30:夜の出会い
やがて焚き火は燃え尽きる。捧げ物を焼いた灰は秋風に乗って、静かに散らされていった。
村人は三々五々、家に帰っていく。クロエもここ数日の旅の疲れが出たので、早めに休むことにした。
――夜半。
ふと、クロエは目を覚ました。
夜中に目が覚めるのは、彼女としては珍しい。普段は朝までぐっすりである。
目を閉じるが、どこか落ち着かなくて眠れない。クロエは仕方なく起き上がった。
秋の夜の空気は肌寒い。クロエは上掛けを羽織り、家の外へと出た。
村はしんとしている。みな寝静まっているのだろう。
夜空を見上げれば、見事な満月が金色の光を降らせていた。
クロエは何とはなしに畑へと足を向けた。特に考えがあったわけではなく、本当に何となく足がそちらに向いたのだ。どことなく引き寄せられているようでもあった。
そして、夜の暗闇に溶け込むように立つ人影を見つけて腰を抜かしそうになった。
「だ、誰……?」
人影は明らかに常人ではなかった。一見すれば、美しい麦穂色の髪をした女性に見える。長い髪には様々な草花を編み込んで、複雑な模様を描いている。
瞳は琥珀。クロエを見つめる視線は、圧倒的な魔力の圧を感じさせた。
そして特筆すべきは彼女の下半身だった。美しい上半身に対して、下半身は黒い影に沈んでいる。その影が時折蠢いて、獣のような呻き声を上げていた。
彼女はじっとクロエを見ていた。人ならぬ眼差しだったが、圧倒されるほどの魔力を受けたが、不思議と敵意は感じなかった。
『我は、大地の精霊……』
女性にしては低く、男性にしては高い奇妙な声。その声が直接、クロエの精神に響いてくる。
『水の精霊の解放、そして、この大地を豊かに実らせ、茂らせたこと……大儀であった。久方のぶりの贈り物は、実に美味であった……』
彼女は少しだけ表情を動かした。どうやら微笑んだようだ。
『そう……お前……我が愛し子と……守り人の裔であれば、あるいは、できるかもしれぬな……。これを、お前に預けよう……』
大地の精霊が手のひらを上に向けると、小さな光が灯った。光はふわりと宙を飛んで、クロエの前にやって来る。
それは種子だった。片手のひらに乗るほどの大きさの、楕円形の種。硬い殻に覆われて、今は眠っている。
戸惑うクロエの胸の前で明滅したかと思うと、すうっと吸い込まれるように消えてしまう。
「えっ!?」
『それは、世界樹の種子……。この地に我ら精霊の力が満ちた時、再び芽吹いて、大いなる森を作るだろう……。今はまだ……その時では、ない』
ズズ、と影が揺らめいた。まるで大地に溶け込むように、精霊の姿が消えていく。地はまるで水のような波紋を描き、降り注ぐ月光を受けて金色の粒子を振りまいていく。
「ま、待って! いきなり変なもの渡されて、困るでしょ! ちゃんと説明してよっ」
『道筋は……守り人が、知っている』
大地の精霊はそれだけを言い残して、完全に消えてしまった。
金の光の粒だけが舞い踊っている。それはやがて夜の柔らかな風に吹かれて広がり、荒れ地の土へと舞い落ちて、まるで大地を祝福するようにきらきらと輝いた。
クロエはその美しい光にしばし見惚れて――、ふと我に返った。
「何なのよ、もう! 唐突に出てきて唐突にいなくなるとか、意味不明だわ」
明るい満月が照らす畑には、もう誰もいない。微かに煌めく金の粒がなければ、さっきまでの出来事が嘘のようにさえ思える。
だが、クロエには分かる。彼女の体内に不思議な魔力が入り込んだと。あの『世界樹の種子』の存在を確かに感じるのだ。
違和感はあったが、不快ではなかった。小さく温かな灯火が胸に宿ったような感覚だった。
「取り出せないわよね……」
思いっきり吐いたらどうだろうと思ったが、種子は肉体的なものではなく魔力的なものと思われる。おそらく無駄だ。
クロエはそれからも畑をうろうろとして、だんだん寒くなってきたので帰って寝ることにした。
「――と、いうことがあったのよ」
翌朝。レオンと村長の二人を自室に呼び出して、クロエは昨晩の出来事を語ってみせた。
「…………」
二人はあまりのことに絶句している。
「姫さん、体は大丈夫なのか? そんな変な種を食べさせられて」
「たぶん平気。嫌な感じはしないし、体調も何ともないもの。あと、別に食べたわけじゃないから」
「そうか……。しかし大地の精霊とはなぁ……」
村長は深くため息をつく。彼の言葉にはどこか畏怖の念があった。
彼は旧エレウシス人。今はもう滅亡したその国では、精霊信仰が根付いていた。
「村長は精霊を信仰しているのかしら?」
クロエがやや慎重に質問をすると、村長は首を振った。
「信仰というほどじゃあない。昨日話した通り、恵みをもたらしてくれる自然に感謝をする。そんな程度のものだ。エレウシスの国があった頃はもう少し形が整っていたが、なんて言うんだろな。精霊は神様じゃないんだ」
「ふうん……? じゃあ、村長にとって精霊とは何?」
「隣人、かね?」
「隣人?」
意外な言葉にクロエは目をぱちぱちとさせた。
「いや、『友人』かもな。精霊は自然と人との間に立って、厳しい自然を少しだけ和らげてくれる。そうして恵みをもたらしてくれる。欠かせない隣人、友人と言われていた」
村長いわく、精霊はそれぞれに魔力を持っていて、人に対して友好的。対話は難しいが、おおむね手助けをしてくれる存在なのだと。
(妖精みたいなものかしら?)
クロエは夜中に家事を手伝ってくれたり、森で迷った時に助けてくれる妖精のおとぎ話を思い浮かべた。