21:牛乳の活用法
春の終わりが近くなった頃、アオルシと遊牧民は魔牛の乳搾りに成功した。
大きな体の大きな乳房からは、魔羊の何倍もの量のお乳が取れる。そのまま飲んでも良し、料理に使って良し、チーズに加工して良しの栄養たっぷりの逸品である。
飢えと栄養不足に苦しんでいた村人たちは、魔牛の牛乳で息を吹き返した。牛乳はクセがなく飲みやすく、大人から子どもまで大好きな飲み物になった。ミルク粥も人気の主食だ。
魔羊の乳だけでは全員に行き渡らなかったのだが、たっぷりある牛乳のおかげで今では余るほどになっている。
そこで余った牛乳は、チーズにして保存しておくことになった。チーズ作りに慣れている遊牧民たちが中心となって、村人にレクチャーをした。
「チーズは乳を固めて作る。俺たち遊牧民の伝統的な作り方は、仔羊の胃液を乳に入れて固めるやり方なんだけど……」
村の広場にて。講師役のアオルシが話し始めた。足元には牛乳が入ったバケツがいくつも置かれている。
「いえき? 胃ってお腹のことだよね? 小さい羊さんのお腹の中身を入れるの? 大人の羊さんだとだめなの?」
ペリテは不思議そうだ。なかなか残酷な発言だが、本人は気にしていない。
「大人の羊の胃液じゃ駄目だね。乳を飲んでいるような仔羊のじゃないと、乳を固める効果がない」
「へぇ~」
「で、今は仔羊がいないから、別の方法を使う。これ」
アオルシは牛乳が入ったバケツを持ち上げた。数日前に絞って日向に放置された牛乳は、酸っぱいニオイを放っている。
「これを新鮮な牛乳に混ぜて、固まらせる」
「ちょっと待って」
声を上げたのはクロエだ。
「それ、腐ってるんじゃない? どう見てもアレじゃない」
「腐ってないよ。ちょうどいい塩梅さ。――おーい! 火加減はどう?」
アオルシが呼びかけると、近くの家の中から返事があった。
「いいよぉ! 鍋にかけた牛乳、沸いてきた!」
家から顔を出した村の若い女性が、酸っぱい牛乳のバケツを受け取る。何人かは家に入り、入り切らない人は台所の窓から中を覗き込んだ。
「こうやって、温めた牛乳にこれを混ぜる」
アオルシと女性が協力して、鍋の牛乳に混ぜていく。一定量を入れてかき混ぜていると、牛乳がだんだん固まってきた。ほろほろとしたフレーク状になっている。
そこで火から下ろす。固まりかけた牛乳をお玉ですくい、目の荒い布で濾した。濾されて黄色い水が出たが、アオルシはそれも捨てずに取っておいた。
「これも発酵させるとチーズになる。無駄にするものなんて一つもないよ」
濾したチーズのもとを布ごと丸めて、軒先に吊るす。
「あとは乾燥すれば出来上がり。日持ちするから、保存食にいいと思う」
「遊牧民はこんなふうにチーズを作るのねぇ」
感心した声を出したのは村長の妻だった。
「わたしは昔、エレウシス王国の故郷でチーズ作りをやっていまして。作り方は、途中までは一緒だけど、黄色い水を抜いた後に型に詰めて固めるの。最後に塩水で洗って、熟成させる」
「チーズを熟成させるんだ?」
アオルシはびっくりした顔になった。
「色んなやり方があるんだなぁ」
「今までは牛乳がなかったし、今でも塩は貴重品だもの。あなたたちの作り方でいいと思う」
村長の妻は微笑んだ。クロエが言う。
「魔牛のチーズを作ったり、肉を取って加工したらお金になるわ。そうしたら塩も買える。その後に熟成させるチーズを作ってもいいわね」
セレスティア王国で流通しているチーズも、熟成させる系統のものが多い。いわば故郷の味である。
アオルシはチーズ作りを続けて、まだ乾燥していないものを村人たちに試食させた。クロエが口に入れると、少し酸味のある香りが鼻に抜ける。乳本来の風味が感じられる素朴な味だった。
「ん、美味しい。ヨーグルトに似てる味」
「似てるかもね。乾燥させる以外は、作り方も同じような感じだから」
たくさん取れるようになった牛乳は、こうして有効活用された。村の食糧危機は改善されて、村人たちはいっそう畑仕事に励むようになった。
春が過ぎ、いよいよ夏がやって来た。
太陽の光は力強さを増して、畑に作物が実り始める。夏野菜の茄子やオクラ、きゅうり、豆類などである。麦の収穫はまだ先だが、青々と順調に成長していた。
村にかかる税金は、基本的に麦の収穫量と農作地の広さに応じて決まる。納税も麦でする。セレスティア王都周辺では貨幣経済が進んで金銭での納税が増えていたが、この村は貧しく、税金を払うだけの蓄えがない。
「毎年厳しく税を取り立てられて、ただでさえ実入りが少ないのに、死活問題だった。村で飢え死にした奴らの何割かは、税のせいだ」
村長が吐き捨てるように言った。この村の担当代官は、一切の手心を加えなかったようだ。
クロエは安心させるように村長の肩を叩いた。
「心配いらないわ。今年から私が領主だもの、餓死者が出るほどの徴税はしないと約束しましょう」
「……ああ。ありがとう」
その他にも人頭税や賦役があった。人頭税は毎年徴収されているが、賦役はここが貧しい辺境であるため免除されている……とは村長の話だった。
「たぶん、この僻地まで来て人を連れて行って、また帰すのが面倒だったからじゃないかしら」
クロエはため息をついた。いくら旧エレウシス人の村とはいえ、ここまで国に見放されているのだ。どんないい加減なことになっていても、もう驚かない。
さて、畑に実った野菜たちに村人は歓声を上げた。野菜は麦と違って税金がかからない。実れば実るだけ自分たちのものになる。
食料そのものは魔牛や魔羊たちのおかげで賄えていたが、やはり自らの手で育て上げた作物は感慨深い。みなで畑に入って、早速収穫を始めた。
「こりゃあ豊作だ!」
あちこちで喜びの声が上がる。畑からもがれてカゴに盛られた野菜たちは、陽の光を浴びてツヤツヤと輝くようだった。
「この十五年で一番の出来じゃないか?」
「まったくだ。やっぱり、水が豊富にあったおかげじゃないか」
村人たちはニコニコと笑いながら、生で食べられるナスやオクラにかぶりついた。女性たちが湯を沸かして豆類を煮る。たちまちちょっとした収穫パーティになってしまった。
「茄子が、甘い……!」
軽く水に晒しただけの生の茄子を一口かじって、クロエは驚きの声を上げた。かつて王都で暮らしていた頃の彼女は、茄子はほとんど食べたことがなかった。野菜の中でも安価で貧乏人向けとされていたからだ。口にした数少ない機会でも加熱されていて、べちゃべちゃとして不味いと感じた覚えがある。
茄子だけではなく、オクラも生のままで甘かった。粘り気が口の中で絡みつくようで、滋養が感じられる。
軽く塩で湯がいただけの豆も、やはり生のきゅうりも。全ての野菜に甘みがあって、大地の力を実感した。