白くない話だが筋は通っている。サルトの口添えで大司教から奏上すれば、国王も採用する可能性が高い。
「だが、あそこは旧エレウシス人の村だ」
それでも彼は言った。
「荒れ地が発展するというなら、奴らは追い出してセレスティア人を入植させればいい。鉱山や他の辺境など、使い潰す場はいくらでもある」
「王太子殿下。それはあまりにも酷というものでしょう」
ヴェルグラードがたしなめるように言う。
「エレウシス王国は邪悪な精霊を信仰する国でしたが、滅亡してもう十五年。荒れ地の村の彼らが生き延びたのは、彼ら自身の力と努力の結果に他なりません。必死の思いで日々を生きる人々は、我ら救世教の保護すべき対象です。私はむしろ、長年にわたって彼らを放置しすぎたと反省していたのですよ。そろそろ彼らの努力を認め、セレスティア人と同等の権利を確保すべきでしょう。その第一歩をクロエ殿下の領地で行う。国王陛下に相談するつもりですよ」
現国王は十五年前のエレウシス戦争において、大司教に大きな借りがある。セレスティア単独では兵力が足りなかったところを、救世教の僧兵団を借りて戦争に勝利したのだ。おかげで当時王太子だった国王は権力基盤を盤石にして、無事に国王の地位に登った。
救世教の教義は『たゆまぬ努力と研鑽は、人の魂を磨き上げる』。スキルに代表される能力を高めることを至上命題とする、修行僧の色合いを帯びた宗教団体だ。
ゆえに世俗の権力争いとは距離を置いていて、セレスティア国内でも教団の権力はそこまで強くない。ただし今の国王は個人的な借りがあるので、大司教に逆らうのは難しい。そんな微妙な事情があった。
「でも、姉さまは救世教の司祭の受け入れを断ったそうです」
サルトが続けた。
「スキルの件で、救世教をあまりよく思っていないのかもしれません。残念です……」
「自らが無能だからといって、領地の助けになる司祭を拒むとは。クロエめ、やはり器が知れる」
王太子は憎々しげに吐き捨てた。
ヴェルグラードが柔らかく微笑む。聖職者のまとうフードの奥で、艷やかな黒髪がさらりと揺れた。
「我々は押し付けません。我らの教義は人として当然のことを説くだけで、特別なことは何も言っていないのですから。滅すべきは悪しき精霊とこれを信奉する者のみ。クロエ殿下にも今の旧エレウシス人にも罪はないのですよ」
「ですので、司祭の派遣と教会建立は今は考えず、人手だけを送れればと思っています。父上に奏上をして、早めに承認されれば、春には移民団を送れます。辺境の地できっと苦労されているから、移民団には物資を付けたいですね」
サルトが話を結んだ。
王太子は思う。
(まずいぞ。この話は採用されるだろう。そうなればクロエの村がますます栄えて、あいつの功績になる。功績が積み重なれば、いずれ王位継承権の復帰も……。あぁ、クソッ! 何か手を打たなければ!)
大司教と弟は和やかに談笑を続けている。
その様子を表面だけは笑顔で聞きながら、王太子は黒い思いを増大させていた。




