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6話 クラウスの心

 冷たい風が、砦の外壁を鳴らしていた。まだ夜も明けきらぬ頃、クラウスは背中に荷を負い、黙々と歩いていた。薪と水袋。重さはあるが、彼にはちょうどよかった。体が軋む感覚が、まだ“自分は生きている”と教えてくれるからだ。


 ──なぜ、あの時、死ねなかった。


 砦が陥ち、王都が燃え、軍は崩れた。生き延びた者の中でも、彼のような元将校は、今や名前も身分も剥ぎ取られ、奴隷のように扱われていた。命を拾ったことが正しかったのか、いまだにわからない。彼は、歩きながら自分に問い続けていた。まるで罪を噛みしめるかのように。


 そんな彼を、毎朝見つめる目があった。マルレーネ。炊き場で配膳を担う少女。年は十七。恋など知らない。だが彼女は、毎日必ず、クラウスにだけひとつの器を用意していた。


 焦げつかないように火加減を見て丁寧に炊いた粥。味をきつくしないよう塩も抑え、干し芋を添える──。けれど、クラウスはそれに一瞥もくれず、ただ受け取り、去っていく。言葉はなかった。それでもマルレーネは手を止めなかった。


 「おいしそうに食べてくれている……」


 そうつぶやきながらも、胸の奥はふわりと熱くなっていた。彼の無言に、なぜかときめいてしまう自分がいた。“この人の心を、私がなんとかしなきゃ”──そんな思いが、日ごとに確かになっていく。


 数日後の夜、クラウスは焚き火の前に腰を下ろしていた。火を見つめる目は深く沈んでいる。誰もが近づかぬ距離に、マルレーネがそっと腰を下ろした。


 「……俺はどうすれば」


 低く、呟く声。風に紛れて聞き流されそうなそれを、マルレーネは聞いてしまった。


 「……生きてください」と、とっさに声が出た。その言葉にクラウスは何も返さなかったが、焚き火の揺らぎが、ほんのわずか彼の横顔をやわらかく照らしていた。


 翌朝、マルレーネは姿を見せなかった。配膳の棚に、一つだけ残された空の器。いつもと同じはずなのに、クラウスの心にざらりとした不安が滲んだ。


 ──何かがおかしい。なぜか不安な気持ちになる。


 (クラウスの心は、まだ、マルレーネを愛していることには気づいていなかった。)


 寝所にも、炊き場にも、井戸端にも、彼女の姿はなかった。誰に声をかけるでもなく、彼は足を早めた。無言のまま、砦の外れ、崖沿いの道へ向かう。人が歩けばすぐ崩れそうなその細道の先に、見覚えのある布が見えた。


 「マルレーネ!」


 叫び声に、草陰の中でうずくまっていた彼女が顔を上げる。足首を抱え、転倒したらしい。だが、それでも彼女は笑っていた。


 「ごめんなさい、探しに来てくれたのですか」


 言葉の意味に頓着せず、クラウスは無言で彼女のそばに膝をつき、自らの背を差し出す。


 「……乗れ」


 その一言で、マルレーネは黙って彼の背に身を預けた。


 砦への帰路、二人の間には風の音だけが流れていた。けれどその静けさは、以前のそれとは違っていた。心に触れてしまった者と、触れられてしまった者。両者の間に、まだ名のつかない何かが生まれていた。


 「クラウスさん……」

 「私のために、生きてくれませんか……」小さな声だった。


 背に乗る彼女の問いに、クラウスはすぐには答えなかった。長い沈黙のあと、絞り出すように呟いた。


 「君のために……か」


 「はい。私のために」──そう、強く言い切った。


 彼の足が一瞬だけ止まる。


 「……それも、悪くはない」


 クラウスの心に、生きるという意志が芽生えた瞬間であった。


 その答えに、マルレーネは背中の上で小さく息を呑み、そして、そっと目を閉じた。火の見櫓の灯が、夕闇の中でゆらゆらと揺れていた。

何とかPlusに多くは任せた。会話はボロボロだったので地の文を壊さない様に変えた。

総合評価:96 / 100点 微妙かな

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