33:祝福
精霊イコール悪魔説が根強いこの国で、悪目立ちはしたくないのに。クロエは内心で毒づいた。
フリオは倉庫のカボチャを一つ手に取った。他よりも大きいサイズのカボチャで、皮にツヤがある。
「見てください、祝福された野菜たちの輝きを。評判になるのも当然ですよ。本来よりも一回り魔力が多く含まれていて、その分だけ瑞々しく甘みも強い。それに、祝福がない野菜も出来がいい。馬車に載るだけ買い取らせて欲しい……と言いたいところですが、村の越冬用の食料が必要ですよね」
「余るのは確かだが、どのくらいと言われるとすぐには答えられんな。しっかり数えてみるから、ちょっと待ってくれ」
村長が答えるとフリオは頷いた。
「もちろんです。では、次は魔牛のチーズを見せていただけますか」
「それはこっちよ」
クロエが先に立った。向かったのは空き家になっていた民家の一つだ。ここはチーズ作りの拠点なっていて、たくさんの乾燥途中のチーズが吊るされている。乾燥が終わったチーズはずらりと棚に並んでいた。
「ふぅむ、これは……。こちらのチーズも、薄っすらと祝福されていますね。材料は牛乳ですから、祝福されたものとそうでないものが混じっているのかもしれません。乳搾りをした日の違いでしょうか?」
(チーズまで? なんで!?)
畑の作物が祝福されていたのは、大地の精霊が出現したせいのはずだ。だが、魔牛のいる牧草地は少し離れている。
わけが分からず、クロエはまたしても内心で頭を抱えた。
村で一泊したフリオは、朝のうちに北の牧草地へと出発した。クロエとレオン、ペリテと何人かの子どもたちがついていった。
秋も後半の荒れ地は冷たい風が吹いている。土と岩とがむき出しの大地は、少しの風でも砂埃を立てて目や喉を痛めがち。
しかしそれは去年までのこと。今はクロエが歩く道に薄らと草が生えている。それはさながら緑の道しるべのようで、フリオは驚きの念を隠しきれなかった。
やがて牧草地に着いた。さらに北側には、水をたっぷりと湛えた川が流れているのが見える。
牧草地ではアオルシたち遊牧民がいて、いつも通り魔羊と魔牛の世話をしていた。
「クロエ様、こんにちは。今日の分の牛乳は今から持っていくところだったよ」
「あなたがたは遊牧民ですか? どうしてここに?」
フリオが意外そうに言う。見慣れない顔にアオルシは首を傾げたが、クロエから「村の馴染みの行商人よ」と説明されて納得したようだ。
「俺たちの一族はクロエ様に借りがあって。魔羊と一緒にここに残って、村の手伝いをしてるのさ」
水源での出来事は口止めをしてある。アオルシはそれ以上詳しいことは言わなかった。
フリオも特に疑問に思わなかったようで、牧草地を見回している。
「本当に魔牛スラビーがいますね……」
魔牛たちはいつも通り、のんびりと草を食んでいる。もう冬が近い時期だが、クロエのスキルのおかげで牧草地は緑に覆われていた。
フリオは油断のない目つきで周囲を見やった。魔牛や魔羊だけでなく、地面に生えている草にも目を向ける。屈み込んで草を触り、土に触れた。
「信じられないことですが、草の一部に祝福が見られます」
「えっ」
フリオの言葉にクロエはのけぞりそうになり、辛うじて踏みとどまった。
(てっきり大地の精霊のせいだと思っていたのに。私だったの!?)
「領主様。本当に、一体、ここで何があったのですか。去年――いいえ、今年の初めに村を訪れた時は、何も変わりありませんでした。ここはずっと貧しい土地で、ろくな作物が実らず、人々は苦労してばかりで……。それがたったの半年少々で、ここまで変わるとは。村人たちは顔色が良くて、肉付きもふっくらとしてきた。畑は豊作で草地が広がり、魔羊はおろか魔牛までいる。
何があったのですか。いえ、違いますね。『あなたは何をしたのですか?』」
フリオに正面から見つめられ、クロエは素早く考えを巡らせた。
彼の言葉を信じれば、クロエの【草生える】スキルには祝福効果がある。祝福とは対象物の魔力を強化するもの。
(草の魔力を強めたから、荒れ地のような土地でも草が根付いたのかしら?)
そもそも【草生える】スキルは、未知の可能性がたくさんあった。
本来であればこの地に存在しない草が生えた。だから、地中の種の成長を促進して発芽させるような単純なものではない。
――魔力による生命創造。魔法の目指す極地の一つ。
その考えに改めて至って、だが、クロエは冷静だった。
王都にいた頃のクロエは、自分の能力に自信を持っていた。努力家の優等生で、いつかは兄を追い抜いて女王になる夢まで抱いていた。国を治めて民を導いていくのだと。
だがこの半年で学んだことがある。彼女一人では何も成し遂げられなかった、ということだ。
最初の草を生やしたのは、子どもたちの協力があってのことだった。
水脈の在処を突き止められたのは、遊牧民たちがいたからだった。
牧草地は魔牛や魔羊がいなければ、ここまで広がらなかった。彼らが草を食べて土を掘り返し、フンをしたおかげで土が肥えたのだから。
個人の魔力やスキルだけではどうにもならない、自然の営み。
厳しい自然の中にあって、諦めずに生き抜く人々……。
王城の快適な暮らしに慣れきっていたクロエにとって、村での生活は驚きの連続だった。
それに、と彼女は思う。
間近で見た水の精霊と大地の精霊。あれらは圧倒的な魔力を纏っていた。人間一人では到底届かない、届くはずのない存在。
精霊は自然の化身だと遊牧民は言った。
村人であるエレウシス王国人は、精霊を隣人と呼んだ。
強い力を持つが、邪悪とは思えない。クロエに宿る世界樹の種子は、今でも温かな感触をもたらしている。
あれらの超常の存在を前にして、人間という小さな存在を思い知らされた。
いくつもの奇跡を目の当たりにした彼女にとって、自分のスキルが実はすごかったと気付いても今更感があるのである。