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28:大司教


 伯爵との話を終えて、司祭は部屋を出る。そのまま町の教会まで戻ると、信者らへの挨拶もそこそこに自室へと入った。

 部屋の内側から鍵を閉める。廊下に人の気配がないのを確認した上で、隠し戸棚から水晶玉を取り出した。


猊下げいか。大司教ヴェルグラード猊下」


 呼びかければ、水晶玉が淡く光った。


「アトゥン伯爵領の司祭にございます」


『どうでしたか?』


 艷やかな男声が応じた。低く落ち着いていて、年齢の読めない声。

 クロエに【草生える】スキルを発現させ、雑草魂などと下らないダジャレを言ってみせた男の声である。


「クロエ殿下と接触はできませんでしたが、アトゥン伯爵から話を聞きました。荒れ地の川の復活の件、殿下は知らないとのこと」


『ふむ……?』


「近く殿下に話をして、荒れ地の村に教会の建設を進めるつもりです。ただ、伯爵の言い分では殿下は領地に手出しをされたくないと。難航するやもしれません」


『分かりました。必要であれば、王都から人を派遣しましょう。交渉をお願いします』


「はい。……あの、大司教猊下」


 司祭は一度言葉を切って、気になっていたことを聞いてみた。


「川の復活は、やはり悪魔が――水の精霊が関係しているのでしょうか?」


 答えはしばらくなかった。司祭が失言したかと冷や汗を浮かべた頃、ようやく返答が来る。


『あの荒れ地は呪われた土地。しかしそれでも、人々の開拓の手によって克服されるべきものでした。悪魔の恵みは、所詮まやかしに過ぎません。人を堕落させ、進化の可能性を奪い、己の魂の彫琢ちょうたくを忘れさせる、忌まわしきもの――』


 ヴェルグラードの声から一切の熱が消えた。いつもの飄々として軽妙な姿はもうない。侮蔑と憎悪、嘲笑の冷酷さだけが声を彩っている。

 司祭が汗を流しながら発言を後悔していると、ふと、水晶玉の向こうの雰囲気が和らいだ。


『あぁ、失礼。実は王都から極秘の調査隊を派遣したのですが、空振りに終わっているのです。川を遡った先は湖で、取り立てて異変は見られませんでした。遊牧民に話を聞こうにも、彼らは神出鬼没でなかなか捕まらない。情報を得るには、クロエ殿下と村人の懐に入り込むのが一番でしょう』


 大司教の声は、もう普段通りの穏やかなものだった。


『私の方でも考えてみますが、現地に一番近いのはあなただ。期待しています』


「はい。仰せのままに」


 通信は切れた。司祭は浮き出た汗を拭って、水晶玉を元の位置に戻した。


(相変わらず不思議なお方だ)


 司祭が大司教に直接会ったのは数えるほどしかない。司祭に叙任された際とあとは数度だ。

 既に中年に近い年齢の司祭だが、彼が若い頃から『大司教ヴェルグラード』は救世教のトップとして君臨している。初めて目通りがかなった昔、大司教は青年だった。そして今でも若々しい姿をしている。

 十五年前のエレウシス戦争では前線に出て僧兵団の指揮を取ったというが、『今の』ヴェルグラードはせいぜい三十歳手前の若者。十代半ばでそのような重責を担うなど、あるのだろうか。

 もっとも『大司教ヴェルグラード』は一種の称号で、代替わりしているとも言われている。いち司祭に過ぎない彼には知り得ない内情だ。


 司祭は頭を振って疑念を追い出した。彼は救世教の教えを心から信じている。人が努力を忘れず研鑽を続ければ、自ずと魂が磨かれると。神への信心は精神のうちに宿るものであり、信仰心を揺るぎない柱として磨き上げるのが信者の務めである。

 小さく祈祷句を唱えれると、心が落ち着いてきた。

 部屋の鍵を開けて外に出れば、もう日常が待っている。司祭は一つ深呼吸をして、信者の待つ礼拝堂へと向かった。





+++





 アトゥン伯爵の居城を出て十分に距離を取ってから、レオンが口を開いた。


「伯爵をどう思われます?」


「悪人ではなさそうね。とはいえ、信用するだけの理由もないわ。当面は表面的に付き合えば十分でしょ」


 レオンは一段、声を低くする。


「……水源での出来事は、改めて口止めの必要があるかと」


「分かってる。今度族長が村まで来るから、話し合っておきましょうか」


 しばらく歩けば、市場の立っている広場へたどり着いた。近くの農村で採れたのだろう、様々な野菜が露店に並べられている。収穫の秋なので、種類も量も豊富だった。

 その他には塩や干し肉、ソーセージ類などの加工品、日用雑貨等が店先を彩っていた。


「クロエ様!」


 クロエとレオンに気づいた村人が手を振った。


「野菜、思ったより売れましたよ。遊牧民のチーズも好評で」


「あら? 他にもたくさん野菜が出ているから、そんなに売れないかと思っていたわ」


「それが、うちの野菜は他のより大ぶりでツヤがあるんです。試食してもらったら、味もいいって」


 村人二人はにこにこと笑っている。


「去年までは貧相で不味いって、全然売れなかったのに。俺らの作物が認められると、嬉しいものですね」


「水のおかげかしらね?」


「うーん?」


 クロエの言葉に村人は首を傾げた。


「何年か前、割と雨が降った年があるんですけど。その時も似たりよったりでした。クロエ様の緑肥のおかげでは?」


「あとは肥溜めの……」


「それ以上言うのを禁じるわ」


「は、はい」


 クロエの冷たい眼差しに村人は固まった。背後ではレオンが笑いを噛み殺している。


「とにかく、売れ行きがいいのは良いことよ。手持ちと売上のお金を合わせて、買い物をしていきましょう」


 村にはしばらく行商人が来ていないので、色々なものが不足している。塩が手に入ったのは幸運だが、それ以外にも物入りだ。

 まずは薪。木が生えていない荒れ地では、こうして購入する以外にない。石鹸作りをしたいし、これから冬になれば暖を取るための薪はたくさん必要になる。買い込んだ。


 村の農具はもうボロボロだから、新しい農具も欲しい。水路を整備するのに道具不足で苦労した経験から、土木工事用の道具も欲しかった。だが売上を合わせても、財布には大した額が入っていない。薪といくらかの日用品を買ってしまえば残りの余裕はなかった。

 塩は手元にあるから買わずに済んだのに、これだ。財布の軽さが恨めしい。


「足りないわね……。ちょっと手間だけど、横領分のお金が戻ってきたらまた買いに来ないと」


 クロエが残念そうに呟いた時のこと。


「おや、荒れ地の村人さんじゃないですか。ご無沙汰しています」


 横合いから愛想の良い声が掛けられた。

 クロエがそちらを見ると、一人の男性が立っている。二十代半ばに見えるオレンジ色の髪の人で、旅装を着込んでいた。


「フリオさん、久しぶり。紹介するよ、この方は我らが領主様のクロエ様だ」


 村人の一人がクロエを手で指し示すと、フリオと呼ばれた男は目を丸くした。



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