22:夏の収穫祭
「野菜って、こんなに美味しかったのね……」
クロエがしみじみ言うと、村長が笑った。
「今年のが特別ですよ。去年まではもっと貧相で、味もスカスカだった。水脈が復活して、野菜たちも元気になったんだろう」
「クロエ様の草も、かつやくしたんじゃないかな!」
煮豆を口いっぱいに頬張りながら、ペリテが言う。
「草を畑にすき込んだよね。緑肥だよね」
「おお、そうだったな。それから姫さんのクソも」
「その話はやめてちょうだい。食事時の話題じゃないわよ」
各家のトイレ(壺に溜める)から肥溜めに移された排泄物は、発酵を経て肥料として利用されている。人の排泄物は貴重と説得されて、クロエも渋々肥溜めに提供をした。
「ははは、それもそうだな! まぁ全部姫さんのおかげってことさ」
「全部じゃないでしょ」
クロエは首を振る。
「あなたたち、春の始めから畑を耕していたじゃない。いえ、今年だけじゃなくずっと前からよね。食べ物が少ない中で弱音を吐かず、ただ黙って……」
「いや、弱音はけっこう吐いてたが」
「うるさいわね、いい話にまとめようとしたのに邪魔しないでちょうだい! ……とにかく、あなたたちの頑張りがあってのことと言いたかったのよ」
クロエがふんすと鼻を鳴らすと、村人たちは笑った。
「まあ、俺らも頑張ったよ。でもやっぱり、クロエ様のおかげが大きい」
村人の男性が言えば、女性も続ける。
「井戸水がいくらでも使えるようになって、大助かりです。おかげで畑の水やりも困らない」
「遊牧民が来てくれたおかげで、乳と肉を口にできて、体力がついた。畑仕事を頑張れた」
「うん、やっぱりクロエ様のおかげ!」
最後にペリテがまとめるように言った。そんな孫娘の頭を村長が撫でる。
「よし、姫さん。もっと野菜を食べてくれ。あぁ、生ばっかじゃ飽きるよな。スープにしよう、スープ」
「遊牧民のみなさんも呼んできましょう。今までの恩返しをしないと」
村長の妻の言葉に、みんな頷いた。
「ああ、もちろんだ。野菜はこれからも収穫できる。腹いっぱい食わせてやろうぜ」
こうして収穫パーティに村人と遊牧民全員が加わり、その日は宴会騒ぎになったのだった。
初夏の収穫が一段落ついた頃。村長宅を訪れたクロエは、村長から提案を受けていた。村人たちに了解は取ってあると前置きされた話を聞いて、クロエは眉を寄せた。
「灌漑用水路を作る? この時期に?」
「この時期だからだよ、姫さん。秋の収穫時期になれば、忙しくて余裕がなくなる。その前に水路を作っておきたいんだ」
村長の隣では技師だった男性が頷いている。
「水路の予定地は、北の牧草地周辺を予定しています。あそこはいずれ二圃制ないし三圃制の畑にするそうですね。それなら今のうちに水路を整備してしまいたい。秋は忙しくなるし、冬は地面が凍って作業が難しいのです」
「なるほど。でも、ここは冬が寒い割に夏は暑いじゃない。こんなに暑い中で作業して、大丈夫かしら?」
「平気だよ。野菜と牛乳とチーズのおかげで、最近はみんな体の調子がいい。少し前まで死にかけていたのが嘘みたいだぜ」
確かに彼らの顔色は良い。他の村人も元気になって、ますます畑仕事に精を出している。
クロエは続ける。
「気になるのはそれだけじゃないわ。北の牧草地はこの村から半日の距離。歩けない距離じゃないけど、行って帰ってくるだけで一日が終わってしまう。あの辺りを水路を引いてまで畑にしたら、村から通うのが大変でしょう」
クロエと子どもたちはちょくちょく村と牧草地を行き来しているものの、それは向こうで草を生やす作業しかしていないからだ。朝一番に村を出て、お昼ごろに牧草地に着く。お弁当を食べて草を生やし、ちょっとだけ動物たちと遊ぶ。で、帰る。そういうスケジュールだから問題なく回っている。
それが畑仕事をするとなれば、相応に時間が取られるだろう。帰ってくるのが真夜中になってしまう。
なお、アオルシたち遊牧民は牧草地で天幕を張って寝泊まりしている。用事があれば村までやって来ていた。
「それなんだが、いっそのこと村をあっちに移転するのはどうだ?」
村長の言葉にクロエは目を丸くした。
「また急な話ね。できるの、そんなこと?」
「いっぺんにやるのは無理かもな。だが、どうせこの村の建物だってオンボロばかりなんだ。しがみつくほどの価値はない」
村人の家はもちろんのこと、村長の家も傾きかけている。クロエとレオンが住んでいる家も似たりよったりだ。正直なところ、隙間だらけのあの家で冬を越せるのか、クロエは少し不安に思っていた。
「でも、せっかく何年も畑を耕してきたでしょう。特に東側の畑はよく手入れしているのに。諦めていいの?」
「諦めるわけじゃねえよ。東の畑は冬でもあんまり凍らないから、寒い時期に使えばいい。あぁ、冬の牧草地にしてもいいな。羊と牛とで今や大所帯だ。冬の間の食いもんは必要だろ」
「それはそうね……」
特に魔牛スラビーは、空腹になれば暴れ出す可能性がある。魔羊だって遊牧民の大事な財産だ。飢え死にさせるわけにはいかない。
「水路の件もありますし、今年で全てを終えるのは無理があります」
と、技師。
「建物の建材も不足していますから。今ある建物を解体して、その資材を新しい村で使いましょう。そうして少しずつ移転をするんです」
「……分かったわ。畑と牧畜とで村が豊かになれば、きっと人が集まってくる。最初から計画的に村を作って、将来の発展に備えるわよ」
クロエが言い放つと、村長はにやりと笑った。
「いいねぇ。飢え死に寸前だったこの村が、今や将来の発展と来た。長生きはするもんだ」
「ええ、もっと長生きなさい。そして生きている間はしっかり働いてもらうわ! あなただけでなく、村人全員よ! おーっほほ……モガッ」
ついノリで高笑いをしそうになったクロエの口を、レオンが素早く塞ぐ。
「殿下、村長の家を草まみれにするのはやめてください。立派な迷惑行為です」
「もがー! もがっ!」
クロエは手足をバタバタするが、力では敵わない。
(今度、こいつの頭のてっぺんに草を生やしてやるわ……!)
密かに決意するクロエだった。